旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

栖雲寺

2007年03月31日 | 旅 歴史
 山梨県大和村天目山にある栖雲寺です。
 栖雲寺(さいうんじ)は、業海本浄が貞和4年(1348)に開山した寺で、鎌倉の建長寺の末寺の4大寺院の一つだそうです。武田家の菩提寺として繁栄していたそうです。境内には武田家十代目になる信満公の墓もあります。勝頼公がこの地に向かったのもうなずける。この山奥の小さな寺に、重要文化財などの寺宝が多いのにも驚かされます。
庫裏の奥には石庭があります。業海和尚が水によって土砂を洗い流して築造したという巨大な岩がたくさんある庭です。地蔵や文殊菩薩などの磨崖仏もあり県指定の名勝にもなっています。またそば切り発祥の地を記念して、栖雲寺に碑も立てられています。
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山梨県大和村にある景徳院です。

2007年03月19日 | 旅 歴史
 正式には天童山景徳院といいます。武田勝頼は天正10年(1582年)3月11日天目山を目指しましたが、この田野で織田・徳川の大軍に囲まれて悲惨な最後をとげました。これにより武田家は滅亡しました。天正16年(1588年)に徳川家康が冥福を祈るため建立しました。 
 7堂伽藍の立派な寺でしたが二度の大火で大部分は燃失しました。当時の建物は山門のみです。
 山門近くに自刃した三箇の生害石があり、勝頼公(37歳)夫人(19歳)信勝公(16歳)の墓が並び、将兵や侍女合わせて50名の墓があります。
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雲峰寺

2007年03月18日 | 旅 歴史
裂石山(さけいしざん)・雲峰寺は天平17年(745)行基が開いたとされています。行基が修行中に落雷があり、石が裂けた後に十一面観音が出現したことから、その像を萩の木に刻んで開山したという言い伝えがあるのです。この寺は甲斐国の鬼門に位置するため代々国主の祈願所だったといわれます。永禄年間に火災のため荒廃しましたが、武田信虎によって再建されました。
 もともと天台宗のお寺だったのが戦国時代に臨済宗妙心寺派に変わったそうです。天台宗は護摩を焚くので本堂には護摩を焚ていてた跡が残っています。この庫裏という建物は文化庁発行の文化財の本の表紙にもなっているということです。またこの中で映画「影武者」の撮影が行なわれたそうです。また、中里介山がこの寺に滞在して名作「大菩薩峠」を執筆したことでも知られています。
武田勝頼が天目山にて自害した後、家臣に託した武田家の重宝「日の丸の御旗」(家督相続の証である日本最古の日の丸)や「孫子の旗」、「諏訪神号旗」、「馬標旗」などが、ここに納められています。それら寺宝の一部が新しくできた宝物殿で公開されています。
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甘草屋敷

2007年03月09日 | 旅 歴史
 甲府市に塩山市にある甘草屋敷です。八代将軍吉宗の時代に薬用植物の甘草(カンゾウ)を栽培して幕府に納めていたことから「甘草屋敷」と呼ばれています。実際には高野家の住宅でした。甲州を代表する大型の切妻造民家の最も優れているものとして、昭和28年3月に重要文化財に指定されています。
 また平成8年7月には、旧高野家住宅の附属屋五棟(巽蔵・馬屋・東門・文庫蔵・小屋)が、当家の幕末から明治初頭にかけての屋敷構えを今日に伝えるものとして、附(つけたり)指定の三棟(地実棚・裏門・座敷門)および宅地(井戸・池・石橋・石垣を含む4,932.07m2)とともに、重要文化財の追加指定を受けています。
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