下呂の田舎と名古屋を往復するため、「国道41号」か、江戸時代から続く「飛騨街道(岐阜県道58号関金山線)」を使っています。
特に国道41号を使用する場合、お盆が近付く頃は白川町区内の昭和43年8月18日の飛騨川バス転落事故慰霊碑に立ち寄って当時を思い起こしています。
この事故は、豪雨による土砂崩れで道を塞がれ立ち往生した観光バスに山から大量の土砂が押し寄せ2台のバスが激流の飛騨川へ転落し104名の方が犠牲になった飛騨川史上最悪の事故でした。
江戸時代から使われている飛騨街道は飛騨金山の井尻から袋坂峠という山越えをして美濃市・関市や川辺町へ至るコースです。祖母の時代、伊勢参りは飛騨街道で美濃市へ出て、美濃市から船で長良川を下り桑名経由だったと言っていました。
この飛騨街道は山道で道路幅もバス一台がやっと通行できるという狭さで高度成長に伴って増加する自動車輸送には対応できず、飛騨金山から飛騨川沿いに白川町、七宗町地内を経由し川辺町や美濃太田へ至る、現国道41号のコースが建設され昭和40年に開通しました。
両岸に山が迫る地形を削って道路を建設したため飛騨川バス転落事故は発生したものです。この地形は現在でも土砂崩れなどの災害の可能性があるため降雨量による通行規制が行われたり、国交省による道路点検や斜面の落石防止工事など行われています。
事故の詳細は下記サイトやウイキペディアなど参照してください。
http://matome.naver.jp/odai/2137640357046306601
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