飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

芹ヶ谷公園(せりがやこうえん)を散策

2018年05月27日 | Weblog
 5月26日(土)は、午後に町田で人に会う用事があったので、午前中は芹ヶ谷公園に行ってみました。芹ヶ谷公園は、看板が通勤電車(小田急線)から見えるのですが、公園を散策するのは初めてです。

 小田急線の町田駅南口で降りて、小田急線沿いに看板が出ている新宿方面に行ってみました。

<小田急線沿いの立葵>

 小田急線沿いを歩いていると、素晴らしい立葵が咲いていたので撮ってみました。






 素晴らしい立葵をアップで撮ってみました。




 別の場所にも、ご覧のような立葵が咲いていました。




 折角なので、度アップでも撮ってみました。

 小田急線沿いを歩いていると、先の方に、こんもりとした森があって芹ヶ谷公園のようでした。
 住宅地に入って、道なりに暫く進むと、左手の奥の方に芹ヶ谷公園への下り坂が見えました。

 そのまま直進すると、赤いノボリの神社が見えたので、お参りしてからここに戻って来ることにしました。

<母智丘神社(もちおじんじゃ)>

 神社に着くと、2014年11月の「町田/原町田七福神巡り」で来ている母智丘神社の裏だと分かりました。
 折角なので、正面に回って鳥居を通ってお参りすることにしました。


 取り敢えず、母智丘神社の鳥居を撮ってみました。
 

 境内に入ると、七福神巡りの弁財天が祀ってあったので撮ってみました。


 隣にあった手水舎で身を清めて、拝殿に向かいました。


 拝殿を撮って、無事に芹ヶ谷公園が散策できるようにお参りをしました。


 お参りしてから拝殿の入口を撮ってみました。


 弁財天と手水舎を撮って拝殿の裏に行ってみました。


 拝殿の後ろには、ご覧のような本殿(?)があったので撮ってみました。

<芹ヶ谷公園(せりがやこうえん)>

 元の下り坂に戻ると、先の方に看板<芹ヶ谷公園入口>が出ていました。


 坂道を下りて左に曲がると、芹ヶ谷公園の石碑がありました。


 入口からは、ご覧のような階段を下って園内に入ります。


 階段を下りると、ご覧のような小田急線の土手の下に着きました。
 右側に、小田急線から見える看板があったので、ここが芹ヶ谷公園の端ですね!


 看板の後を通って、反対側に見えた土手に登ってみることにしました。


 途中、園内にご覧のようなベンチが見えたので撮ってみましたが、辺りに人はいませんでした。




 反対側の土手から、いつも見える看板を撮ってみました。
 照明器具があったので、ライトアップすることもあるのですね!?


 園内に戻りましたが、うす暗い場所は蚊に刺されそうなので避けました。


 白の花を咲かせている植物の池がありました。


 白い花をアップで撮ってみましたが名前(カラー?)は分かりません。


 ご覧のような広場があってベンチも置いてありましたが、訪れている人はいませんでした。


 先に行くと、ご覧のような小さな池がありましたが、ここにも人はいませんでした。


 近くに、芹ヶ谷公園の案内図があったので現在地を確認しました。
 先程あった広場は芝生広場、池はジャブジャブ池で、これから向かう白い部分は多目的広場です。


 更に先に行くと、ご覧のような東屋があって奥に池が見えました。


 取り敢えず、ザリガニ釣りが出来そうな池を撮ってみました。


 ご覧のようなカモがいたのでアップで撮ってみました。


 散策路脇には、ご覧のような植込みもありましたが、手入れはあまりされていないみたいでした。


 ご覧のような連絡通路を通って、多目的広場に行ってみました。
 尚、上の道路に出て右に行けば町田街道に出れます。


 連絡通路を通ると、左側に巨大なオブジェがあったので撮ってみました。


 又、オブジェの左奥に、ご覧のような水路もありました。


 折角なので、オブジェと水路を一緒に撮ってみました。


 多目的広場のベンチで一休みしていると、広場の先の方に動く物が見えました。


 アップで撮ると、ご覧のような物が動いたので、後で行ってみることにしました。


 後ろの「アーチの泉」を撮って、多目的広場の先の方に行ってみました。


 多目的広場の先に着くと、水の広場(虹と水の広場)と動いていませんが噴水シーソーがありました。


 暫くすると、噴水シーソーの上部から水が出始めたので急いで撮ってみました。




 暫くすると、噴水シーソーは徐々に傾き始めました。






 傾き始めた噴水シーソーを、別の位置から撮ってみました(子供も怪訝そうに見ています)。


 噴水シーソーがクロスしたのでアップで撮ってみました。








 回っている噴水シーソーをいろんな角度から撮ってみました。






 折角なので、中央部をアップで撮ってみました。






 噴水シーソーを別角度から撮って、「虹と水の広場」を後にしました。


 「虹と水の広場」の先に行くと、ご覧のような「開かれた宇宙」(高橋清作)があったので撮ってみました。


 ご覧のような水路の脇を通って、国際版画美術館の方に行ってみました。


 国際版画美術館ではイベント(浮世絵モダーン)を遣っていたのですが、時間がなかったので入りませんでした。




 「森の丘」にあるご覧のような階段を上って、出口に向かいました。


 「森の上」に着くと、ボーリングの玉のような物が置いてありました。




 近くに行って、井上武吉作の「マイ・スカイ・ホール」を反対側から撮ってみました。


 ご覧のような門から芹ヶ谷公園の外に出ましたが、公園の名前は付いていませんでした。


 出口から町田街道に出て、待ち合わせ場所の町田駅に向かいました。
 途中、町田街道にあった案内図で現在地を確認しました。
 案内図の左にある緑色の部分が芹ヶ谷公園(約11ha)で、芹ヶ谷公園は約45分で散策できました。
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旧東海道(戸塚宿~原宿)をぶらり

2018年05月20日 | Weblog
 5月19日(土)は、横浜市の戸塚に行く用事があったので、帰りに、運動不足の解消も兼ねて藤沢まで旧東海道を歩いてみました。
 尚、旧東海道は藤沢駅北口行きのバスも走っているので、途中で疲れたらバスに乗ることもできます。

<戸塚駅>

 用事が済んだので、戸塚駅東口遊歩スクエアを通って、西口の近くにある清源院に行ってみました。


 清源院に向かって西口遊歩スクエアを歩いていると、旧東海道沿いに小さな建物が見えたので撮ってみました。


 アップで撮ると洋館風の司命堂医院(しめいどういいん)でしたが、駅の近くにお医者さんがあるのは良いですね!


 今度は、外壁にご覧のような緑(植木?)のある駐車場があったので撮ってみました。

<清源院(せいげんいん)>

 旧東海道沿いにある「清源院入口」信号を右に曲がると、清源院の山門がありました。


 取り敢えず、境内と一緒に本堂を撮ってみました。


 立派な本堂で、迷わないで藤沢駅北口に着けますようにお参りをしました。


 お参りしてから本堂の入口を撮ってみました。


 本堂の山号(南向山)が左から書かれていたので、本堂は最近になって再建されたみたいです。


 毘沙門天の隣りに、戸塚の俳人の味岡露繡が建てた「芭蕉の句碑」がありました。
 句碑には、『栗といふ文字は にしの木と書いて 西方にたよりありと 行基菩薩は 一生杖にも柱にも 此の木を用給ふとかや 世の人の見つけぬ 花や軒のくり はせを』と書いてありました。


 又、石段の下に、ご覧のような「心中句碑」もありました。
 文久3年、清三郎・マヤの両人が心中して建てられた句碑には、『井にうかぶ 番(つがい)の果てや 秋の喋』と書かれていました。


 折角なので、「心中句碑」の脇の石段を上ってみました。


 石段の上はお墓になっていて、右側の奥には鐘楼がありました。


 又、左側には、ご覧のような石段があったので登ってみました。
 上にも、お墓と石段がありましたが、これ以上、上に行っても仕方がないので止めにしました。


 境内に戻って本堂の横に行くと、阿弥陀さまの「倶会一処(くえいっしょ)」があったのでアップで撮ってみました。


 奥に行くと、ご覧のような水汲み場がありました。


 水汲み場の水道の蛇口が、ご覧のようになっていたのでアップで撮ってみました。

<内田本陣跡>

 清源院を後に、旧東海道に戻り藤沢方面に向かいました。


 先程の司命堂医院の前に遣って来たので入口を撮ってみました。
 司命堂医院の診療科目は、ご覧のようにかなり多いですね!


 「バスセンター前」の信号を渡ると、標識<内田本陣跡>があったので撮ってみました。
 尚、本陣は、大名、勅使、公卿、宮門跡、公用の幕府役人などだけが宿泊や休憩ができた施設みたいです。

<澤邊本陣跡>

 旧東海道を歩いていると、道路の反対側に標識<澤邊本陣跡>があったので渡ってみました。


 澤邊本陣は戸塚宿に2つあった本陣のうちの1つです(もう1つは、先程の内田本陣です)。
 「明治天皇戸塚行在所跡」の石碑もありましたが、後の民家を撮っているようなので早々に退散しました。

<海蔵院(かいぞういん)>

 戸塚消防署を超えると、右側に寺院の屋根が見えたので坂道を上ってみました。
 坂道の左側に、海蔵院の案内板が出ていたので行ってみました。


 駐車場の奥に海蔵院の門柱があったので撮ってみました。


 門柱の左側奥に鐘楼があったので見に行ってみました。


 梵鐘の下には古い木材などが積まれていて、海蔵院山門修復事業の看板が置いてありました。


 鐘楼の横を通って本堂に行ってみることにしました。
 

 鐘楼の脇に、小さな心仏(こぼとけ)がいたのでアップで撮ってみました。


 近くに、ご覧のような植物(カシワバアジサイ?)があって、円錐状の花を付けていました。


 あまり見たことのない花だったのでアップで撮ってみました。


 本堂の前に遣って来たので、本堂を撮ってみました。


 本堂で、無事に藤沢駅まで行けるようにお参りをしました。


 お賽銭箱の手前に、ご覧のような「もちあがり地蔵」がありました。


 「もちあがり地蔵」は何のためにあるのか分かりませんが、重たくて持ち上がらと言う意味ですかね!?
 ⇒ 因みに、片手で持ち上げてみましたが、持ち上がらないほど重くはありませんでした。


 本堂の脇にも、ご覧のような心仏がいたので撮ってみました。


 本堂を後に、山門に向かって歩いていると、ご覧のようなアジサイが咲いていました。




 今年、初めて見る素晴らしいアジサイだったのでアップで撮ってみました。


 山門の手前に、2列に並んでいる六地蔵尊があって、珍しかったので撮ってみました。


 山門に着いたので、由緒ありそうな山門を撮ってみました。


 ついでに、立派な竜の彫刻と山号(惠照山)をアップで撮ってみました。


 山門の先に、七福神の布袋様がいたのでアップで撮ってみました。
 ⇒ 若しかしたら、清源院に毘沙門天様がいたので「戸塚宿七福神めぐり」があるかも知れませんね!?


 山門の下は、ご覧のような参道になっていて旧東海道に出れました。

<八坂神社(やさかじんじゃ)>

 旧東海道に出て5分程歩くと、右側ご覧のような鳥居のある八坂神社に着きました。


 鳥居をくぐると、左手に横浜市指定無形民俗文化財「お札まき」の説明案内板がありました。
 説明案内板には、『お札まきは、7月14日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。この踊りは、江戸時代中期、江戸や大坂で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。・・・』と書かれていました。


 正面には拝殿、左には境内社の稲荷社、右には神楽殿がありました。




 左右の可愛らしい狛犬を撮って拝殿に向かいました。


 取り敢えず、立派な拝殿をアップで撮ってみました。


 ついでに、右側の神楽殿もアップで撮ってみました。


 鳥居の右側に、「明治天皇東幸史蹟」があったのでこちらも撮ってみました。


 又、鳥居に左側に、国土地理院関東地方測量部の水準点があったので撮ってみました。

<冨塚八幡宮(とみづかはちまんぐう)>

 「八坂神社前」の信号を渡って暫く進むと、右側に冨塚八幡宮の鳥居がありました。


 取り敢えず、ご覧のような手水舎で身を清めて境内に入りました。


 境内に、神輿庫があったので撮ってみましたが、神輿は外ガラスが光ので撮れませんでした。


 ご覧のような階段を上って拝殿に向かいました。


 階段を上ると、由緒ありそうな拝殿があったので撮ってみました。




 拝殿の手前に、可愛らしい狛犬がいたので撮ってみました。


 折角なので、お参りしてから拝殿の内部を撮らせていただきました。


 拝殿の左側に、境内社の冨塚天満宮と玉守稲荷神社がありました。


 折角なので、冨塚天満宮の社殿をアップで撮ってみました。
 傍の説明案内板に依ると、此の社殿は明治元年に建立し、境内の奥まった所にあったみたいです(平成12年に移設)。


 ついでに、石段を上って玉守稲荷神社をアップで撮ってみました。


 玉守稲荷神社の石段を下りると、右側に御嶽大権現が祀ってあったので撮ってみました。




 御嶽大権現の奥に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。


 境内の外れに、青色の目印を埋め込んである場所がありました。
 傍に行ってみると、目印には『ここに21世紀へのメッセージをタイムカプセルに託す。』と書いてありました。


 拝殿の横に戻って来ると、拝殿の後ろに本殿(?)が見えたので撮ってみました。


 冨塚八幡宮の北側には冨塚古墳や冨塚八幡緑地がありますが、別の機会に行くことにして、ご覧のような急な階段を下って境内に戻りました。


 冨塚八幡宮の前にある横断歩道を渡って、秋葉神社に行ってみることにしました。

<秋葉神社・諏訪社>

 横断歩道の先の細い道を暫く歩いて右に曲がると、標識<秋葉神社 諏訪社>がありました。
 秋葉神社と諏訪社の関係は分かりませんが、取り敢えず、階段を上ってみました。


 階段の上に着くと、鳥居と社殿がありました。


 鳥居の先には何も見えなかったので、社殿の方に行ってみました。


 取り敢えず、ご覧のような社殿を撮ってみました。


 社殿の扁額(秋葉神社)をアップで撮ってみました。
 扁額が斜めになっているところを見ると、手入れがあまり行われていないようです。


 秋葉神社の後から諏訪社に行って、社殿と石塔(烏帽子水干姿の人物が彫ってある?)を撮ってみました。


 折角なので、諏訪社の鳥居を撮ってみました。

 階段を下りて来た道を戻って、再び旧東海道に出て藤沢方面に向かいました。

<第六天神社>

 旧東海道を10分程歩くと、右側に第六天神社があったので境内に入ってみました。




 取り敢えず、比較的新しい社殿と扁額を撮ってみました。


 2つに割れて補強されている石碑を後から撮ってみました。


 石碑の表に回ると「藤行翁之碑」と読めますが、何者なんでしょうね!?

 第六天神社からは、「大坂」の名前が付いている上りの長い坂道になります。

<大坂(おおさか)>



 坂道の途中に、ご覧のような石仏群があったので撮ってみました。


 旧東海道の上は、東海道の新道になっているので、階段を登れば新道に出れます。

<十ノ区あじさい公園>

 第六天神社から坂道を10分程上ると、ご覧のような「十ノ区あじさい公園」に着きましたが、アジサイは2ヶ所しか咲いていませんでした。




 取り敢えず、貴重なアジサイをアップで撮ってみました。


 もう1ヶ所のアジサイも撮って、公園を後にしました。

<大坂松並木>

 大坂を更に上ると、ご覧のような見晴らしの良い丘(新道大坂上)に着きました。


 近くに、標識<大坂松並木>があったので撮ってみました。


 振り返って、中央分離帯の松並木を撮ってみたのですが・・・


 又、先の方も撮ってみたのですが、松並木かどうかは分かりません。

<「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑>

 標識<大坂松並木>から旧東海道を7~8分歩くと、老人ホームの前に「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑がありました。


 取り敢えず、「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑を撮ってみました。


 傍に、「碑石の由緒」があったので読んでみましたが良く分かりません。
 私が知っているのは、お軽・勘平は仮名手本忠臣蔵に登場する人物で、勘平は討入りには参加していませんが、討入り連判状に加えられた人物と言うこと位です。

<原宿一里塚跡>

 「お軽勘平戸塚山中道行の場」の碑から旧東海道を5分程歩と、ご覧のような標識が出ていました。
 宝製菓の工場でもあるのか「宝ビスケット」の看板が出ていました。


 更に5分程歩くと、標識<原宿一里塚跡>があったので撮ってみました。

<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

 旧東海道を歩いていると、道路の反対側に浅間神社があったので行ってみました。


 取り敢えず、鳥居を撮ってみました。尚、鳥居の手前右にあるのは庚申塚です。


 ご覧のような参道を通って社殿に向かいました。




 参道に、常緑高木でブナ科のスタジイの大木があったので撮ってみました。


 境内から社殿が見えたので撮ってみました。尚、左にあるのは原宿町内会館です。


 社殿でここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。




 お参りしてから竜の彫刻と扁額を撮ってみました。


 社殿を横から撮って、参道に戻りました。


 ご覧のような参道を下って、旧東海道に戻りました。

<大運寺(だいうんじ)>

 浅間神社を後に、旧東海道を5分程歩くと右側に大運寺がありました。


 六地蔵尊を撮ってから、門は閉まっていました山門に行ってみました。
 山門は閉まっていましたが、横の通用門から境内に入れました。


 門の近くに、将棋を指している羅漢様がいました。


 近くに、法然上人の銅像があったので撮ってみました。




 又、参道の左側に、ご覧のような手水舎と二宮金次郎の石像があったので撮ってみました。


 参道の先に、本堂が見えたので行ってみました。


 左側に、歌碑『月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ』と勢至丸(法然上人の幼名)像があったので撮ってみました。


 本堂の石段下に着いたので、下から本堂を撮ってみました。




 石段を上って、お参りしてから向拝と扁額を撮ってみました。


 折角なので、本堂の内部も撮らせていただきました。


 大運寺の山門を撮って、旧東海道に戻りました。

<聖母の園>

 原宿交差点を渡ると、バス停「聖母の園前」がありました。
 「聖母の園」が気になったので、旧東海道を外れて住宅地に入ってみました。


 住宅地の中を10分程歩くと、特別養護老人ホーム「聖母の園」がありました。




 

 取り敢えず、園内を撮らせて頂きましたが、クリニックやテニス場もありました。

<ウイトリッヒの森>

 「聖母の園」の先に「ウイトリッヒの森」があるので行ってみました。


 「ウイトリッヒの森」は、スイス人技術者のアーノルド・ウイトリッヒ氏が所有していましたが、相続者が横浜市に寄贈した市民の森みたいです。
 「ウイトリッヒの森」は竹林や広場もあって広さは3.1haありますが、今回は散策するのは諦めました。


 来た道を戻っていると、電柱にリスがいました。
 どうやら「聖母の園」から電線を伝わって遣って来たみたいです。


 下りる場所を探しているのか、辺りを見渡していたのでアップで撮ってみました(最終的に下りて何処かに行ってしまいました)。

<崎陽軒レストラン>

 旧東海道に戻って暫く歩くと、焼売で有名な崎陽軒のレストランがありました。


 取り敢えず、看板を撮ってレストランの入口に行ってみました。




 今日は貸切みたいなので、建物の入口を撮って旧東海道に戻りました。

<影鳥歩道橋東側>

 旧東海道を10分程歩くと「影鳥歩道橋東側」の信号に着きました。


 傍にあった電柱の宝製菓の矢印が右矢印に変わっていました。
 今まで直進の矢印しか見ていなかったので、何故か目的地に着いた感じがしました。
 ホッ!として歩いていると、藤沢駅北口行きのバスが来たので乗ってしまいました。

 藤沢駅に着いたので、いつもの居酒屋に入って飲んで帰りました。
 今回の「旧東海道(戸塚宿~原宿)をぶらり」は、殆ど下調べはしていなかったのですが、旧東海道沿いにある神社仏閣が回れたので満足しています。
 又、万歩計は19,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
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鹿野大仏(ろくやだいぶつ)参拝

2018年05月13日 | Weblog
 5月12日(土)は、4月11日から特別事前公開を開始した東京都西多摩郡日の出町にある塩澤山寳光寺(宝光寺)の鹿野大仏に行ってみました。
 尚、鹿野大仏の全貌公開は10月10日の予定みたいです。又、鹿野大仏の高さは12mで、鎌倉の大仏(11.3m)より大きいみたいです。

 宝光寺は、JR五日市線の武蔵引田駅や武蔵増戸駅から徒歩(30分弱)、又は、JR青梅線の福生駅からバス(バス停「塩沢秋川霊園」下車、徒歩5分)などで行けますが、武蔵引田駅から行ってみました。

<武蔵引田駅(むさしひきたえき)>

 武蔵引田駅は、始めて降りる駅なので撮ってみました。


 周辺案内図で現在地を確認しましたが、駅周辺はご覧のようにあっさりしていました。


 辺りを見渡すと、ご覧のような看板があったので、駅の反対側の秋川近くにはバーベキュー場があるみたいです。


 駅前に、桜の巨木(保存樹木?)があったので撮ってみました。


 又、足元に素晴らしい葵が咲いていたので撮ってみました。

 宝光寺は武蔵引田駅から北西の方向にあるので、取り敢えず、都道165号線に出てみることにしました。

<宝光寺に向かう>

 農道を歩いていると、ご覧のような植物が植えてある畑がありました。


 近くにいた農家の人に聞くと、キウイフルーツだと教えてくれました。


 山の中腹に、ご覧のような構造物が見たので撮ってみましたが何でしょうね!?




 都道に出ましたが、ご覧のように交通量は多くありません。


 取り敢えず、都道を渡ってビニールハウスの脇の道を先に行ってみました。




 ご覧のような農道を進みますが、車も殆ど通らないので歩き易いです。


 山の中腹に大仏らしきものが見えました。


 確かにアップで撮ると大仏でしたが、大仏との出会いは呆気なかったです。




 大仏は見つけたので、後は余裕を持って歩くことができます。
 農道の脇に咲いていた、ご覧のような花(名前は分かりません)を撮ってみました。


 住宅地に入ると大仏が見えなくなるので、気が付いたら大分西の方に来ていました。
 ご覧のような場所で、一息入れて東の方に向かいました。


 歩いていると、ご覧のようなマンホールがあって蓋が「日の出」だったので撮ってみました。


 暫く進むと、ご覧のような坂道の上に出ました。
 白い建物の先に橋が見えたので、橋まで行ってみることにしました。


 白い建物(日の出町シルバー人材センター)の先には、平井川に架かる柳橋がありました。


 柳橋の上から平井川の下流方面を撮ってみました。


 柳橋を渡って河川敷に行くと、ご覧のような「お知らせ」が出ていました。
 今日(12日)は事前の準備日でしたが、辺りに人はいませんでした。


 取り敢えず、河川敷から柳橋を撮ってみました。

 近くに、都道184号線があるので行ってみることにしました。




 都道に向かって農道を歩いていると、畑に葵が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 又、素晴らしいシラン(紫蘭)も咲いていたのでアップで撮ってみました。


 都道184号線に出たので、バス停「塩沢秋川霊園」で都道を渡りました。


 福生方面に向かって暫く歩くと、「塩沢」信号があるので左に曲がります。

<塩澤山寳光寺(宝光寺)>

 宝光寺の総門に着きましたが、武蔵引田駅からは約45分掛かっていました。


 総門の右側に六地蔵尊があったので撮ってみました。


 総門の扁額を撮ってみましたが、「鹿野山」と書いてあるのですかね!?


 十六羅漢が祀られているご覧のような参道を通って山門に向かいます。








 取り敢えず、気に入った羅漢様を撮ってみました。


 山門の下に着いたので、扁額(塩澤山)が掲げられている山門を撮ってみました。






 山門の階段側に、金剛力士像(仁王像)が立っていたので金網越しに撮ってみました。
 尚、仁王像の後にぶら下がっているのは草履ですかね!?




 又、境内側には四天王像が祀られていたので撮ってみました。


 山門をくぐると左側に、ご覧のような宝光寺の復興記念碑がありました。


 碑の下に、ご覧のような紫蘭が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 正面に、立派な本堂が見えたので撮ってみました。


 本堂で、無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。
 ところで、扁額は「寶光禅寺」と書いてあるのですよね!?


 本堂の左側に座禅堂があったので撮ってみました。


 座禅堂の近くに鐘楼があったので行ってみました。






 折角なので、鐘楼に上がって見事な池を撮ってみました。


 ついでに、梵鐘も撮ってみました。


 又、鐘楼から本堂が見えたので撮ってみました。


 山門を右に見ながら客殿に行ってみました。




 客殿に着いたので、玄関口を撮ってみましたが、扁額は何と書いてあるのか分かりません。


 客殿の前にいたカメラマンに大仏への行き方を聞くと、本殿と客殿の渡り廊下の下を通れば通用門(?)に出れると教えてくれました。
 ⇒ カメラマン曰く、寺にお参りしないで、直接、大仏に行く人がいると嘆いていました。




 渡り廊下をくぐると、ご覧のような池があって、左奥は墓地になっていました。




 白とピンク色の睡蓮が咲いていたので撮ってみました。


 ついでに、池の鯉もアップで撮ってみました。


 ご覧のような通用門(?)から宝光寺の外に出ました。


 取り敢えず、通用門を撮ってみました。
 鹿野大仏は宝光寺の裏山(鹿野山)にあるので山の方に行きますが、『ペット同伴での大仏参拝は禁止と致します。』の立看板がありました。

<西参道に向かう>

 道なりに暫く歩くと、”秋川”が刈り込まれているツツジの秋川霊園の駐車場がありました。


 駐車場の右側にあったトイレの手前に、ご覧のような達磨堂があったので撮ってみました。


 ガラス越しだったのですが、達磨大師のお顔をアップで撮ってみました。


 参道が工事中なので、ご覧のような案内が出ていました。




 歩行者通路から大仏が見えたのでアップで撮ってみました。


 歩きながら工事中の鹿野大仏参道を撮ってみました。


 現在は通行止めになっていますが、参道にある橋を撮ってみました。

<西参道(上り)>

 ここからは、ご覧のような西参道を通って鹿野大仏に向かいました。


 入口に、参拝用の杖が置いてあったのでアップで撮ってみました。




 西参道を歩いていると、ご覧のような祠が見えたのでアップで撮ってみました。
 尚、手前の木の下には日の出町指定史跡「鹿の湯」の案内板がありました。






 西参道は、ご覧のような杉の木のある山道になっていました。


 山道の最初のコーナーを曲がると、ご覧のようなウッドチップ道になりました。




 山道を登っていると、下から大仏が見えたのでアップで撮ってみました。


 ご覧のような二つ目のコーナーに遣って来ました。


 曲がり角に、可愛らしいカップル石像があったので撮ってみました。


 ここからも大仏が見えたので撮ってみました。






 最後のコーナーを曲がると、正面に大仏が見えたのでアップで撮ってみました。


 大仏を右に見ながら最後の山道を登ります。


 途中で、大仏を撮っている人がいたので私も撮ってみました。


 山道の傍らに、ご覧のような石祠があったので撮ってみました。

<鹿野大仏(ろくやだいぶつ)>

 大仏の前に着いたので台座(蓮華座と八角台座)と一緒に撮ってみました。


 左手に、ご覧のような手水があったので撮ってみました。
 又、センサーが付いているので柄杓を近付けると自動で水が出ました。


 大仏の正面で参拝者がいなくなったのを見計らって、台座と一緒に撮ってみました。




 大仏の前でお参りしてから、可愛らしいお釈迦様を撮ってみました。
 ついでに、お釈迦様に甘茶をかけてみました。




 折角なので、大仏を下からアップで撮ってみました。
 

 大仏の目線で眼下に広がる景色を撮ってみました。




 取り敢えず、大仏の周りを一回りしてみました。


 家紋が気になったので撮ってみました。
 お寺にお客様が来たら美味しいお茶を出して、もてなそうとの思いを込めて「茶の実」紋にしたみたいです。


 大仏様の周りを一回りしたので、大仏を撮って下山することにしました。

<西参道(下り)>

 山道から工事中の参道が見えたので撮ってみました。


 又、奥に東京サマーランドの大観覧車が見えたのでアップで撮ってみました。


 上る時には気が付かなかったのですが、ご覧のような石仏を見つけたので撮ってみました。


 ご覧のような歩き易いウッドチップ道を下って出口に向かいました。




 日の出町指定史跡「鹿の湯」まで戻って来たので、通行止の橋と一緒に撮ってみました。

<秋川霊園の駐車場>



 駐車場の手前で振り向くと、鹿野大仏が見えたのでアップで撮ってみました。




 達磨堂の横に、ご覧のような菩提樹があったのでアップで撮ってみました。




 達磨堂近くの休憩所に行くと、下の方に鹿光墓苑の入口が見えたのでアップで撮ってみました。


 ご覧のような外塀の脇を通って、通用門から宝光寺に戻りました。

<宝光寺>

 山門の前に着くと、復興記念碑と松があったので撮ってみました。


 立派な松だったのでアップで撮ってみました。


 折角なので、本堂と一緒に復興記念碑と松を撮ってみました。




 ご覧のような階段を下って総門に向かいました。


 総門に着いたので撮ってみました。


 総門の左に、ご覧のような石碑があったので撮ってみました。
 石碑には、上から”禁”、”葷”(?)、”酒”の文字が彫ってありました。


 宝光寺の出入口を撮って都道184号線に向かいました。

 都道沿いに「ロン・ヤス会談の碑」があるので行ってみることにしました。


 都道を歩いていると、ご覧のような「日の出」マンホールの蓋があったので撮ってみました。


 又、都道の反対側に「日の出町役場」があったので撮ってみました。


 都道を15分程歩くと、「ロン・ヤス会談の碑」の案内が出ていました。
 昼食も食べていなかったので、道路の反対側にあったお蕎麦屋の「朝日屋」に入ってから「ロン・ヤス会談の碑」に行くことにしました。

<朝日屋>



 13時を少し回っていましたが、ご覧のように先客はいませんでした。
 又、蕎麦以外にいろんなメニューがあったので、酒の肴にして飲んでしましました。


 ご主人のお兄さんが、大和市(南林間)でお蕎麦屋を遣っていると言うので今度行ってみることにしました。
 結局、朝日屋に1時間程いて、JR青梅線福生駅までバスで行って八王子駅経由で帰りました。
 尚、「ロン・ヤス会談の碑」に行くのは忘れていました。

 今回の「鹿野大仏参拝」は、イケメンの大仏様が拝めたので良かったです。
 又、万歩計は、それなりに歩いたので16,000歩を超えていました。
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相模の大凧まつり(2018)

2018年05月06日 | Weblog
 5月5日(土)は、昨年の「相模の大凧まつり(2017)」に続いて、「相模の大凧まつり」(新戸会場)に行ってみました。
 今年は、JR相模線の相武台下駅から歩いて新戸(しんど)会場に行ってみました。


 ご覧のような工場(泰成建工?)の脇を通って会場に向かいますが、今年は例年に比べて人出は多くありませんでした。
 ⇒ 風が吹いていないからですかね? 尚、昨日(4日)は良い風が吹いていました。


 又、今年はご覧のような4連の凧が揚がっているだけでした(いつもは小さな凧も含め数枚が揚がっています)。


 会場に着きましたが、途中で、昨日の凧揚げで怪我をした人がいたと耳にしました。


 相模川散策路から会場を撮ってみましたが、ご覧のように人出は多くありません。


 ついでに、展示してあった8間凧と4間凧(?)を横から撮ってみました。

 会場の凧を見ながら、いつもの定位置に向かいました。




 会場に下りて、『翠風(すいふう)』と書かれている8間凧を撮ってみました。
 尚、大凧の題字は毎年、公募で選ばれているみたいです。


 大きさ14.5m四方、重さ950kgの8間凧を正面から撮ってみました。


 8間凧を斜めから撮って、4間凧の方に行ってみました。


 4間凧の前では、ご覧のように記念写真を撮っている人達がいました。


 暫くすると、人がいなくなったので急いで撮ってみましたが、こちらの題字も『翠風』になっていました。


 定位置に向かって歩いていると、会場では別の凧揚げの準備が始まっていました。
 会場の枠の外に出るようにアナウンスがありました。


 定位置に陣取って、会場の枠の外に出る人達を撮ってみました。


 ついでに、8間凧をアップで撮ってみました。


 カメラの準備も整ったので、ビールを飲みながら凧揚げを待つことにしました。


 『万緑(ばんりょく)』の凧揚げをするようなのでアップで撮ってみました。




 凧を定位置に移動させると、あっと言う間に揚がってしまいました。




 大空に舞う『万緑』をアップで撮ってみました。


 暫くすると、ご覧のような鯉が凧の下に遣ってきました。


 折角なのでアップで撮ってみました。




 会場の8間凧の前には、体全体で8間凧を支えている人がいたのでアップで撮ってみました。


 暫くすると、ご覧のように人が集まって来て、8間凧を倒し始めました。
 ⇒ 8間凧を揚げる時間でもないのに、トラブルでも起きたのですかね!?


 どうやら4間凧のトラブルに巻き込まれないように、8間凧を倒したようです。


 ご覧のように、凧の「引き手指導係り」も移動を始めました。


 この可愛らしい4間凧も難なく揚がってしまいました。




 大空に舞う可愛らしい4間凧をアップで撮ってみました。


 可愛らしい4間凧が大空をゆったり漂っている間にトイレに行きました。


 途中、8間凧の「引き綱」を固定する場所があったので撮ってみました。








 トイレから戻って来ると、ご覧のような「ドラえもん凧(?)」が揚がっていたので撮ってみました。


 2枚の凧を一緒に撮っていると、飛行機雲が現れました。
 ⇒ 若しかしたら、ジェット機で凧揚げを見に来たかも知れませんね!?






 暫くすると、ご覧のように凧の「引き綱」を短くし始めました。
 ⇒ どうやら揚がっている凧を下ろすみたいです。


 最終的に、凧はご覧のように落下してしまいました。






 もう1枚の凧も同じように、「引き綱」を短くすると凧は高度を下げ始めました。


 「ドラえもん凧」を下ろすと、早速、次の凧揚げの準備を始めました。


 風を受けるように凧を立てると、この凧も1回で揚がりました。
 

 力強く上昇する「初節句凧」をアップで撮ってみました。


 良く見ると、3人の名前が入っている『翠風』の凧でした。




 暫くすると、凧連の人達が8間凧の周りに集まって来ました。


 凧揚げの準備が整ったのか、8間凧の左側を持ち上げ始めました。


 準備が整ったようなので、「引き綱」を固定する場所をアップで撮ってみました。
 ⇒ カメラマンも含め余裕がありそうなので、未だ準備中ですね!




 ご覧のように「引き手」にも余裕があります。




 白旗が上がったので凧揚げの準備が整ったようです。


 2分程で8間凧の右側の上部が揚がり始めました。
 良く見ると凧連の人達が両手で右側を押し上げていました。


 左側も浮き上がったので、急いでアップで撮ってみました。
 懸命に、両手で左側を押し上げている凧連の人達がいました。
 

 次の瞬間、8間凧はご覧のような状態になってしまいました。


 申し訳ありませんが、ぺちゃんこになった8間凧をアップで撮ってみました。


 5分程して凧揚げを再開すると、先程よりは凧は浮き揚がりました。


 急いでアップで撮ってみました。
 ここでも、懸命に8間凧を押し上げている凧連の人達がいました。


 次の瞬間、先程より酷い状態で8間凧はぺちゃんこになってしまいました。


 ところで、東の空には、相武台下駅から歩いて来た時に見えた4連の凧が未だ飛んでいました。
 日の丸と星条旗の凧なのでキャンプ座間から揚げられた凧かも知れませんね!?


 5分程すると、ご覧のように再チャレンジの準備が始まりました。


 8間凧は傷んでいないのか? 白旗は上がったままでした。


 暫くすると、8間凧は今までの中で一番高く立ち上がりました。






 次の瞬間、8間凧はご覧のような状態で崩れ落ち始めました。

 「8間凧は骨が折れている」とのアナウンスがあって、補修に時間が掛かりそうなので会場を後にしました。


 会場の南側で泳いでいた鯉のぼりを撮ってみました。




 相模川散策路から会場を撮ってみましたが、頑張って未だ残っている人もいました。


 最後に、新戸会場の全体を撮って相武台下駅に向かいました。


 相武台下第2踏切の手前に着いたので川を撮ってみました。
 尚、この川の流量がいつも多いのが通る度に気になっています。


 第2踏切から相武台下駅を撮って、海老名駅でJR相模線から相鉄線に乗り換えて帰りました。

 今回の「相模の大凧まつり」は、風に恵まれず揚がっている8間凧を見ることは出来ませんでしたが、それ以外の凧が見れたのでそれなりに満足しています。
 尚、万歩計は、大して歩いていないので6,000歩を超える程度でした。
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伊東:観光巡り(大室山・城ヶ崎海岸編)

2018年05月02日 | Weblog
 「伊東:観光巡り(蝋人形美術館編)」から続く。

 蝋人形美術館を後に、県道351号線を通って「さくらの里」に戻りました。

<さくらの里>



 「さくらの里」のトイレの後ろに、素晴らしいシャクナゲが咲いていたのでアップで撮ってみました。


 更に上の方に、石段のある石碑群があったので見に行ってみました。


 何だか良く分かりませんが、取り敢えず、横からアップで撮ってみました。


 正面に回ると、ご覧のようなステージになっていました(「何だって言う」感じですね!)。


 近くに、ご覧のような「さくらの資料館」もあったのですが、鍵が掛かっていて入れませんでした。


 桜は咲いていませんが、桜の木と一緒に大室山を撮ってみました。


 ご覧のような散策路を通って、「さくらの里」の上(北)の方に行ってみました。








 「さくらの里」の上の方に遣って来ると、大室山が近くに見えるようになって来ました。 

<大室山>

 大室山の赤い鳥居の前に戻って来ると、未だお昼前だったので大室山の山頂に行ってみることにしました。


 大室山登山リフトの乗車券売り場で「伊東観光フリーパス」を提示すると乗車券が50円引になりました。
 リフトは途中で一時停止しましたが、6分程で山頂に着きました。
 

 早速、山頂に行って富士山が拝めるかどうかチェックしました。


 雲の下の方に、薄っすらと富士山が見えたので撮ってみました。




 アップで撮ると、雲はかかっていますが富士山は見えました。






 待っていても富士山の雲が無くならないので、後の大室山噴火口のお鉢を撮ってみました。


 取り敢えず、見晴らしの良さそうなお鉢の入口に行ってみました。


 遠くに、一碧湖、小室山と初島が見えたので撮ってみました。




 一碧湖と小室山をアップで撮ってみました。


 ここからも富士山が見えたので撮ってみました。




 リフトを下りている時に、下の方に見えた景色を撮ってみました。
 山麓駅近くに遣って来ると、リフト下の斜面を登っている係員(2人)がいました。
 ⇒ 降りてから聞くと、サングラスを落とした人がいると言うことでした(人騒がせな人がいるものですね!)。


 大室山の赤い鳥居の近くに遣って来たので、バス停「シャボテン公園」で帰りの時間を確認しました。
 「伊豆海洋公園」行きのバスがあったので、昼食を食べながら時間調整をしました。
 「伊豆海洋公園」の近くには、城ヶ崎海岸ピク二カルコースがあるので城ヶ崎海岸まで歩くことが出来ます。

<城ヶ崎海岸ピク二カルコース>

 「シャボテン公園」からバスに乗ると30分程で「伊豆海洋公園」に着きました。
 「伊豆海洋公園」に着いたので、早速、城ヶ崎海岸ピク二カルコースの入口に行ってみました。


 石碑の脇にあるご覧のような石段を下って城ヶ崎吊橋まで行ってみます。
 取り敢えず、行きは散策コース(約20分)、帰りは林間コース(約10分)にしました。


 道標に依ると、散策コースは門脇岬灯台・吊橋までは1.1kmです(林間コースは0.8km)。


 散策コースは、ご覧のような急こう配の階段からスタートします。


 階段の下は、ご覧のような柵のある歩き易い散策路になっていました。


 柵越しに、ご覧のような景色が見えたので撮ってみました。




 折角なので、沖の岩礁をアップで撮ってみました。


 散策路を進むと、ご覧のような東屋があってピンク色のキャリーバックが置いてありました(不用心ですね!)。


 近くに道標があって、門脇岬灯台・吊橋までは1.0kmになっていました。


 海が前面に広がっているご覧のような岩場に着きました。


 岩場に腰掛けて歓談している若者達がいましたが、沖の岩礁は先程見た岩礁のようですね!?


 折角なので、右側の岩場も撮ってみました。


 左側がご覧のような岩場になっている入り江がありました。


 入り江の岩場で釣りをしている人がいたのでアップで撮ってみました。




 散策コースには、木々が生い茂った所やご覧のような階段もありました。


 散策路を歩いていると、ご覧のような入り江が見えたので撮ってみました。


 散策路を更に進むと、釣りの後片付けをしている若者達のグループがいました。


 折角なので、アップで撮ってみました。


 門脇岬灯台・吊橋まで0.8kmのところに遣ってきました。




 近くに、「しんのり」の案内が出ていたのですが、木々が生い茂っていて岬は撮れませんでした。


 散策路を更に進むと、ご覧のような岩場の入り江を見渡せる場所がありました。


 柵がないので危険ですが、アップで撮ってみました。


 ここは、林間コース(左)と散策コース(右)がぶつかる地点になっていました。
 尚、散策コースでは、門脇岬灯台・吊橋までは後0.7kmです。


 ご覧のような散策路を通って、更に先に進みます。


 散策路を歩いていると、門脇岬灯台が見えたのでアップで撮ってみました。


 散策路に「びしやご」の案内が出ていたのですが、どの岬なのか分かりません。


 散策路に道標<穴口(あなぐち)>が出ていたので行ってみました。




 道標に従って、海岸沿いの岩場に出てからは、ご覧のような橋のある散策路になるので少し不安になります。


 橋の上から、ご覧のような穴口が見えたので撮ってみました。
 穴口は、満潮時には海水が入って来る穴みたいですね!?


 穴口を後に散策路を進むと、ご覧のような岩のある海岸に出ました。


 奇妙な形の岩があったのでアップで撮ってみました。


 又、左の奥の方に門脇岬灯台が見えたので撮ってみました。




 折角なので、門脇岬灯台をアップで撮ってみました。


良く見ると、岩場で釣りをしている人(青色ジャケット着用)がいました。


 海岸から散策路に出ると、門脇岬灯台・吊橋まで0.1kmの所に来ていました。




 散策路を歩いていると、海岸が見渡せそうな柵がありました。


 木々が邪魔していますが、柵越しに先程の海岸が見えたので撮ってみました。




 折角なので、奇妙な岩をアップで撮ってみました。


 又、手前に釣りをしている人が見えたので撮ってみました。




 ご覧のような散策路を進むと、門脇岬灯台の下にある岩場に着きました。


 逆光だったのですが、歩いて来た散策コースの海岸を撮ってみました。


 手前の岩場で釣りをしている人(青色ジャケット着用)が見えたのでアップで撮ってみました。


 見上げると、ご覧のような碑があって『雨の城ケ崎』の歌詞が刻まれていました。
 星野哲郎が作詞した歌詞を下に載せました。
 『元気だせよと抱きしめる あなたの向こうに大島が かすかに浮かぶ門脇岬 泣くだけ泣けば晴れるのね このまま一生相合傘で ぬれていきたい雨の城ヶ崎』 




 取り敢えず、海を撮ってみましたが、大島は見つけられませんでした。


 背後に、国立公園城ヶ崎(1995年に富士箱根国立公園に指定)の記念碑があったので撮ってみました。




 記念碑の後に行ってみると、ご覧のような岩石岬(おおばい?)が見えたのでアップで撮ってみました。




 岩石岬を見ながら、ご覧のような散策路を通つて吊橋に行ってみました。


 長さ・48m、高さ・23mの門脇吊橋に着きました。




 吊橋を渡り始めると、右側に先程の岩石岬が見えたので撮ってみました。


 この時間は、ご覧のように吊橋を渡っている人はあまりいませんでした。


 先程の岩石岬が、間近で見えたので撮ってみました。


 左側に舟形と呼ばれている小さな入り江があったので撮ってみました。


 吊橋の終わり近くで振り返ると、門脇岬灯台が見えたので吊橋と一緒に撮ってみました。


 吊橋を渡り切ったので、門脇岬灯台と一緒に吊橋を斜めから撮ってみました。


 ここにも、ご覧のような国立公園城ヶ崎の記念碑があったので撮ってみました。


 又、ご覧のような東屋(見晴台?)が出来ていたので撮ってみました。
 

 見晴らしの良さそうな下の散策路を撮って、吊橋に戻ることにしました。


 吊橋をアップで撮ると、いつの間にかご覧のように多くの人が渡っていました。


 帰りは、吊橋を渡って門脇岬灯台を通って林間コースで「伊豆海洋公園」に戻ることにしました。


 門脇岬灯台の下に着いたので、近くの灯台売店で一休みしました。


 帰り掛けに、「半四郎の落し処」の名前が付いている公衆トイレがあったので撮ってみました。

<伊豆海洋公園> 

 帰りの林間コースは殆ど見る所がなく、10分程で「伊豆海洋公園」に着いてしまいました。
 ここからは、伊東駅に行くバスがなかったので伊豆高原駅に行くことにしまた。
 ご覧のようなカフェレストランで冷たい飲み物を頼んでバスを待ちました。

<伊豆高原駅>

 「伊豆海洋公園」からバスに乗ると20分程で伊豆高原駅に着きました。
 伊豆高原駅には、前にはなかった「見足(みあし)の湯」がありました。


 後ろに回ってみると、子供達が足湯を楽しんでいました。






 伊豆高原駅を見ると、観光列車「ザ・ロイヤルエクスプレス」が停まっていたので撮ってみました。


 駅前には、江戸城築城石と御石曳があったので撮ってみました(前にもありましたね!)。


 折角なので、写真と一緒に江戸城築城石をアップで撮ってみました。


 後ろに、樹齢150年の楠(クスノキ)あったので撮ってみました。

 駅ビル「やまもプラザ」に、2015年10月「城ヶ崎海岸(大室山編)」で入って美味しかったお店(魚介・海鮮料理)があったので行ってみました。
 お店の名前は、「さらduさら」から「おかりば」に変わっていましたが、味は変わっていませんでした。
 結局、長居をしてしまい、帰りの「JR特急スーパービュー踊り子」は伊豆高原駅から乗ることになってしまいました。

 今回の「伊豆:観光巡り」は、小室山公園では素晴らしいツツジは見られませんでしたが、予定していた東海館と蝋人形美術館が回れたので良かったです。
 又、今日の万歩計は13,000歩を超えていたので、それなりの運動にはなりました。
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伊東:観光巡り(蝋人形美術館編)

2018年05月01日 | Weblog
 「伊東:観光巡り(東海館編)」から続く。

 今日(28日)は、先ず、2015年10月「城ヶ崎海岸(大室山編)」で行けなかった、蝋人形美術館に行ってみることにしました。

 蝋人形美術館は、大室山・さくらの里の近くにあるのは分かっているので、伊東駅からはバスの終点「シャボテン公園」を経由して行くことになります。

<シャボテン公園>

 シャボテン公園に着いたので大室山の赤い鳥居を撮ってみました。




 大室山を左に見ながら県道351号線を下って「さくらの里」に行ってみました。

<さくらの里>

 県道の途中にあった、ご覧のような石段を下って「さくらの里」に行ってみました。


 桜の時期ではないので、「さくらの里」はご覧のように閑散としていました。




 辛うじて花を付けいている桜(普賢象?)があったのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、ラベンダー畑の脇を通って「さくらの里」の正面入口に行ってみました。


 ご覧のような、石碑があったので撮ってみました。


 又、ラベンダー畑の奥に、ご覧のような朽木(?)があったので正面に回ってみました。


 人が両手を上げているように見えたのでアップで撮ってみました。




 「さくらの里」を歩いていると、ご覧のような東屋があったので撮ってみました。


 東屋の先は、二股の散策路に分かれていましたが、蝋人形美術館は県道沿いにありそうなので右の方に行ってみました。


 散策路の斜面にも、ご覧のような桜の木が植えてありました。
 どうやら、「さくらの里」は大室山の麓に桜の木を植えてあるみたいです。






 この辺りは松月桜(しょうげつざくら)が植えてありましたが、見頃は完全に終わっていました。


 散策路の先に、ご覧のような高浜虚子文学碑があったので撮ってみました。




 全文は、『人生とは何か 私は唯月日の運行 花の開落鳥の去来 それらの如く人も亦 生死していくといふ ことだけ承知して ゐます』ですが、意味は良く分かりません。


 県道近くに、ごらんのような石碑があったので大室山と一緒に撮ってみました。

<蝋人形美術館>

 石碑を撮って県道に出ると、坂道の上に蝋人形美術館らしき建物が見えました。


 蝋人形美術館の入口が分からなかったので、少しウロウロしてしまいました。


 県道を左の方に行くと、駐車場の奥に蝋人形美術館の入口がありました。
 
 受付で「伊東観光フリーパス」を提示すると入館料が10%割引になりました。
 又、別に1,000円払うと皇室の人達以外の写真は撮影OKと言うことでした。




 ギネスに登録されていた世界一の巨漢が座っていたので撮ってみました。




 先ずは、ご覧のようなチャールズ・チャップリンが出迎えてくれました。


 撮影禁止の皇室の隣りには、ラテン音楽で有名な有馬徹(?)がいました。
 ラテンビッグバンド「有馬徹とノーチェ・クバーナ」は知っていますが有馬徹を見るのは初めてです。




 順路に従って2Fに行くと、階段の上にツタンカーメンが立っていました。


 通路の奥には、スタートレックのスポック船長がいたので撮ってみました。


 何故か、近くにローマ法王(教皇)がいました。






 次は、上杉謙信、徳川家康、豊臣秀吉、武田信玄が偉そうに座っていました。


 織田信長もいましたが、眠たそうな感じがしました。


 何故か、志村けんのバカ殿もいたので撮ってみました。


 懐かしいビートルズの4人がいました。
 現時点で存命しているのは、リンゴ・スターとポール・マッカートニーだけですね!


 ユル・ブリナーとエリザベス・テイラーがいましたが、共演した映画はなかったと思いますが・・・


 豊満な胸だったのでアップでも撮ってみました。


 次は、元内閣総理大臣の伊藤博文と吉田茂が並んで立っていました。




 飲みながら煙草を吸っている石原裕次郎がいたのでアップで撮ってみました。


 次は、世界の大物政治家(左から、ヤセル・アラファト、ガンジー、ゴルバチョフ、リンカーン、ビル・クリントン、中曾根康弘、金丸信)が集まっていました。


 取り敢えず、ビル・クリントン、中曾根康弘、金丸信をアップで撮ってみました。




 これを見るとゴルバチョフは、結構おちゃらけた人だったのですね!?


 次は、作曲家のバッハ、モーツアルト、ベートーヴェンがいたので撮ってみました。、


 今度は、西郷隆盛と勝海舟がいました。




 何故か、ご覧のような檻に入っているマイク・タイソンがいました。


 ターミネーター(アーノルド・シュワルツェネッガー)とスポック(レナード・ニモイ)がいたので撮ってみました。


 映画「猿の惑星」で登場する主役の猿と捕らえた人間のテイラー(チャールトン・ヘストン)がいたので撮ってみました。




 悪魔にとりつかれた少女人がベットに寝ていて、首が一回りしたのには驚きました。
 ⇒ 怖いですね!


 狼男とドラキュラ伯爵(クリストファー・リー?)がいたのでアップで撮ってみました。


 今度は、ご覧のようなフランケンシュタインがいましたが、足首を掴まれている人は誰ですかね!?


 フランケンシュタインもアップで撮ると可愛らしいですね!?


 今度は、魔法使いの傍で「マリリン・モンローと愉快な仲間たち」が戯れていました。
 良く見ると、仲代達矢、タケシ、青島幸男、三國連太郎、堺正章、江川卓、タモリがいました。


 江川卓は、『心臓が止まっているのに笑っている。酒がきているのかな。』とバカなことを言っていました。


 又、タケシはマリリン・モンローのスカートの中を覗いていました。


 スカートの中を覗いているタケシより助平なガキがいたので撮ってみました。


 映画「ローマの休日」で出てくる「真実の口」があったので撮ってみました。


 レオナルド・ダ・ヴィンチとモデルのモナ・リザがいたので一緒に撮ってみました。




 折角なので、別々にアップで撮ってみました。


 次は、キリストが処刑される前夜に、12使徒と共に摂った「最後の晩餐」がありました。










 右側から順に13人(シモン、タダイ、マタイ、フィリポ、大ヤコブ、トマス、イエス、ヨハネ、ペトロ、ユダ、アンデレ、小ヤコブ 、バルトロマイ)を撮ってみました。


 最後にイエスを撮って、「最後の晩餐」を後にしました。


 出口に遣って来ると、イチローと小泉純一郎が一緒に立っていました。


 折角なので、アップで撮ってみました。

 蝋人形美術館は30分程で見ることができましたが、自分の蝋人形を作ると価格は2000万円、納期は1~2年になるみたいです。


 駐車場に戻ると、奥に記念撮影用オブジェ(?)があったので撮ってみました。


 県道から蝋人形美術館の建物を撮って、「さくらの里」を通って大室山の赤い鳥居に向かいました。

 「伊東:観光巡り(大室山・城ヶ崎海岸編)」に続く。
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