旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

離宮の水

2021年02月26日 | 旅 歴史

 大阪府島本町広瀬に水無瀬神宮(みなせじんぐう)があります。
 境内にある離宮の水は、大阪府で唯一「全国名水百選」に選ばれた名水です。水は地下から水をくみ上げる水無瀬川の伏流水です。サントリー山崎工場も、同じ系統の水をウイスキーの仕込みに使っているそうです。

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水無瀬神宮神門

2021年02月25日 | 旅 歴史

 大阪府島本町広瀬に水無瀬神宮(みなせじんぐう)があります。
 水無瀬神宮の神門は桃山時代に建てられた薬医門造りの建物です。この門の右側の柱に石川五右衛門の手形という説明文が掲げられています。名刀を盗みに入ろうとした五右衛門は神威により門内へ入れず、立ち去った時に残した手形が残されているというものです。神門は平成28年(2016)に国の登録有形文化財に登録されています。

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水無瀬神宮本殿・拝殿・幣殿

2021年02月24日 | 旅 歴史

 大阪府島本町広瀬に水無瀬神宮(みなせじんぐう)があります。
 水無瀬神宮の本殿は京都御所の旧内侍所の旧材を用いて寛永年間(1624-1644)に建てられたといわれています。拝殿・幣殿とともに平成28年(2016)に国の登録有形文化財に登録されています。

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水無瀬神宮客殿

2021年02月23日 | 旅 歴史

 大阪府島本町広瀬に水無瀬神宮(みなせじんぐう)があります。
 水無瀬神宮の客殿は間口6間(11.8m)、奥行5間(10.9m)、単層、入母屋造り、桟瓦葺きで、豊臣秀吉から寄進され、福島正則が造営奉行になり建てられたといわれています。全体の形式手法は書院形式で、比較的簡素な造りです。大正15年(1926)に茶室とともに国の重要文化財に指定されています。

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水無瀬神宮

2021年02月22日 | 旅 歴史

 大阪府島本町広瀬に水無瀬神宮(みなせじんぐう)があります。
 水無瀬神宮は、後鳥羽天皇・土御門天皇・順徳天皇を祀っています。後鳥羽上皇はここに水無瀬離宮を建てられました。承久3年(1221)、鎌倉幕府追討を図って失敗した承久の乱で隠岐に流され、その地で延応元年(1239)に崩御されました。
 仁治元年(1240)、後鳥羽上皇の遺勅により、水無瀬信成・親成親子が離宮の旧跡のこの地に水無瀬御影堂と呼ばれるお堂を建立し、上皇を祀りました。その後、明応3年(1494)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀨宮の神号を奉じました。
 江戸時代までは仏式で祀られていましたが、明治6年(1873)に神式に改められ、土御門天皇・順徳天皇を合祀して、官幣中社になりました。昭和14年(1939)には官幣大社になり、水無瀬神宮と改称されています。境内にある離宮の水は全国名水百選に選ばれています。
 「灯心席(とうしんせき)」または「灯心亭(とうしんてい)」と呼ばる茅葺き寄棟造りの茶室は、御所から移築されたもので、客殿とともに国の重要文化財です。本殿、拝殿及び幣殿、神庫、手水舎、神門及び築地塀は平成28年(2016)に国の登録有形文化財に登録されています。

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能勢妙見山

2021年02月21日 | 旅 歴史

 大阪府豊能郡(とよのぐん)能勢町(のせちょう)野間中に能勢妙見山(のせみょうけんざん)があります。
 能勢妙見山は日蓮宗のお寺で、「能勢の妙見さん」として知られています。北極星の神様である「妙見大菩薩」を祀り、源氏を祖とする能勢氏ゆかりの寺です。神仏習合時代の名残りで境内入口に鳥居があることなどから、能勢妙見宮とも呼ばれました。
 正式には「無漏山眞如寺境外仏堂能勢妙見山」と称し、能勢町地黄にある真如寺の境外仏堂です。境外仏堂とは飛び地にある仏堂ですが、本寺の真如寺よりもはるかに多くの参詣者が集まります。
  妙見山の山頂には行基が建立したという為楽山大空寺がありました。鎌倉時代、源頼国を祖とする能勢氏が領主となりこの地に妙見菩薩を祀ったといわれています。その後、能勢頼次が領したが、織田信長、羽柴秀吉と争って領土を失ってしまいました。
 その後、頼次は徳川家康の家臣となり、武勲により能勢の地を回復し、旗本となりました。そして日蓮宗の日乾(後の身延山久遠寺21世)に帰依し、頼次自ら開基として開いた真如寺の開山にさせました。
 慶長8年(1603)に日乾の手によって新たな妙見菩薩像が彫られ、かつての自城であった為楽山城の跡地に仏堂を建立しました。これが現在の能勢妙見山で、能勢氏に庇護され多くの参詣者が訪れるようになり、関西身延とも呼ばれ、近畿の霊場として有名になりました。

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円成寺五輪塔

2021年02月20日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 円成寺五輪塔は円成寺境内から西南200mほどところにある墓地の中に建てられています。鎌倉時代後期の元亨元年(1321)に造られた石造五輪塔で、元亨元年辛酉六月の刻銘が刻まれています。花崗岩で二重基壇の上に反華座を付け、総高さは234cmです。 奈良県下の五輪塔では最古の銘で、昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。

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円成寺庭園

2021年02月18日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 円成寺の庭園は平安末期に寛遍上人が、真言密教の教義である「バン字」を基にして造営したと伝えられています。浄土式庭園を基盤とし、寝殿造り系庭園の配置を備えた舟遊式庭園で、全国でも数少ないものです。昭和48年(1973)に国の名勝に指定されています。

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円成寺多宝塔

2021年02月17日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 円成寺の多宝塔は仁平3年(1153)寛遍僧正が真言密教の忍辱山流を創始した時に、後白河法皇が寄進されたものと円成寺縁起には記されています。応仁の乱の兵火で焼失し、再建された塔は大正9年(1920)に鎌倉長寿寺に移譲され、現在のものは平成2年(1990)に建立されました。安置されている大日如来坐像は運慶作で国宝です。

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円成寺本堂

2021年02月16日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 寝殿造り風の円成寺の本堂は間口5間、奥行5間、単層、 入母屋造り、妻入で正面に銅板葺きの3間の向拝を付けています。室町時代後期の文正元年(1466)の応仁の乱の兵火で焼失後、栄弘阿闍梨により、旧本堂と同じ規模と様式で、文明4年(1472)に再建されました。
 中央に方形に建てられている四本柱の柱身には聖衆来迎二十五菩薩の姿が極彩色で描かれ、本尊背後の二本柱には、昇龍、降龍が描かれています。須彌壇上には国重文の本尊・阿弥陀如来坐像が中央に安置され、同じく国重文の四天王像が守っています。円成寺本堂は昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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円成寺楼門

2021年02月15日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 創建時の楼門は文正元年(1466)の応仁の兵火で焼失し、現在の楼門は室町時代後期の応仁2年(1468)に再建された建物です。入母屋造り、檜皮葺きの三間一戸楼門で、明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。上下層に和様三手先を使い、下層出入口の上に正面、背面とも花肘木(はなひじき)を入れています。

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円成寺宇賀神本殿

2021年02月14日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 円成寺にある宇賀神本殿は白山堂・春日堂の東隣の覆屋の中に建てられています。檜皮葺きの一間社春日造りで、向拝を唐破風とした社殿です。鎌倉時代後期の建治から元弘年間(1275-1332)頃の建築と考えられています。
 宇賀神は、農耕神あるいは蛇神・龍神ともされ、中世以降、穀霊神、福神として民間で信仰されました。仏教では弁才天と習合し、書道の神としても信仰されています。宇賀神本殿は昭和27年(1952)に国の重要文化財に指定されています。

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円成寺春日堂

2021年02月13日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 春日堂は白山堂と同じく、檜皮葺きの一間社春日造りで、棟木、千木、勝尾木を乗せています。安貞元年から安貞2年 (1227-1228) の建築です。昭和28年(1953)に棟札とともに最古の春日造社殿として国宝に指定されています。

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円成寺白山堂

2021年02月12日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 円成寺本堂の東奥の石垣上に2つの小さな鎮守社が建てられています、向かって右が白山堂、左が春日堂で、両社は同形、同寸法です。奈良の春日大社造営の際、当時の神主・藤原時定が、旧社殿を拝領して、円成寺の鎮守社として祀ったと伝えられています。
 円成寺の白山堂は檜皮葺きの一間社春日造りで、棟木、千木、勝尾木を乗せています。鎌倉時代前期の安貞元年から安貞2年 (1227-1228) の建築です。昭和28年(1953)に最古の春日造社殿として国宝に指定されています。大正5年(1916)解体修理の際、堂内から棟札8枚が発見され、これも国宝に指定されています。

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円成寺(圓成寺)

2021年02月11日 | 旅 歴史

 奈良県奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)に円成寺(圓成寺・えんじょうじ)があります。
 忍辱山(にんにくせん)円成寺(圓成寺)は真言宗御室派のお寺です。天平勝宝8年(756)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真和上の弟子、唐僧虚瀧(ころう)が創建したと円成寺縁起に伝えられています。
 史実的には平安中期の万寿3年(1026)命禅(みょうぜん)上人が十一面観音を祀られたのが始まりです。その後、天永3年(1112)小田原寺の迎接(こうしょう)上人が阿弥陀堂を建て、阿弥陀如来を祀り念仏講の基を作りました。仁平3年(1153)京都御室仁和寺の寛遍(かんぺん)僧正が東密(真言密教)の一派忍辱山流を始めました。
 文正元年(1466)、応仁の兵で、建物の大半を失いましたが、栄弘(えいこう)阿闍梨は伽藍の復興に努め、更に文明13年(1481)弟子連舜らと朝鮮に使いして、高麗版大蔵経を請来しました。慶長14年(1609)徳川家康はこの大蔵経を所望したため、献上しています。現在この経は東京の増上寺に保管されています。
 以後、江戸時代は、将軍の庇護を受けました。130石の寺領は、大蔵経献上の謝礼として、105石加増され、山林、竹木も賜わり、23寺を有する大寺院となりました。しかし明治に入り、神仏分離令などで寺領返上、衰退し、明治10年(1877)には、本堂、楼門、護摩堂、観音堂、鎮守3社を残すのみとなってしまいました。

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