旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

龍澤寺

2010年12月31日 | 旅 歴史
 佐賀県杵島郡江北町山口門前にある龍澤寺です。
 龍澤寺は扇山中腹にあるお寺です。室町時代初期の正平13年(1358)真空禅師こと無著妙融和尚は諸国修行の折、現在の本堂より250m上の扇山山腹で座禅石を見つけ禅の修業をしたそうです。
 小城の西分館領主山口大炊守は深く師に帰依し25石の領地を与え、龍澤寺を創建させました。
 寛永8年(1631)、龍澤寺12世中興歓室大悦和尚の時、多久の家老が仏法に帰依し十六羅漢を寄進し、座禅石の周囲に安置したそうです。


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土井家住宅

2010年12月30日 | 旅 歴史
 佐賀県杵島郡大町町大町にある土井家住宅です。
 土井家住宅は旧長崎街道に面した住宅で、以前は造り酒屋を営んでいたそうです。この民家の建築年代は、構造、手法、絵模様などから19世紀前半と推定されています。
 土間が広く、街道筋の町家でありながら農家風のところもあり、この地方の大型町家の一形態を示す価値のある住宅です。
 切妻造りで屋根は本瓦葺き、土間と部屋が左右に分けられ、家屋面積の半分が土間という珍しい造りです。国の重要文化財に指定されています。


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多久聖廟

2010年12月29日 | 旅 歴史
 佐賀県多久市多久町にある多久聖廟です。
 多久聖廟は全国の孔子廟の中でももっとも壮麗といわれ、数多くの観光客が訪れれています。学問の神様としても有名です。
 江戸時代、多久領は多久氏によって治められていました。多久家4代を継いだ多久茂文(しげふみ)は佐賀藩2代藩主鍋島光茂の3男で、幼くして多久茂矩の養子となりました。
 茂文は多久領を治めるためには教育が必要と考え、学校と孔子像を安置する聖廟の建設に着手しました。
 元禄12年(1699)、まず学問所(後の東原庠舎(とうげんしょうしゃ))を建設し、講堂に孔子像を安置しました。宝永5年(1708)に椎原山の麓に聖廟(恭安殿)を完成させ、孔子と四配(顔子、曾子、子思子、孟子)像を納め、祀っています。
 多久聖廟は中国風の外観で、桁行3間、梁間4間、一重裳階付きの妻入りで、屋根は入母屋造りの本瓦葺きです。正面には唐破風造りの1間の向拝が付いています。国の重要文化財に指定されています。


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肥前犬山城

2010年12月28日 | 旅 歴史
 佐賀県杵島(きしま)郡白石(しろいし)町大字堤にある肥前犬山城です。
 肥前犬山城は標高342mの杵島山山頂の犬山岳の山頂に建っています。実在の城ではなくお城の形に擬した展望所です。ここから白石平野や有明海が一望のもとに見渡せます。
 肥前犬山城からは下に3つの小高い丘が見えます。中央に見えるのは「須古高城跡」です。戦国時代、この城は平井経治氏の居城でした。
 難攻不落で有名でしたが龍造寺隆信との4度の戦で、ついに敗れ滅亡しました。隆信も島原で島津・有馬の連合軍に敗れ、高城は、代々鍋島の須古藩が城主になりました。


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水堂安福寺

2010年12月27日 | 旅 歴史
 佐賀県杵島郡白石町堤にある水堂安福寺です。
 「水堂(みっと)さん」の名で知られる日輪山水堂安福寺は、白石町の杵島山中腹にあります。
 平安時代、高倉天皇が重い病気の時、夢のお告げに従ってここに霊水があることを知ったそうです。領主であった平重盛がこの水を献上すると、たちまち回復したそうです。
 それから毎年、旧暦4月15日から7月15日の間「出水(でみず)法要」の期間とされ、無病息災や家内安全などを願う大勢の参拝客が水を汲みに訪れるようになりました。


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祐徳博物館

2010年12月26日 | 旅 歴史
 佐賀県鹿島市古枝乙にある祐徳博物館です。
 祐徳稲荷神社の境内にある博物館で、昭和30年に開館しました。旧鹿児島藩主鍋島家累代の鎧や日本刀をはじめとする、祐徳稲荷神社所蔵の御宝物と、郷土を中心とした考古、歴史、美術工芸、民族などの資料を所蔵、展示しています。
 江戸時代から伝承されてきた「鹿島錦」の新作発表会「鹿島錦展」なども開かれ、全国の美術品なども紹介しています。


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祐徳稲荷神社

2010年12月24日 | 旅 歴史
 佐賀県鹿島市古枝乙にある祐徳稲荷神社です。
 「祐徳さん」と親しまれている祐徳稲荷神社は、伏見稲荷、笠間稲荷とともに日本三大稲荷の一つに数え上げられています。
 祐徳稲荷神社は、貞享4年(1687)、肥前鹿島3代藩主鍋島直朝(なおとも)公の夫人花山院萬子媛が、京都から輿入れする際に、京都御所内の花山院邸に鎮座する稲荷大神の分霊を勧請したのが始まりだといわれています。
 宝永2年(1705)、石壁山窟の寿蔵にて、萬子媛は断食して入定を果たしたそうです。以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになったそうです。
 衣食住の祖神と仰がれ、五穀豊穣、商売繁盛、家運繁栄、大漁満足、交通安全などの守護神として信仰があつく、参詣者は福岡の太宰府天満宮についで年間280万人に達するそうです。
 本殿などは、昭和初期に建て直されたものが昭和24年(1949)に焼失してしまいました。伊勢神宮造営局長の角南隆氏が設計して昭和32年(1957)に再建されました。主要建物は総漆塗りで、楼門、神楽門などは極彩色の華麗な造りです。


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八天神社石造眼鏡橋

2010年12月23日 | 旅 歴史
 佐賀県嬉野市塩田町大字谷所字山口にある八天神社石造眼鏡橋です。
 八天神社は古くは八天狗神社と称し、火の神として肥前国一円に広く崇敬されていたそうです。
 八天神社の神橋であるこの石造眼鏡橋は嘉永5年(1852)に着工し2年後に完成したといわれています。全長11.14m、幅3.96m、高さ4.65m、欄干の高さ70cmのアーチ形の石橋です。
 中国文化の影響を物語る文化遺産として県の重要文化財に指定されていて、塩田石工の技術を今に伝えています。


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西岡家住宅

2010年12月22日 | 旅 歴史
 佐賀県嬉野市馬場下塩田にある西岡家住宅です。
 西岡家住宅は船運で栄えた塩田津で代々石材業を営んでいた豪商西岡家の住宅です。昭和49年(1974)に国の重要文化財に指定されました。
 天正14年(1587)西岡右左衛門がこの地に居を構え、現在の家屋は江戸時代末期の建築と推定されています。
 この塩田津一帯は塩田川の船運を利用した物資の集散地として栄えたところです。白壁作りの町家が数多く見られ、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


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武雄温泉新館

2010年12月21日 | 旅 歴史
 佐賀県武雄市武雄町大字武雄にある武雄温泉新館です。
 東京駅を設計した辰野金吾博士の設計で大正3年8月に建てられた武雄温泉新館と、大正4年4月に竣工した楼門は平成15年3月に復原されました。
 そして2つの建物は平成17年に国の重要文化財に指定されました。温泉の入口に立つ竜宮門形の朱塗りの楼門は、天平式楼門と呼ばれ釘を一本も使用していないそうです。
 楼門は、入母屋造本瓦葺の木造二重門で、左右に平屋の翼屋が張り出しています。扁額の「蓬莱泉」は明治期に書聖とうたわれた中林梧竹の筆です。 
 新館の一階は、玄関を入ると左右に男と女の大浴場があります。それを中心に上場湯各3つの部屋があります。二階には5つの和室があります。


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陶山神社

2010年12月20日 | 旅 歴史
 佐賀県西松浦郡有田町大樽にある陶山神社です。
 陶山神社は万治元年(1658)に皿山代官の命で有田皿山の宗廟として創建されました。応神天皇を主祭神にして藩主鍋島直茂、有田焼の陶祖・李参平などを祀っています。
 神社の石段を上ると、白磁に淡いブルーの唐草文様が描かれた美しい磁器製鳥居が建っています。明治21年に陶工達が寄進したもので、有田のシンボルになっています。
 境内には有田焼の技術の粋を集めて焼成された磁器製の狛犬や、大水甕、灯篭などが奉納されています。


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有田陶磁美術館

2010年12月19日 | 旅 歴史
 佐賀県西松浦郡有田町大樽にある有田陶磁美術館です。
 有田陶磁美術館は明治時代の焼物の倉庫だった石蔵を改造した美術館で昭和29年(1954)オープンしました。
 2階建ての館内には17世紀初めの磁器の創始期の製品から20世紀に至るまでの有田焼の製品を中心に肥前の焼物が展示されています。17世紀前半の初期伊万里、それ以降の古伊万里、色鍋島、柿右衛門などを鑑賞できます。


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黒髪神社

2010年12月18日 | 旅 歴史
 佐賀県武雄市山内町大字宮野にある黒髪神社です。
 黒髪神社は古くは黒髪三所大権現といい黒髪山頂の天童岩に上宮があり山麓に下宮があります。
 古代の磐座(いはくら)信仰・巨石崇拝が色濃く残っていて日本に於ける神祇崇敬の最も古い形式を伝えています。
 ご祭神はイザナギ、イザナミ、速玉男命などで、祖神様としての信仰が厚く、五穀豊穣・雨乞い・病気平癒・商売繁盛・交通安全・学業成就・諸災消除・諸願成就の神様として崇敬されています。
 黒髪神社は流鏑馬神事も有名で、毎年10月29日に開かれる流鏑馬は、現在まで八百有余続く伝統神事となっています。


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円通寺

2010年12月17日 | 旅 歴史
 佐賀県伊万里市松島町にある円通寺です。
 城山公園の近くにある万明山円通寺は、九州四大名古刹の一つです。臨済宗南禅寺派の名刹で、全国に4か所しかない禅宗の専門道場の一つでもあります。
 明治37年大和達磨寺より招いた六湛和尚の手により臨済宗の修行道場が開かれ、女人禁制の修法道場となりました。
 今から1400年前に松浦党伊万里氏六代の領主源貞公が、先祖や戦いで亡くなった人々を弔うために、武雄町広福禅寺の玄挙和尚に請うて開いたと伝えられています。


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伊万里神社

2010年12月16日 | 旅 歴史
 佐賀県伊万里市立花町にある伊万里神社です。
 伊万里神社は伊万里川沿いにあります。景行天皇2年(72)に「香橘(こうきつ)神社」として、現鎮座地に創祀され、昭和30年代に伊万里にある神社2つが合祀して伊万里神社となりました。
 主祭神は橘諸兄です。下記田道間守が非時香果(ときじくのかぐのみ=橘)を得て帰国の途次、伊万里津に寄港した際、この実を当地に植えたとされます。後世橘氏の子孫がこれを祖先の霊跡として、橘諸兄を祀って「橘の宮」と称したのが始まりと伝えられています。
 伊萬里神社の社殿は釘を一本も使わずに建てられている総木組建築の宮造りです。境内には「お菓子の神様」を祀っている「菓祖・中嶋神社」があり、伊万里出身の森永製菓創設者、森永太一郎氏の銅像もあります。
 毎年10月になると、日本3大喧嘩祭りの一つともされる伊萬里神社の「トンテントン祭」が境内で行なわれます。この祭りは伊万里くんちとも呼ばれます。「荒みこし」と「だんじり」がトンテントンと打ち鳴らす太鼓を合図に組み合い、相手を倒す祭りです。


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