旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

伊万里津大橋

2010年12月15日 | 旅 歴史
 佐賀県伊万里市二里町にある伊万里津大橋です。
 伊万里津大橋は、伊万里川河口、国道204号に架かる橋で昭和61年(1986)に完成しました。津とは港の意味です。伊万里津はかつて焼物の積み出しで栄えた港だったのです。
 橋の欄干に高さ1.5mの大壺が飾られています。川上側は「染錦四季草花文大壷」川下側が「染錦花見風俗絵大壷」です。古伊万里の大作を再現したレプリカです。


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常行寺

2010年12月13日 | 旅 歴史
 佐賀県伊万里市木須町にある常行寺です。
 常行寺は閻魔大王が有名なお寺です。高さはおよそ1.7mで木彫りでは日本一の高さを誇っています。脇侍の赤鬼、青鬼、司命、司録などの5つの像が並んでいます。格天井には極彩色の地獄絵図が残されています。
 鍋島直茂が朝鮮出兵の帰途、この常行寺に宿泊したそうです。それが縁で寺の紋章を鍋島家の杏葉紋と同じにしてもらったそうです。


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田嶋神社

2010年12月12日 | 旅 歴史
 佐賀県伊万里市波多津町畑津にある田嶋神社です。
 田嶋神社は伊万里市の畑津(はたつ)地区にあります。祭神は、多岐津姫命(たぎつひめのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)の宗像三女神(むなかたさんじょしん)を主神として9神を祀っています。
 簡素なつくりの本殿は15世紀の建立と考えられ、県内最古の神社建築で、国の重要文化財に指定されています。飾りの少ない簡素なつくりですが、もとは朱塗りの彩色社殿だったそうです。
 現存する本殿は覆屋の中にあります。格子ごしにしか見ることはできません。三間社流見世棚造(さんげんしゃながれみせだなづくり)という建築様式です。桁行三間(2.88m)、梁間三間(2.95m)です。


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名護屋城博物館

2010年12月10日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市大字名護屋にある名護屋城博物館です。
 佐賀県立名護屋城博物館は平成5年(1993)にオープンしました。朝鮮侵攻という過去の史実に基づいて日本列島と朝鮮半島との交流史を展示テーマに、日韓の友好の絆を深めるために建設されました。
 名護屋城以前、名護屋城以後、歴史の中の名護屋城、特別史跡名護屋城跡並びに陣跡の4つのゾーンに分けて展示しています。


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名護屋城跡

2010年12月09日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市大字名護屋にある名護屋城跡です。
 名護屋城は、全国平定をなしとげた豊臣秀吉がさらに朝鮮半島、明国へ向けて出兵(文禄、慶長の役)するため、その本拠地として築かせた城です。
 もと名護屋氏代々の居城があった垣添山の要害を拡張し、加藤清正の縄張で天正19年(1591)に着工し、翌文禄元年(1591)に完成させたそうです。
 名護屋城は当時の城郭では大坂城に次ぐ広大なもので、本丸・二の丸・三の丸・山里曲輪などを配し、本丸北西隅に5重7階の天守が築かれました。
 慶長3年(1598)秀吉の死によって全軍撤収し名護屋城もその役割を終えました。廃城となり資材などは唐津城に用いられたそうです。
 寛永14年(1637)島原の乱が起きました。徳川幕府は一揆が名護屋城に籠るのを危惧し、石垣の要所を破壊したり、井戸を埋め廃墟になりました。


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呼子大橋

2010年12月08日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦にある呼子大橋です。
 呼子大橋は唐津市の呼子地区と加部島を結ぶ全長728mの斜張橋で平成元年()に開通しました。
 港町呼子(よぶこ)はイカの活け造りや呼子の朝市などが有名です。加部島には田島神社や佐用姫伝説などが残されています。


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田島神社資料館

2010年12月07日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市呼子町加部島にある田島神社資料館です。
 田島神社資料館は呼子町観光物産館と同じ建物内にあります。延喜式神名帳にも記されている肥前国第一の大社、田島神社の資料などを展示、所蔵しています。
 また観光物産館では常設展示場として捕鯨に関する資料を展示しています。かつて捕鯨基地として栄えた呼子の歴史を知ることができます。


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佐用姫神社

2010年12月06日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市呼子町加部島にある佐用姫神社です。
 佐用姫神社は田島神社の末社で日本三代伝説のひとつ松浦佐用姫を祀っています。佐用姫が夫との別れを悲しんで石になったといわれる望夫石があります。
 松浦の藤原村の長者の娘 佐用姫は夫である大伴狭手彦の船出を悲しんで、鏡山(唐津市)の頂から領巾(ひれ)をちぎれんばかりに振りつづけ名残を惜しみました。しかし別れがたく船を追って加部島にたどり着き、やがて泣き伏したまま石になったという伝説です。


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田島神社

2010年12月05日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市呼子町加部島にある田島神社です。
 田島神社は呼子大橋で結ばれた加部島の北東端にあります。天平10年(738)聖武天皇から大伴古麿を勅使として、田島大明神の神号を贈られ、延喜式神名帳にも記されている肥前国第一の大社です。
 祭神は田心姫尊(たごりひめのみこと)、湍津姫尊 (たぎつひめのみこと)、市杵島姫尊 (いちきしまひめのみこと)の3女神です。相殿には大山祇神(おおやまつみのかみ)、稚武王(わかたけのみこ)を祀っています。
 海上安全の神として古くから朝廷の尊崇が厚く、大同元年(806)平城天皇から神封16戸を賜わっています。陸海交通安全、大漁満船、五穀豊穣、開運厄除けに効能があるようです。
 境内には県下最古の頼光鳥居や、恋愛成就の神として人気がある佐用姫(さよひめ)神社もあります。元冦の時に使われた碇石、豊臣秀吉が名護屋城に布陣した時に使用したといわれる太閤石なども見ることができます。


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唐津城跡

2010年12月04日 | 旅 歴史
 佐賀県唐津市東城内にある唐津城跡です。
 唐津城は、文禄2(1593)に、初代唐津藩主寺沢志摩守広高が、松浦川河口の満頭山に唐津城を築き、城下町を開いたことに始まります。
 広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたといわれています。朝鮮出兵の本拠地であった名護屋城の後詰の城として急遽築かせたようです。
 天草も支配していた2代藩主寺沢堅高は、寛永14年(1637)の天草島原の乱の責任を問われ天草富岡城4万石を没収されました。正保4年(1647)堅高が自殺したため、寺沢氏は2代で断絶し、幕府の直轄地となりました。
 慶安2年(1649)播磨明石より大久保忠職が8万3千石で入封しました。その後、大久保氏2代、松平氏3代、土井氏4代続きました。その後、宝暦12年(1762)三河岡崎より水野忠任が6万石で入封しました。
 文化14年(1817)水野氏4代忠邦が遠江浜松に転封となると、替わって陸奥棚倉から小笠原長昌が6万石で入り、以後、小笠原氏が5代続いて明治を迎えました。
 明治4(1871)廃藩置県とともに、廃城となり取り壊されました。昭和41年(1966)旧天守台跡に5層5階、地下1階の美しい天守閣が建てられました。


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九年庵

2010年12月03日 | 旅 歴史
 佐賀県神埼市神埼町仁比山にある九年庵です。
 九年庵は佐賀の大実業家・伊丹弥太郎が明治25年(1892)に造った別荘と明治33年(1900)から9年の歳月をかけて造った6800㎡の庭園です。11月中旬の紅葉の時期に9日間、一般公開されるそうです。
 かってはこの場所に仁比山神社の護国寺が建てられていたそうです。苔むした庭園や葦葺き屋根、竹格子の連小窓が印象的でした。


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仁比山神社

2010年12月02日 | 旅 歴史
 佐賀県神埼市神埼町仁比山にある仁比山神社です。
 仁比山神社は大山咋命(おおやまくい)を主神とする古社で、農事の神として崇敬されています。
 天平元年(729)に聖武天皇の勅願により松尾明神を勧請して創祀したといわれています。仁王天皇の仁と比叡山の比を合わせ、仁比山護国寺としたそうです。
 かっては不動院、吉祥院など36の坊があり、現在の九年庵の場所に護国寺があったそうです。社殿裏には万病に効くとされる清水が湧いています。


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伊藤玄朴旧宅

2010年12月01日 | 旅 歴史
 佐賀県神埼市神埼町的にある伊藤玄朴旧宅です。
 伊藤玄朴旧宅は仁比山神社の参道の中ほどにあります。伊東玄朴は長崎でシーボルトに学んだ江戸蘭学四大家の一人です。その玄朴が21歳までを過ごし医業を営んでいたのがこの伊東玄朴旧宅です。文政4年(1821)に建てられた茅葺き屋根、5.5間、4間の小さな平屋建てです。
 伊藤玄朴は種痘を導入し当時致命的な病気であった天然痘から多くの人々を救いました。藩主鍋島直正が玄朴の進言を受け入れ、我が子に種痘を試みさせた話は有名です。
 玄朴はわが国における西洋医学の父と呼ばれ、のちの東京大學医学部にあたる西洋医学所の創設者になりました。


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