旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

吉田神社本宮

2018年12月31日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区吉田神楽岡町に吉田神社があります。
 吉田神社の本宮は向かって右より、第一殿(建御賀豆知命)、第二殿(伊波比主命)、第三殿(天之子八根命)、第四殿(比売神)を祀っています。建御賀豆知命、伊波比主命は災難より逃れ幸福を勝ち取る厄除・開運の神、天之子八根命は神祇の祖神であり思慮深き学問の神、比売神は女神で女性に徳を授ける神です。平成24年(2012)京都府の有形文化財に指定されました。

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吉田神社

2018年12月30日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区吉田神楽岡町に吉田神社があります。
 吉田神社は京の都から鬼門の方角にある吉田山に建てられています。周囲は古くから霊域として崇められた神楽岡に囲まれています。吉田神社には日本全国の神様を祀る大元宮(重要文化財)や料理やお菓子の神様などが鎮座しています。また、節分祭の追儀式・鬼やらいは有名です。
 貞観元年(859年)、藤原山蔭(やまかげ)が一門の氏神として奈良の春日大社の四柱神「建御賀豆知命(たけみかづちのみこと)、伊波比主命(いはいぬしのみこと)、天之子八根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめがみ)」を勧請したのが始まりです。
 後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになりました。永延元年(987)より朝廷の公祭を預かるようになり、正暦2年(991)には22社の前身である19社奉幣に加えられました。鎌倉時代以降は卜部(うらべ)氏(後に吉田に改名)が神職を代々務めるようになります。
 文明年間(1469-1487)には吉田兼倶(かねとも)が吉田神道を創始しました。神・儒・仏・道四教および陰陽道の関係を説き、神道を万法の根本とし、神主仏従の立場から反本地垂迹説を主張しました。唯一神道、唯一宗源神道、卜部神道とも呼ばれます。その拠点として文明16年(1484)、境内に末社の斎場所大元宮を建立しました。
 その後も吉田兼右・兼見らの活躍により吉田神道は発展しました。寛永5年(1665)、徳川幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、神祇界の長となりました。明治時代に神社が国の管理下におかれるようになるまで栄光の歴史は続きました。
 吉田神社の境内には摂社、末社合わせて11もの社があります。斎場所大元宮は国の重要文化財に指定され、本殿4棟、中門、東御廊、西御廊、摂社若宮社本殿、末社斎場所中門は京都府の有形文化財に指定されています。

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後一条天皇陵

2018年12月29日 | 旅 歴史

 銀閣寺にほど近い吉田山公園の南、京都府京都市左京区吉田神楽岡町に後一条天皇陵があります。後一条天皇陵があります。ここには後一条天皇とその皇女であり後冷泉天皇皇后の章子内親王の陵が二基並んで築かれています。菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)とも呼ばれています。
 一条天皇の中宮で、藤原道長の娘・彰子の生んだ敦成(あつひら)が後一条天皇です。三条天皇の退位で、わずか8才で即位しました。祖父の道長が摂政を務め、続いてその子頼道が摂政、後に関白となり、藤原氏繁栄の中、在位しました。
 後一条天皇は長元9年(1036)、29歳で病のため崩御されました。遺骨は浄土寺に安置され、火葬所の跡に母彰子は伽藍を建て、天皇の供養を行い、これを菩提樹院と号しました。その後、遺骨は菩提樹院へ移されましたが、荒廃したため、明治の中頃、現在の陵に移されました。


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祟源院供養塔

2018年12月28日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 ここには3代将軍徳川家光の乳母であった春日局が建てた2代将軍徳川秀忠の正室「お江」・祟源院の供養塔が残されています。家光の擁立に奔走した春日局と、次男・忠長を溺愛したお江との熾烈な跡継ぎ争いで、25歳の忠長は自害させられました。供養塔にはお江の遺髪が納められています。春日局の追善の気持ちが込められ、隣には忠長の供養塔も立てられています。

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鎧かけの松

2018年12月27日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 御影堂の東側に「鎧(よろい)かけの松」があります。熊谷次郎直実は、法然上人の弟子となり、この寺で出家しました。方丈裏の池(鎧池)で鎧を洗い、この松の木に鎧を掛けたと伝えられています。平成25年(2013)に2代目の古樹は枯れ、現在は3代目の松です。

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極楽橋

2018年12月26日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 金戒光明寺の蓮池には極楽橋が架けられています。源平の一ノ谷の合戦で平敦盛を討ち取った熊谷次郎直実は無常観を感じ、ここ黒谷の法然上人を尋ね、、建久4年(1193)、出家を決意しました。兜を置いて弓の弦を切り、その弓を池に架けた形から、極楽橋が架けられている蓮池は「兜之池」とも呼ばれています。

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金戒光明寺納骨堂

2018年12月25日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 金戒光明寺の納骨堂は、称悦法師が元禄2年(1689)に経蔵として建立されました。黄檗版一切経2087冊が納められていましたが、現在は観音堂(収蔵庫)に移設保管されています。平成23年(2011)の法然上人八百年遠忌の記念事業で大修理が行われ納骨堂として使用されるようになりました。本尊は納骨された骨で造立された阿弥陀如来像「骨仏」です。

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金戒光明寺大方丈

2018年12月24日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 金戒光明寺の大方丈は昭和19年(1944)に再建された建物です。間口13間、奥行11間、入母屋造り、桟瓦葺で、松平容保が駐屯した場所とされ、内部には謁見の間が再現されています。唐破風造り、銅板葺きの車寄を持つ玄関とともに、平成27年(2015)に登録有形文化財に指定されています。

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金戒光明寺阿弥陀堂

2018年12月23日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 金戒光明寺の阿弥陀堂は慶長10年(1605)に豊臣秀頼によって再建されたとされる寺内では一番古いお堂です。本尊は、恵心僧都源信の最後の作と伝えられている阿弥陀像が祀られています。源信が仏像彫刻に必要な「のみ」をお納めになって仏像彫刻を止められたというので「のみおさめの如来」、又は「お止めの如来」ともいわれています。

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金戒光明寺御影堂

2018年12月22日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 金戒光明寺の御影堂は間口7間、奥行7間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの堂々とした建物で、正面に3間向拝を付けています。昭和19年(1944)に再建された建物で、和様が基調の軸部に、尾垂木(おだるき)が付き、二手先組物をあげ、洗練された細部を持っています。御影堂は大殿とも呼ばれ、平成27年(2015)に登録有形文化財に指定されています。

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金戒光明寺山門

2018年12月21日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 金戒光明寺の山門は間口14.7m、奥行8.4m、入母屋造り、本瓦葺きの二重門で、万延元年(1860)に再建された建物です。正面に後小松天皇宸翰「浄土真宗最初門」の勅額がかけられています。

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金戒光明寺三重塔

2018年12月20日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
金戒光明寺の三重塔は境内の東側の石段の頂上に建てられています。この塔は、寛永11年(1634)、伊丹重好(豊永宗如堅斉)が以前に仕えていた2代将軍徳川秀忠の菩提を弔うために建立されました。文殊菩薩を本尊としているため、文殊塔とも呼ばれています。
 三重塔は本瓦葺きの三間三層の塔婆で、高さは22mあります。塔の内部には文殊菩薩が祀られていましたが、平成20年(2008)に御影堂左脇檀に遷座されています。この文殊菩薩は、運慶作と伝えられ、善財童子・優填王・最勝老人・仏陀波利三蔵を従えた渡海文殊形式で日本三文殊の一つといわれています。現在は本尊として文殊菩薩のご分身(浄鏡)を祀っています。三重塔は昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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金戒光明寺

2018年12月19日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区黒谷町に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)があります。
 紫雲山金戒光明寺は、「黒谷(くろだに)さん」と呼ばれ、知恩院、知恩寺、清浄華院(しょうじょうけいん)とともに浄土宗四ヶ本山の1つです。承安5年(1175)、法然上人が浄土宗の確立のため、比叡山西塔の黒谷にならって、ここに草庵を結んだのがこの寺の始まりであるとされています。
 以後、浄土宗の念仏道場として栄え、仏殿や御影堂などの伽藍が建立されました。7世の運空(うんくう)の時、後光厳天皇に円頓戒を授けて金戒の2字を賜り、金戒光明寺と称するようになりました。正長元年(1428)には後小松天皇より「浄土真宗最初門」の勅額を賜りました。
 その後、応仁元年(1467)の東岩倉の合戦によって焼失し荒廃しました。永正年間(1504-1521)に17世の理聖が堂宇の再興勧進を行い、慶長10年(1605)に豊臣秀頼が阿弥陀堂を再建し、慶長18年(1613)に前年に焼失した御影堂を再建しました。
 文久2年(1862)、会津藩主松平容保が京都守護職の本陣となり、駐屯しました。境内には鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩殉難者墓地があります。約25万平方mの広い境内には、寛永10年(1633)に建てられた国重文の三重塔をはじめ、御影堂、大方丈、庫裏、阿弥陀堂、吉備観音、山門、鐘楼、経蔵、塔頭など大寺院の寺観を整えています。

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聖護院

2018年12月18日 | 旅 歴史


 京都府京都市左京区聖護院中町に聖護院(しょうごいん)があります。
 聖護院は本山修験宗の総本山です。開基は園城寺7世の増誉(ぞうよ)です。増誉は師である円珍の後を継ぎ、熊野での大峰修行を行い、修験僧として有名でした。寛治4年(1090)、白河上皇の熊野詣の先達(案内役)を務め、初代の熊野三山検校(熊野三山霊場の統括責任者)に任じられ、常光寺を下賜されました。
 これが聖護院の創建になり、「聖体護持」の意から聖護院と名付けられました。増誉の後も、上皇の熊野御幸の先達を務め、後白河上皇の皇子の静恵法親王が入寺されたので、熊野との結びつきが一層深まりました。以後、代々法親王が入寺したため、門跡寺院として天台宗内で重視され、聖護院門跡といわれるようになりました。
 聖護院は熊野の修験組織を束ね、最盛期には修験道の山は120余、全国に2万5千もの末寺を持ったそうです。応仁の兵火で焼失後、左京区の岩倉で再興しましたが、その後も火事に遭い、延宝4年(1676)現在地に再建されました。安永8年(1779)には聖護院門跡であった祐宮兼仁親王が光格天皇として即位しました。
 天明8年(1788)、御所が炎上し、光格天皇は聖護院に避難し、3年間、仮御所となった聖護院で暮らしました。安政元年(1854)にも御所が炎上し、孝明天皇は10日間仮御所にしました。この経過から「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されています。
 現在ある堂宇は本堂を除き江戸時代初期、延宝年間(1673-1681)の建立で、書院は御所にあった女院御殿を移築した建物だといわれ、国の重要文化財に指定されています。光格天皇宸翰神変大菩薩号勅書、後陽成院宸翰消息、絹本著色熊野曼荼羅図、木造智証大師坐像、木造不動明王立像などの国重文も所蔵しています。

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旧三井家下鴨別邸茶室

2018年12月17日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区下鴨宮河町に旧三井家下鴨別邸があります。
 旧三井家下鴨別邸の茶室は主屋を移築する前からこの地にあった建物です。建築面積35.59平方m、木造、切妻造り、桟瓦葺き及び銅板葺きで、西面に渡廊下が付いています。四畳半は簡素な造りですが、三畳の次の間は円窓を開けた奇抜な構成です。平成23年(2011)に国の重要文化財に指定されました。

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