じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

裁判員になりたい?

2008-04-26 | 随想(essay)
 来年の五月から裁判員制度が始まるらしい。法律制定から五年が経過し、いよいよ本番だというのである。しかし課題は山積している。制度の根本のところに大きな欠陥があるのは否定できない。二十歳以上の選挙権を有する者(日本国籍をもつ)を裁判員候補の有資格者としているが、それがどうして七十歳までなのか、腑に落ちない。
 七十ともなれば、どんな人間も判断力も体力も著しく落ちるのだから、そんな存在に裁判員になってもらう必要はないということか。後期高齢者からは保険料を入り口(年金)の段階で捕捉して意地悪・いやがらせをする国家である。やがて七十五歳はおおろか、七十歳以上のひとからは選挙権さえも剥奪しようという魂胆だ。
 国民の義務とかなんとか、制度導入派は利いた風なことをのたまうが、はたして、それを真に受けていいものかどうか。判断力が試されるのはここにおいてである。あらゆる手段をつかって、「国民」から収奪の限りをつくして、なお国家への義務のおしつけである。「正当な理由」、それを判断するのは裁判官だが、それが認められなければ、罰金だと、また収奪を目論んでいる。やり切れないとはこのことだ。