飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

旧津久井道の寺社巡り

2021年01月31日 | Weblog
 1月30日(土)は、小田急線の登戸駅から向ヶ丘遊園駅を歩いて旧津久井道の面影をたどってみました。

 今回は、多摩区観光協会「旧津久井道と職人の街を歩く」のモデルコースに従って歩くつもりだったのですが、小田急線登戸駅の西側が再開発(登戸土地区画整理事業:2025年度完了予定)されていたのでモデルコース通りには歩けませんでした。

 結果的に、次のような寺社巡りのコースになってしまいました。
 登戸駅-多摩川土手-登戸第2公園-丸山教-光明院-登戸稲荷社-善立寺-小泉橋-大道橋-向ヶ丘遊園駅
 又、今回の寺社は2017年5月の「向ヶ丘遊園駅~東生田緑地」で訪れていました。

<登戸駅周辺>

 小田急線登戸駅を降りて西側に行くと、北向地蔵・馬頭観音がある筈なのですが影も形もありませんでした。


 折角なので、小田急線登戸駅の出入口の前に出来た再開発の空地を撮ってみました。


 JR南武線の踏切を超えて多摩川の土手に行ってみました。


 交差点「登戸駅北側」に着きましたが、この辺りは昔と変わっていませんでした。


 横断歩道を渡って多摩川の土手に向いました。

<多摩川土手>

 多摩川の土手に着いたので、小田急線の下を通って下流にある「登戸渡しの碑」を探しに行ってみました。


 折角なので、小田急線の多摩川橋梁の下を撮ってみました。


 多摩川に架かる小田急線多摩川橋梁を撮ってみました。


 土手を暫く歩くと、登戸排水樋管の手前に「登戸渡しの碑」がありました。


 折角なので「登戸渡しの碑」をアップで撮ってみました。


 「登戸渡しの碑」の先に行って、左側から登戸排水樋管を撮ってみました。


 登戸排水樋管の下に、ご覧のような岩場があったのでアップで撮ってみました。


 登戸排水樋管を正面から撮って、多摩川土手を戻ることにしました。


 多摩川の土手を戻っていると、多摩川橋梁に下りの小田急ロマンスカーVSEが遣って来たので撮ってみました。


 土手を歩いていると、多摩川橋梁が見えたので撮ってみました。




 今度は、小田急ロマンスカーMSEが遣って来たのでアップで撮ってみました。


 多摩川橋梁の近くに戻って来ましたが、橋桁の高さは2.3mもあったのですね!


 多摩川橋梁をくぐると、河川敷にグランドがありました。


 グランドの先に、多摩川に架かる多摩水道橋が見えたので一緒に撮ってみました。


 折角なので、多摩水道橋をアップで撮ってみました。


 土手の先に行くと、河川敷にご覧のような施設がありました。


 施設の間から多摩水道橋が見えたので撮ってみました。


 施設に、ご覧のような量水標があったので撮ってみました。




 何の施設か気になったので、土手から河川敷に下りて施設に行ってみました。


 取り敢えず、施設の外観を撮ってみましたが、多摩川からは大分離れていますね!


 施設の近くに行ってみると、ご覧のような鋼桁(?)があったので撮ってみました。




 何かを支えているような鋼桁をアップで撮ってみました。




 施設の横に行くと、構造物名称「五反田川放水路樋門」・プレートガータ構造鋼製鋼製ローラゲートのプレートがありました。
 どうやら、五反田川の洪水全量を地下トンネルに流入させ、直接、多摩川に放流させる施設みたいです。


 多摩川の土手に戻って、多摩水道橋に向いました。
 尚、左側を通っているのは多摩沿線道路です。


 土手の右側に、多摩水道橋が見えたのでアップで撮ってみました。


 交差点「多摩水道橋」に着いたので、多摩水道橋の東京方面を撮ってみました。

<世田谷通り(津久井道)>

 交差点を左に曲がって、津久井道の高架上を通って登戸第2公園に向いました。


 高架上を歩いていると、道路の先に富士山が見えたのでアップで撮ってみました。




 素晴らしい富士山だったので、更に、倍率を上げて撮ってみました。


 交差点「多摩水道橋」から5分程歩くと、高架下に行ける階段があったので下りてみました。


 高架下は、ご覧のような大きな駐輪場になっていました。

<登戸第2公園>

 駐輪場の先に行くと、ご覧のような登戸第2公園に着きました。


 公園には、ご覧のような遊具があって、ベンチもあったので一休みすることにしました。




 道路に、薄茶色の実(?)を付けている木があったのでアップで撮ってみました。


 更に、倍率を上げて撮ってみましたが、木の名前は分かりませんでした。


 登戸第2公園を後に、JR南武線を超えて丸山教に向いました。


 河原第1踏切で待っていると、上りの南武線が通過したので撮ってみました。


 踏切を渡ると、正面に登戸稲荷社がありましたが、取り敢えず、角を右に曲がって丸山教に向いました。


 住宅地を歩いていると、ご覧のように庭木が剪定されている三平果樹園がありました。


 失礼して、見事に剪定されている庭木を撮らせて頂きました。






 ついでに、道路からも庭木を撮ってみました。


 庭木の後ろに、咲き始めた紅梅があったのでアップで撮ってみました。


 折角なので、倍率を上げて撮ってみました。

<丸山教(まるやまきょう)>

 ご覧のような丸山幼稚園の看板がある丸山教本庁の東門に着きました。
 丸山教は、明治3年(1870)登戸村の農民であった伊藤六郎兵衛が、富士講の一派である丸山講を背景として興した新興宗教です。
 以前(2017年5月)来た時は、丸山教の正門から入って東門から出た記憶があります。
 尚、登戸第2公園からは15分程でした。


 東門から入ると右側に、藤棚(六尺藤?)の下に、ご覧のような遊具があったので撮ってみました。


 正門の近くに、境内案内図があったような気がしたので行って現在地(中央下)を確認しました。
 折角なので、松霊殿・大教殿・御法殿の順に回ってみることにしました。


 近くに、登戸静修校記念碑があったので撮ってみました。


 取り敢えず、松霊殿に行ってお参りすることにしました。


 松霊殿の前に、手水舎がありましたがコロナ禍で入り口は閉まっていました。


 松霊殿を撮ってお参りすることにしました。




 お参りしてから松霊殿の扁額を撮って、大教殿に向いました。


 大教殿の手前に、北原白秋作詩の多摩川音頭の歌碑「多摩の登戸六郎兵衛さまよ 藤は六尺藤は六尺いま盛り」があったので撮ってみました。


 折角なので、歌碑をアップで撮ってみました。
 尚、後ろにある松は奉納された「たんせい松」です。




 正面から大教殿を撮ってお参りすることにしました。


 大教殿の屋根に珍しい鬼飾りがあったのでアップで撮ってみました。




 お参りしてから大教殿の扁額をアップで撮ってみました。


 大教殿の左側の軒下に、ご覧のような彫り物があったので撮ってみました。


 丸山会館の前を通って御法殿に行ってみました。


 藤棚の奥に、ご覧のようなクスノキ(樟?)があったのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、御法殿を正面から撮ってみました。




 御法殿の手前に、ご覧のようなフユザクラ(冬桜?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 扁額「神道丸山教泰祠宇」が掛かっていたので撮ってみましたが意味不明です。


 奥に、扁額「天明海天」が掛かっていたので撮ってみましたが・・・


 御法殿の右側に、教祖の御試石(おためいし)があったのでアップで撮ってみました。
 御試石は、教祖が七十二日間の断食行納めの日(明治20年10月24日)に、持ち上げた石(28貫=105kg)です。


 藤棚の左側に、ご覧のような十国柱(じっこくばしら)があったので撮ってみました。
 十国柱は、下から「 心国 人国 愛国 孝国 日国 生国 桑国 明国 礼国水穂国」と十の国の名が記されていて、人が人らしく生きるための「心の物差し」を定めたものです。


 丸山教の東門から外に出ると、向かい側に「ご法聖地」がありました。


 「ご法聖地」には、丸山教の開祖の伊藤六郎兵衛が埋葬されています。


 鳥居の手前に、梅の木があったのでアップで撮ってみましたが未だ蕾の状態です。


 右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。


 奥に、二股松と「ご法塔」があったので近くに行ってみました。


 折角なので、二股松の奥の「ご法塔」をアップで撮ってみました。

<光明院(こうみよういん)>

 「ご法聖地」の後ろに、真言宗豊山派の光明院の仁王門があったので撮ってみました。






 折角なので、金剛力士の阿形像を倍率を上げて撮ってみました。






 ついでに、左側の吽形像も撮ってみました。


 仁王門に掛かっていた山号「稲荷山」の扁額を撮ってみました。


 仁王門を通って本堂を撮ってみましたが、左側にあった聖徳太子堂は改修工事中(?)でした。


 右側の五重石塔の近くに、五葉松(?)があったので撮ってみました。


 折角なので、別角度から五葉松をアップで撮ってみました。


 参道に戻ったので本堂を撮ってみました。


 本堂の前に遣って来たので、立派な向拝を撮ってみました。






 向拝に掛かっていた扁額を撮ってお参りをしました。








 本堂の左側の軒下に、極彩色の壁画や彫刻があったのでアップで撮ってみました。








 ついでに、右側の壁画や彫刻もアップで撮ってみました。


 本堂の左側に、ご覧のような石仏があったのでアップで撮ってみました。




 折角なので、境内を回ってみることにしました。
 本堂の右側に行くと、聖観世音菩薩が建っていたのでアップで撮ってみました。


 又、六地蔵尊も建っていたので撮ってみました。


 足元に、蓮の葉を持っている稚児がいる水子地蔵尊がいました。


 折角なので、水子地蔵尊のお顔をアップで撮ってみました。


 ついでに、蓮の葉を持っている稚児も撮ってみました。


 弘法大師像も建っていたので撮ってみました。


 ご覧のように本堂が見える境内の外れに遣って来ました。
 尚、本堂の右側に見える建物は光明院の客殿です。


 大盃紅葉の名札が付いている紅葉があったので撮ってみました。


 ついでに、後ろの客殿も撮ってみました。


 参道の近くに戻って来ると、橙色の実が付いている木がありました。


 黒鐘黐(くろがねもち)の名札が付いていたのでアップで撮ってみました。 




 折角なので、黒鐘黐の実を倍率を上げて撮ってみました。


 仁王門に戻って来たので、反対側から撮ってみました。


 仁王門の反対側にも、ご覧のような極彩色の彫り物と壁画があったので撮ってみました。


 仁王門から外に出たので、正面から仁王門を撮って光明院を後にしました。


 光明院の横を通って登戸稲荷社に向いました。

<登戸稲荷社>

 光明院から道なりに暫く歩くと、ご覧のような鳥居がある登戸稲荷社に着きました。


 折角なので鳥居をアップで撮ってみました。


 境内には、登戸稲荷神社の御利益・「稲荷社と左官職人」・保存樹林の案内が出ていました。
 「稲荷社と左官職人」には、登戸には左官職人が多く、その評判は東京、埼玉まで評判が伝わっていた。そして、樹林には主な樹種としてイチョウとケヤキが出ていました。


 又、鳥居の右側には、稲荷社の由緒書(斎神、合併社?)のような古びた案内板がありました。


 取り敢えず、境内に入って拝殿を撮ってみました。




 ついでに、神狐をアップで撮ってみましたが、右側の神狐の鼻は欠けていました。


 拝殿に行って、お参りすることにしました。


 拝殿の屋根に、ご覧のようなドーマー(?)があったのでアップで撮ってみました。


 お参りしてから拝殿の向拝の下を撮ってみました。




虹梁に立派な龍の彫り物があったので倍率を上げて撮ってみました。


 向拝にあった鈴紐は、新型コロナウイルス感染予防のため神鈴が使用で出来ないようになっていました。


 拝殿の扉にも、ご覧のような彫り物があったので撮ってみました。
 



 折角なので、龍のような彫り物をアップで撮ってみました。
 取り敢えず、拝殿の周りを一回りすることにしました。


 拝殿の脇障子に、坂田金時のようなの彫り物があったので撮ってみました。
 尚、脇障子で拝殿と本殿が区切られているようでした。


 脇障子の後ろ側にあった漆喰壁に、左官職人が鏝で仕上げた鏝絵(こてえ)がありました。




 折角なので、鏝絵をアップで撮ってみましたが、漆喰壁全体に波間を泳ぐ龍が描かれていました。


 本殿の後ろ側の壁の上部に、狐(?)が描かれていたのでアップで撮ってみました。


 又、境内の後ろにも、ご覧のような鳥居があったので撮ってみました。


 本殿の東側に遣って来ると、ご覧のような火燈窓(?)がある漆喰壁がありました。


 ここにも左官が奉納した狐の鏝絵があったので撮ってみました。


 又、右側の上端には、屋根工事記念の納額がありました。


 東側にも脇障子があったので、軒下の彫り物と一緒に撮ってみました。




 ついでに、拝殿の軒下にあった彫り物も撮ってみました。


 社殿を一回りしたので、境内の左側にあった戦役記念碑などの石碑を撮ってみました。
 尚、中央の碑「明治三十八年役記念之碑」は乃木希典書となっていました。


 又、御社殿改修記念碑もあったので撮ってみました。


 ついでに、保存樹林(イチョウ?)も撮ってみました。


 折角なので、鳥居と一緒に保存樹林を撮ってみました。


 鳥居から外に出ると、保存樹林が見えたので社殿と一緒に撮ってみました。


 登戸稲荷社を後に、工事中の道路横から「職人の街」を通って善立寺に向いました。


 振り返って、歩いて来た「職人の街」(?)を撮ってみましたが、江戸末後期の面影は感じられません。
 尚、歩いて来た道には「登戸東通り商店会」の看板が出ていました。

<善立寺(ぜんりゅうじ)>

 登戸稲荷社から15分程で善立寺の入り口に着きました。


 ご覧のような参道を通って本堂に行ってみました。


 山門に着いたので本堂を撮ってみました。




 本堂の下に着いたので、階段の上に行ってお参りすることにしました。


 お参りしてから扁額の山号「龍燈山」をアップで撮ってみました。


 境内の左側に、ご覧のような七面堂があったので行ってみました。
 七面堂は、日蓮宗の七面大明神(七面天女)が祀られているお堂ですかね!?




 取り敢えず、注連縄と扁額を撮ってお参りをしました。


 又、左側には、ご覧のような三十番神堂がありました。


 三十番神堂の扉には「三十番神の由来」が出ていました。


 「三十番神の由来」には、「三十番神は毎日交替で国家や国民を守る法華経を守護する諸天善神である。・・・病気平癒・安産・子宝・家内安全・厄除・学業・良縁など諸々心願成就のご利益があると云われています。」と書いてありました。


 堂内を見ると、1日~30日の日毎に明神人形が祀られていました。

<小泉橋に向かう>

 善立寺からは「職人の街」に戻って、次の小泉橋に行ってみました。
 ご覧のような工事現場(再開発?)の横の道路を通って先に行ってみました。


 暫く進むと、道路脇に「なまずんの日」の案内が出ていました。
 「なまずんの日」は登戸東通り商店街のサービスデー(毎月第3土曜日 2月・8月を除く)でした。


 更に先に行くと、道路が二股に分かれていたので、賑やかそうな左側の商店街(中央銀座商店街?)に行ってみました。


 商店街に入ると、クリーニング店(?)のウィンドウに古びた写真が展示してありました。


 良く見ると、「尊王攘夷46士勢揃い」の写真なのでアップで撮ってみました。
 又、少し長いですが、次のようなコメントもありました。
 少し長いですが、『1865年(慶応元年)2~3月ごろ、長崎オランダ塾にて写す。この写真はフルベッキ博士の私塾「長崎市在」に集まった塾生、すなわち勤皇の志士ら46人衆です。長州、薩摩、土佐、幕中の志士、松下村塾生らも加わり、倒幕の世論が台頭する最中に、2カ月の労を経て勢揃いし撮影したものです。生存者としてもっとも彼らに接触のあった頭山満翁が、写真に人物名を書き入れました。』と書いてありました。
 尚、写真には、勝海舟(43)、大久保利通(36)、西郷隆盛(35)、大熊重信(34)、桂小五郎(33)、坂本龍馬(31)、高杉晋作(27)、伊藤博文(25)ら錚々たる人物が写っていました。


 時間が13時を回っていたので、商店街で食事処(兼居酒屋)を探すことにしました。




 ご覧のような定食屋「永花」がありましたが閉まっていました。


 派手な酒倶楽部「首領」がありましたが、当然、遣っていませんでした。


 商店街の外れに遣って来ると、暖簾が掛かっている居酒屋「呑ちゃん」があったので入ってみました。
 

 飲むことも出来そうでしたが、未だ先に行くので軽く飲みながら遅い昼食を取りました。
 尚、女将に聞くと、再開発の関係で今年10月で閉店すると云っていました。


 居酒屋には1時間程いて、来た道を戻って津久井道に向かいました。




 津久井道の手前に遣って来ると、看板「手造りビール醸造所」が出ている「ムーンライト クラフト ビア」がありました。


 折角なので中に入ってみましたが、昼間からご覧のように混んでいました。


 津久井道に出たので、新川橋を目指して生田方面に歩きます。




 新川橋に着いたので、下に流れている二ケ領本川を撮ってみました。

<小泉橋(こいずみばし)>

 新川橋を渡って府中街道を川崎駅方面に向かって暫く歩くと、二ケ領本川に架かる小泉橋に着きました。
 津久井道に出てからは15分程でした。




 小泉橋の近く休憩場所に、オブジェ「光のしじま」があったのでアップで撮ってみました。




 折角なので、二ケ領本川をアップで撮ってみました。


 又、ご覧のようなマガモが泳いでいたので撮ってみました。


 小泉橋から府中街道を渡って、細い道を右(西)に行くと「旧津久井道と職人の街を歩く」に載っていた老舗の御菓子司の寿々木に着きました。

<大道橋(だいどうばし)>

 津久井道に戻って、生田方面に向かって暫く歩くと、交差点「大道橋入口」の近くにある大道橋に着きました。


 折角なので、大道橋から下に流れている五反田川の上流を撮ってみました。

 これで全て回ったので、小田急線の向ヶ丘遊園駅に戻ることにしました。
 駅の近くに遣って来ると、10月で閉店する居酒屋「呑ちゃん」が気になったので飲みに行ってしまいました。

 今回の「旧津久井道の寺社巡り」は、小田急線登戸駅の西側が再開発中だったので、昔の面影は感じられませんでしたが、中央銀座商店街で珍しい写真や再開発前の街並みが見れたのは良かったです。
 尚、万歩計は、それなりに歩いたので20,000歩を超えていました。
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横浜瀬谷八福神めぐり(瀬谷駅北側編)

2021年01月27日 | Weblog
 「横浜瀬谷八福神めぐり(瀬谷駅南側編)」から続く。

<長天寺(ちょうてんじ)>

 瀬谷駅からは10分程で、「瀬谷八福神めぐり」の達磨大師がいる長天寺に着きました。


 ご覧のような説明案内板があったので撮ってみましたが、帰りには横穴古墳跡に行ってみます。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


 右側の奥に、ご覧のような庫裏(?)が見えたので撮ってみました。


 石段の下にあった手水舎の前に梅の木がありましたが未だ蕾でした。


 取り敢えず、手水舎を撮って本堂に向いました。


 本堂の近くに遣って来たので本堂を撮ってみました。
 

 折角なので、香炉と一緒に本堂を撮ってみました。


 向拝を撮って、「瀬谷八福神めぐり」が完遂できるようにお参りをしました。




 お参りしてから向拝に掛かっていた扁額をアップで撮ってみました。




 本堂の前に、ご覧のような達磨大師像があったのでアップで撮ってみました。


 本堂を後に、「瀬谷八福神めぐり」の達磨大師がいるお堂に行ってみました。


 お参りしてからお堂の内部を撮ってみました。




 折角なので、堂内の達磨さんをアップで撮ってみました。
 お堂の前にあった四阿(?)で、御朱印「達磨大師」を押しました。


 庫裏の横を通って、後ろ(東側)にある山門に向いました。


 途中に、六地蔵尊があったので撮ってみました。




 石段の上に着くと、ご覧のような山門があったのでアップで撮ってみました。


 山門を出たので、正面から山門を撮ってみました。


 山門を右の方に行くと、ご覧のような横穴古墳跡があって祠がありました。


 祠の後ろに、石碑「八剣木明神」があったので撮ってみましたが、詳しいことは分かりません。
 長天寺を後に、瀬谷駅北口を通って「瀬谷八福神めぐり」の徳善寺に向いました。


 相鉄線沿いを大和駅方面に向かって歩いていると、昨年は宅地開発されていた場所には住宅が建っていました。


 但し、ご覧のように根が剥き出しになっている手付かずの箇所は残ったままでした。


 鎌倉古道に出たので、右(北)に曲がって徳善寺に向いました。

<徳善寺(とくぜんじ)>

 ご覧のような山門がある徳善寺に着きましたが、長天寺からは20分程でした。


 山門の扁額「平成門」を撮ってみましたが、両側にある仁王像は金網で上手く撮れませんでした。


 取り敢えず、山門の手前にあった六地蔵尊と水子地蔵尊を撮ってみました。


 水子地蔵尊のお顔が見えなかった正面に回ってアップで撮ってみました。


 山門を通ると、ご覧のような本堂が見えたので撮ってみました。
 尚、左側には毘沙門天が祀ってあるお堂があります。




 参道の右側に、高祖道元禅寺像が建っていたのでアップで撮ってみました。


 又、左側に太祖瑩山禅師像も建っていたので撮ってみました。
 尚、お釈迦様の教え「正法」を中国から日本に伝えたのが道元禅師で、「正法」を全国に広め曹洞宗の基礎を築いたのが瑩山禅師です。


 取り敢えず、本堂をアップで撮ってみました。




 参道の左側に、瀬谷観世音菩薩像が建っていたのでアップで撮ってみました。


 本堂の前に遣って来たので、香炉と一緒に撮ってみました。


 向拝に掛かっていた扁額の山号「瀬谷山」を撮ってお参りをしました。


 お参りしてから、本堂の右側に行って御朱印「毘沙門天」を押します。




 途中、ご覧のような歌碑(?)があったので撮ってみました。


 歌碑は読めませんでしたが、前に木瓜(ボケ?)の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 本堂の前に戻ると、左側にも歌碑(?)がありましたがこれも読めませんでした。


 本堂の左側の奥に行くと、ご覧のような「義民の碑」がありました。
 「義民の碑」は、地租税の増税を訴えた村民の遺功を偲んで建立したものです。




 瀬谷観世音菩薩像の後ろに行くと、可愛らしい姉弟石仏があったのでアップで撮ってみました。




 先に行くと、ご覧のような羅漢様がいたのでアップで撮ってみました。




 微笑ましい母子地蔵(?)があったのでアップで撮ってみました。




 又、笑顔が可愛らしい兄弟石仏があったのでアップで撮ってみました。


 山門の近くに戻って来ると、鐘楼があったので近くに行ってみました。


 境内の脇に、ご覧のような水盤があったので撮ってみました。


 毘沙門天のお堂の手前に、横浜市指定名木古木のタラヨウ(多羅葉)があったので撮ってみました。




 取り敢えず、毘沙門天のお堂に行ってお参りをしました。


 お堂の内部は撮れなかったので扁額をアップで撮ってみました。


 反対側から山門を撮って徳善寺を後にしました。


 山門の正面にある道を進んで鎌倉古道に行ってみました。
 途中で、振り返って徳善寺の山門に通じている参道(?)を撮ってみました。


 鎌倉古道に出ると、石塔「曹洞宗瀬谷山徳善寺」があったので撮ってみました。


 又、道路脇に、大六天の案内杭があったので石碑を撮ってみました。


 折角なので、石碑をアップで撮ってみましたが、何と書いてあるのか分かりません。
 尚、大六天(だいろくてん)は、関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社です。


 ここからは、鎌倉古道を歩いて「瀬谷八福神めぐり」の善昌寺に行ってみました。
 鎌倉古道に案内杭<日枝社➡>があったので、次の目標は日枝社です。

<日枝社 (ひえしゃ)>

 鎌倉古道を5分程歩くと、ご覧のような鳥居のある日枝社に着きました。


 ついでに、鳥居をアップで撮ってみました。


 拝殿に行ってお参りすることにしました。




 取り敢えず、向拝の扁額を撮ってお参りをしました。


 お参りを済ませたので、拝殿の右側に行ってみました。


 近くに、横浜市指定天然記念物のケヤキ(欅)があったので撮ってみました。




 欅の上の方に、カラスの巣があったのでアップで撮ってみました。


 鳥居に戻って来ると、左側に説明案内板「日枝社のケヤキ」と地神塔があったので撮ってみました。


 又、右側に、ご覧のような庚申塔があったので撮ってみました。

<瀬谷神明社>

 日枝社から鎌倉古道を10分程歩くと、右側に瀬谷神明社の入口がありました。
 神明社(しんめいしゃ)は、主祭神が天照大御神、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社で、通称「お伊勢さん」と呼ばれています。
 尚、神明社は横須賀や二宮にもありましたね!


 折角なので、お参りすることにしました。




 鳥居の先には、ご覧のような拝殿と御神木のイチョウ(?)がありました。


 取り敢えず、拝殿に行ってお参りをしました。


 拝殿の後ろには、本殿があったので撮ってみました。




 拝殿の右側に、ご覧のような忠魂碑と説明案内板があったので撮ってみました。




 折角なので、忠魂碑の手前にあった御神木を撮って、瀬谷神明社を後にしました。

<鎌倉古道>

 鎌倉古道に戻って歩いていると、ご覧のような竹林がありました。




 素晴らしい竹林だったのでアップで撮ってみました。






 ご覧のような鎌倉古道を歩くので、昔にタイムスリップしたような感じがします。


 古道の繁みに、ロウバイ(蝋梅)の脇にミツマタ(三椏)の花が咲き始めていました。


 折角なので、ミツマタを倍率を上げて撮ってみました。


 ついでに、ロウバイも撮ってみました。




 鎌倉古道の先に行くと、民家の入り口に横浜市指定名木古木のケヤキ(欅)があったので撮ってみました。


 向かい側の家の軒下に、昔の鬼瓦(?)や唐箕(とうみ?) があったので撮ってみました。




 更に、鎌倉古道の先に行くと、ご覧のような庚申塚と中屋敷地蔵尊がありました。


 折角なので、中屋敷地蔵尊をアップで撮ってみました。




 鎌倉古道を先に行くと、竹の垣根に囲まれている瀬谷銀行跡がありました。


 取り敢えず、説明案内板「瀬谷銀行跡」を撮ってみました。
 昔は、こんな場所に銀行(昔は高利貸し?)があったのですね!


 折角なので、瀬谷銀行跡の入り口を撮ってみましたが、中へは入れませんでした。


 敷地内に、倉庫のような建物が見えたので撮ってみました。

<善昌寺(ぜんしようじ)>

 鎌倉古道を5分程歩くと「瀬谷八福神めぐり」の恵比寿神が祀ってある善昌寺に着きました。
 尚、徳善寺からは日枝社や瀬谷神明社に立ち寄ったので50分近くも掛かっていました。


 参道の左側の墓地には、横浜市指定名木古木のタブノキ(椨)があります。


 折角なので、洞のある椨の根元をアップで撮ってみました。


 善昌寺の山門を撮って境内に入ってみました。




 取り敢えず、本堂に行ってお参りを済ませました。






 本堂の右側に、横浜市指定名木古木の枝垂れ桜があったので撮ってみました。


 山門の右側に、恵比寿神が祀られているお堂があるので行ってみました。




 取り敢えず、恵比寿神をアップで撮ってみました。
 又、「瀬谷八福神めぐり」の御朱印「恵比寿神」は、本堂の右側の奥に行って押します。


 帰りがけに、先程の枝垂れ桜が見えたので反対側から撮ってみました。 




 山門の近くに、ご覧のような色のヒノキ(檜)があったのでアップで撮ってみました。




 又、センリョウ(千両)もあったので撮ってみました。
 善昌寺を後に、「瀬谷八福神めぐり」の最後の妙光寺に向いました。


 県道401号瀬谷柏尾線に出ると、北向地蔵尊があったので撮ってみました。


 折角なので、北向地蔵尊をアップで撮ってみました。


 ご覧のような瀬谷柏尾線を通って妙光寺に向いました。

<妙光寺(みょうこうじ)> 

 瀬谷柏尾線を5分程歩くと、「瀬谷八福神めぐり」の大黒尊天が祀ってある妙光寺に着きました。


 ご覧のような妙光寺の山門を撮って本堂に行ってみました。


 山門に山号「蓮昌山」が掛かっていたので撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


 「瀬谷八福神めぐり」の完遂のお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから本堂に掛かっていた扁額を撮ってみました。




 本堂の扉が開いていたので堂内を撮らせて頂きました。




 祭壇を倍率を上げて撮ってみましたが、日蓮上人(?)のお顔は拝めませんでした。




 本堂の手前に、日蓮上人像が建っていたのでアップで撮ってみました。




 境内の左側に、県指定重要文化財の梵鐘があったので撮ってみました。


 鐘楼の左側には、大黒尊天が祀ってある大黒堂がありました。




 大黒堂の扁額を撮ってお参りして、最後の御朱印「大黒尊天」を押しました。


 山門を撮って妙光寺を後にしました。

<自宅に向かう>
 瀬谷柏尾線に戻って、北向地蔵尊に向って歩いていると、瀬谷駅行きのバスが遣って来たので運良く乗ることができました。
 相鉄線の瀬谷駅には16時半過ぎに着きましたが、後は自宅に帰るだけになりました。




 帰っている途中で、ご覧のような富士山が見えたのでアップで撮ってみました。


 今回の「横浜瀬谷八福神めぐり」は、出足は梅や富士山を見に行ったので遅れましたが、どうにか「瀬谷八福神めぐり」ができ、全ての御朱印も押せたので満足しています。
 又、いろんな場所で富士山が見れたのはツイていました。
 尚、万歩計は、かなり歩いたので28,000歩を超えていました。
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横浜瀬谷八福神めぐり(瀬谷駅南側編)

2021年01月26日 | Weblog
 1月25日(月)は、新型コロナウイルス感染症拡大防止のための緊急事態宣言が出ていましたが、運動不足解消を兼ねて自宅から行ける「横浜瀬谷八福神めぐり」をしてみました。
 尚、昨年も同時期(1月20日)の「瀬谷八福神めぐり(2020)」で訪れています。

 今年は「瀬谷八福神めぐり」をする前に、梅や河津桜の咲き具合をチェックしてから、次のように歩いてみました。
 自宅-(30分)-左馬神社-(20分)-下瀬谷-(5分)-全通院勢至堂(寿老人)-(20分)-宗川寺(福禄寿)-(25分)-西福寺(布袋尊)-(5分)-寶蔵寺(弁財天)-(20分)-長天寺(達磨大師)-(20分)-徳善寺(毘沙門天)-(30分)-善昌寺(恵比寿神)-(10分)-妙光寺(大黒尊天)-(バス)-瀬谷駅-(20分)-自宅

<左馬神社に向かう>

 厚木街道(県道40号線)の交差点「境橋」近くにあるキリスト教会を撮って歩き始めました。


 境橋を渡ってから、横浜市側の境川沿いを歩いて下流方面に向いました。


 境川沿いを20分程歩くと、境川に架かる新道大橋に着きました。
 橋の手前は横浜市、橋を渡ると大和市になり、新道大橋は中原街道(県道45号線)にあります。


 橋の上から境川の上流を撮ってみましたが、右側に見えるのが歩いて来た境川沿いの道路です。


 ついでに、アップで撮ると白鷺(シラサギ?)がいました。


 折角なので、白鷺をアップで撮ってみました。


 新道大橋を渡って、大和市側の中原街道に出たので撮ってみました。


 ご覧のような中原街道の坂道を上って左馬神社に向いました。


 坂道の右側では、埋蔵文化財の発掘調査工事をしていました。


 ここは、境川沿いの高台にあるので、旧石器時代や縄文時代の遺跡が出て来てもおかしくないですね!?


 坂道の左側に、ご覧のような繁みがある空き地がありました。


 胴回りが1m近くある古木があったので撮ってみました。


 中原街道を左に曲がって暫く進むと、民家の入り口に、ご覧のようなロウバイが咲いていました。










 折角なので、倍率を上げて撮らせて頂きました。

<左馬神社>

 左馬神社に着いたので、鳥居を撮ってみました。
 折角なので、拝殿でお参りをしてから梅の咲き具合をチェックすることにしました。




 取り敢えず、拝殿をアップで撮ってみました。


 境内の左側に、手水舎があったので撮ってみました。


 手水舎の奥には、境内社の三社殿がありました。


 三社殿には、神武天皇・天照大神・須佐之男命が祀られています。




 拝殿に行ってお参りすることにしました。
 

 お参りしてから拝殿の扁額「左馬神社」をアップで撮ってみました。


 拝殿の右側に、御神木のイチョウがあったので撮ってみました。


 境内には、ご覧のようなタブノキ(椨)もあります。




 又、ご覧のような鐘楼があったので梵鐘を撮ってみました。


 鳥居の右側に、ご覧のような紅梅(左)と白梅(右)があったので撮ってみました。






 紅梅を倍率を上げて撮ってみましたが、見頃はもう少し先の方ですね!




 ついでに、白梅も倍率を上げて撮ってみました。

<梅林>

 左馬神社の先にある梅林に向って歩いていると、ご覧のような富士山が見えたのでアップで撮ってみました。


 梅林の外れに着いたのですが、未だ殆どが蕾でした。


 梅林の中に白梅があったので近くに行ってみました。




 僅かに咲いている白梅をアップで撮ってみました。


 近くに、一本の梅の木に紅梅(上)と白梅(下)が咲いていました。


 折角なので、珍しい梅の木をアップで撮ってみました。




 取り敢えず、上の方に咲いていた紅梅を倍率を上げて撮ってみました。




 又、白梅も倍率を上げて撮ってみました。

 来る途中で富士山が見えたので、下瀬谷の相沢川の脇を通って元旦に富士山が見えたショッピングモール「サニーアイル」に行ってみることにしました。

<下瀬谷に向う>

 左馬神社の脇を通って来た道を戻っていると、ロウバイの近くに大きな松(?)の木がありました。


 折角なので、松の木をアップで撮ってみました。


 ついでに、ロウバイも撮ってみました。


 中原街道に出たので、埋蔵文化財の発掘調査工事をしていた切通を撮ってみました。


 境川に架かる新道大橋に着いたので、橋の上から境川の下流方面を撮ってみました。


 新道大橋を渡って、再び、横浜市側の境川沿いを歩いて下流に向いました。


 境川沿いの道路を10分程歩くと、宮久保橋に着きました。




 境川の堰(?)が見えたのでアップで撮ってみました。


 宮久保橋を渡って、元旦に河津桜が咲いていた下瀬谷に行ってみることにしました。


 宮久保橋を渡ったので、境川の下流方面を撮ってみました。

<下瀬谷>

 大和市立上和田中学校の手前の道を左(東)に曲がって暫く歩くと、相沢川に架かる出水橋に着きました。
 尚、相沢川は下流で境川に合流しています。




 出水橋から相沢川の上流を見ると、ここにも白鷺(?)がいたのでアップで撮ってみました。


 相沢川の上流に向かうと、川沿いにご覧のような「なかよし小径」がありました。




 更に、川沿いの道を進むと、元旦に見た河津桜が未だ咲いていました。








 折角なので、倍率を上げて撮ってみました。


 ついでに、河津桜の案内板も撮ってみました。
 案内板には、例年1月下旬頃から咲き始めると出ていましたが、見頃は完全に過ぎていました。


 相沢川に架かる童橋を渡って、ショッピングモール「サニーアイル」に向かいました。
 尚、相沢川の上流に向かって5分程歩けば「瀬谷八福神めぐり」の全通院勢至堂には着けます。

<ショッピングモール「サニーアイル」>

 ショッピングモール「サニーアイル」に着いたので、富士山を見に屋上に行ってみました。








 折角なので、富士山を倍率を上げて撮ってみました。




 更に、度アップでも撮ってみました。


 「サニーアイル」を後に、環状4号線(県道18号線)に出て「瀬谷八福神めぐり」の全通院勢至堂に向いました。




 道路脇に、ご覧のようなネギ畑があったので撮ってみました。

<全通院勢至堂(ぜんつういんせいしどう)>

 環状4号線を10分程歩くと「瀬谷八福神めぐり」の全通院勢至堂の石段下に着きました。
 時計を見ると11時15分過ぎで、自宅からは約1時間45分も掛かっていました(ロス時間約50分)。


 取り敢えず、寺標柱と石塔をアップで撮ってみました。


 急な参道石段を上って本堂に行ってみました。


 石段の上に、ご覧のような松(?)の木があったので撮ってみました。


 石段の上に出ると、ご覧のような参道が続いていました。


 参道の右側に、稲荷社があったので撮ってみました。


 参道の先に行くと、左側の奥に本堂がありました。


 境内に、お地蔵様がいる祠があったので行ってみました。


 祠に扁額(?)がありましたが、何と書いてあるのか読めませんでした。


 折角なので、お地蔵様をアップで撮ってみました。


 取り敢えず、本堂でお参りして御朱印「寿老人」を押すことにしました。




 取り敢えず、本堂の向拝を撮ってみました。


 本堂の向拝に、扁額「全通院」が掛かっていたので撮ってみました。


 お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。


 残念ながら、扉が閉まっていて御本尊「勢至菩薩像」は拝めませんでした。


 石段の上に戻って来ると、環状4号線に架かる跨道橋が見えたので撮ってみました。


 又、奥の方に富士山が見えたのでアップで撮ってみました。


 ご覧のような急な石段を下りて、次の宗川寺に向いました。




 跨道橋から環状4号線の相鉄線の瀬谷駅方面を撮ってみました。


 ついでに、反対側の日向山方面も撮ってみました。


 左側に、全通院勢至堂の入り口が見えたのでアップで撮ってみました。

<宗川寺(そうせんじ)>

 全通院勢至堂からは15分程で中原街道沿いにある宗川寺に着きました。


 取り敢えず、宗川寺の山門を撮ってみました。


 折角なので、山門に掛かっていた山号「白東山」を撮ってみました。


 宗川寺には、横浜市の名木古木に指定されている夫婦銀杏があります。




 山門の先に、ご覧のような観音様が建っていたのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りをして、帰りに御朱印「福禄寿」を押すことにしました。


 境内に見事な玉砂利があったので撮ってみました。


 ついでに、立派な枝垂れ桜があったので撮ってみました。


 参道の右側にあった手水舎を撮ってみました。


 ついでに、後ろにあった鐘楼も撮ってみました。


 倉(?)の手前には、ご覧のような蘇鉄がありました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。




 本堂の手前に、日蓮上人像が建っていたのでアップで撮ってみました。




 本堂の前に遣って来たので、本堂向拝を撮ってみました。


 香炉の上に、ご覧のような獅子(?)がいたのでアップで撮ってみました。


 お参りをしてから本堂の扁額を撮って、山門近くにあった「瀬谷八福神めぐり」の福禄寿堂に行ってみました。


 お堂に戻ってきたので、お参りしてから御朱印「福禄寿」を押しました。


 取り敢えず、お堂の内部を撮ってみました。


 ついでに、福禄寿をアップで撮ってみました。


 山門を出て、隣にある宗川寺の駐車場に行ってみました。




 中原街道沿いに、ご覧のような観音様が建っていたのでアップで撮ってみました。


 宗川寺の駐車場に行くと、夫婦銀杏が見えたので撮ってみました。


 又、福禄寿のお堂の後ろに、ご覧のような梅の木がありました。


 折角なので、アップで撮ってみましたが未だ蕾でした。
 宗川寺を後に、次の西福寺に行ってみました。

<左馬社>

 鎌倉古道に出て15分程歩くと、西福寺の手前にある左馬社近くの緑地(?)に着きました。


 ご覧のような庚申塔・地神塔・道祖神などがあったので撮ってみました。


 又、梅の木があったのでアップで撮ってみましたが、ほとんどが蕾でした。


 左馬社の鳥居を撮って境内に入ってみました。




 境内の右側に、ご覧のよう鐘楼があったので梵鐘をアップで撮ってみました。


 鐘楼の奥に、御神木があったので撮ってみました。


 境内の左側に、手水舎があったので撮って拝殿に行ってみました。




 取り敢えず、拝殿に行ってお参りをすることにしました。




 拝殿の向拝と扁額「左馬神社」を撮ってみましたが、鳥居の扁額「左馬社」とは違っていました。
 又、御祭神は、左馬頭の源義朝(みなもとのよしとも)で、大和市上和田の左馬神社と同一でした。


 お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きました。

<西福寺(さいふくじ)>

 左馬社を後に、隣にある「瀬谷八福神めぐり」の西福寺に行ってみました。
 西福寺は何回も来ているお寺で、直近では昨年12月20日の「西福寺の素晴らしい紅葉」で来ています。




 取り敢えず、参道を撮ってみましたが、ご覧のように紅葉はすっかりなくなっていました。


 参道の左側に、施餓鬼菩薩と六地蔵尊がいたのでアップで撮ってみました。


 又、横浜市の名木古木に指定されている「椎の木」があったので撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。




 本堂に掛かっていた山号「猿王山」を撮ってお参りをしました。


 本堂の右側に、可愛らしい小僧さんがいたので撮ってみました。




 反対側には「瀬谷八福神めぐり」の布袋尊が祀られている布袋堂があります。


 お参りしてからお堂の内部を撮らせて頂きました。




 折角なので、布袋尊をアップで撮ってみました。


 お堂の内部に、ご覧のような額があったのでアップで撮ってみました。


 ついでに、「瀬谷八福神」が描かれているお皿があったので撮ってみました。


 お堂の脇に、西福寺の布袋尊の詩歌(?)があったので撮ってみました。


 布袋堂の右側に、布袋堂建立記念碑があったので撮ってみました。


 折角なので、布袋堂の後ろにある筆塚に行ってみました。


 筆塚の後ろの紅葉も、ご覧のようにすっかりなくなっていました。


 左側の墓地に、紅梅が咲いていたので近くに行ってみました。




 取り敢えず、アップで撮ってみましたが、丁度咲き始めたところですね!
 西福寺の次は、「瀬谷八福神めぐり」の宝蔵寺に行ってみました。
 
<宝蔵寺(ほうぞうじ)>

 西福寺からは5分程で、厚木街道(県道40号線)沿いにある宝蔵寺に着きました。




 境内の右側に、天満宮があったので祠をアップで撮ってみました。




 天満宮の左側に、楽寿観音菩薩があったのでアップで撮ってみました。


 又、境内の左側には、ご覧のような十二支出生年の「お守り御本尊」がありました。




 折角なので、近くに行って「お守り御本尊」を撮ってみました。
 尚、虚空蔵菩薩・普賢菩薩・大日如来・阿弥陀如来の御本尊は、それぞれ二つの出生年に対応していました。


 境内の先に行くと、ご覧のような水子地蔵尊の石仏が祀られていたので撮ってみました。




 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


 本堂の前に、大きな独鈷(とっこ)があったので撮ってみました。


 本堂に掛かっていた扁額を撮ってお参りをしました。


 本堂の反対側に、弁財天堂があるので行ってみました。


 取り敢えず、立派な弁財天堂をアップで撮ってみました。




 お参りしてから、堂内の弁財天をアップで撮ってみました。


 弁財天堂でお参りしたので、本堂の左側に行って御朱印「弁財天」を押しました。


 本堂の前に、南無大師遍照金剛(弘法大師空海)像があったので撮ってみました。


 又、可愛らしい居眠り小僧もいたので撮ってみました。
 宝蔵寺の後は、相鉄の瀬谷駅を経由して「瀬谷八福神めぐり」の長天寺に行ってみました。


 環状4号線の交差点「瀬谷4丁目」を渡ると、ご覧のような菜の花が道路脇に咲いていました。




 折角なので、菜の花を倍率を上げて撮ってみました。

<相鉄線瀬谷駅>

 宝蔵寺から10分程歩くと、ご覧のような大型クレーンがある相鉄線の南口に着きました。


 昔の商店街に行ってみると、相鉄線沿いの店舗は無くなっていて工事現場になっていました。




 又、商店街も昔とはすっかり変わっていて、新たに海鮮食堂「なぎ」も出来ていました。
 時計を見ると13時近くになっていたので、チェックを兼ねてお店に入ってみました。


 遅い昼食を食べて外に出ると、外壁に建設計画「瀬谷駅南口第1地区第一種市街地再開発事業」が出ていました。
 建設計画に依ると、今年9月には商・公・住の複合施設が完成するみたいでした。


 折角なので、工事現場の外観を見に瀬谷駅の北口に行ってみました。


 ついでに、工事現場をアップで撮ってみました。

 「横浜瀬谷八福神めぐり(瀬谷駅北側編)」に続く。
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長沢の里の寺社・石仏めぐり

2021年01月17日 | Weblog
 1月16日(土)は、川崎市宮前区にある聖マリアンナ医科大学病院に行く用事があったので、帰りに辺りを散策してみることにしました。

 インターネットで、聖マリアンナ医科大付近のハイキングコースを調べると、多摩区観光協会「長沢の里 寺社・石仏めぐり」があったので、参考にして次のように歩いてみました。

 小田急線向ヶ丘遊園駅-(バス)-聖マリアンナ医科大病院-秋月院-盛源寺-昭和道路改修記念碑-大山道の道標-諏訪社-(バス)-小田急線新百合ケ丘駅

<聖マリアンナ医科大学病院>

 向ヶ丘遊園駅北口のバス乗り場(乗り場1番)からバスに乗ると20分程で聖マリアンナ医科大病院に着きました。


 折角なので、アップで撮ってみました。
 

 用事が済んだので、病院外来棟の入り口を撮ってみました。




 階段を下りていると、右側に中華四川料理「飛鳥」があったので撮ってみました。


中華四川料理「飛鳥」から上に、外来棟とエレベーター塔を結ぶ渡橋が見えたので渡ってみることにしました。
 渡橋に出たので、振り返って、外来棟の入り口を撮ってみました。


 渡橋を渡ってエレベーターを降りたので、エレベーター塔を撮ってみました。


 ついでに、エレベーター塔と一緒に渡橋を撮ってみました。




 坂道を下りると、分岐に聖マリアンナ医科大学の案内が出ていたのでアップで撮ってみました。


 交差点「聖マリアンナ医大前」に出ると、平瀬川支川に架かる橋がありました。


 橋の上から平瀬川支川の下流(東)方面を撮って、川沿いの右側を歩いて下流の方に行ってみました。




 隣にある幸福橋に着いたので、平瀬川支川の上流(西)方面を撮ってみました。

<秋月院>

 幸福橋を渡って暫く歩くと、秋月院の入り口が見えました。


 交差点<秋月院前>の横断歩道を渡ると、秋月院の参道が見えたので撮ってみました。


 折角なので、寺標石をアップで撮ってみました。


 寺標石の後ろ祠に「いぼ取り地蔵尊」があったので撮ってみました。


 折角なので「いぼ取り地蔵尊」をアップで撮ってみました。




 参道の右側に、ご覧のような巨木があったので根元を撮ってみました。


 参道の先にも、巨木があったので根元を撮ってみました。




 参道の先に、ご覧のように剪定されたイチョウ(?)があったのでアップで撮ってみました。




 山門の近くに、枝垂れ梅(?)があったのでアップで撮ってみました。


 取り敢えず、山号「長澤山」が掛かっている山門を撮ってみました。


 山門を通ると、ご覧のような本堂がありました。


 左側に、手水があったので撮ってみました。


 手水の左側に、子育地蔵尊があったので撮ってみました。


 又、向かい側に三宅松露(直行)の石碑があったので撮ってみました(詳細不明)。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。




 お参りしてから本堂の扁額をアップで撮ってみました。


 本堂の前にあった梅の木に鳥(鳩?)が留まっていたのでアップで撮ってみました。


 山門に戻ると、枝が横に伸びている松の木があったので撮ってみました(入る時は気が付きませんでした)。


 珍しかったのでアップで撮ってみました。


 折角なので、松の木越しに本堂を撮ってみました。


 秋月院からは、参道の寺標石「秋月院」に戻って、右に曲がりご覧のような坂道を上ります。


 坂道の先に行くと、左側に聖マリアンナ医科大学が見えたのでアップで撮ってみました。


 坂道の先は、三叉路に分かれていたので左(西)の方に行ってみました。




 道路の右側に、ロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。


 広い道路に出て暫く歩くと、右側に盛源寺がありました。

<盛源寺(せいげんじ)>

 取り敢えず、盛源寺の参道を撮ってみました。




 参道の右側に、ご覧のような庚申塔があったのでアップで撮ってみました。


 この庚申塔は、川崎市指定重要郷土資料で、寛文10年(1670)に建てられたものです。


 参道の先に、山門が見えたのでアップで撮ってみました。


 参道の左側に、クチナシがあったので撮ってみました。
 クチナシは初夏に白い花を咲かせますが、今はご覧のような実が生っていました。


 向かい側に、ご覧のような供養塔があったので撮ってみました。


 山門の近くに遣って来たので、石柱「不許葷酒入山門」が建っている山門を撮ってみました。


 折角なので、山門をアップで撮ってみました。


 山門に掛かっている山号「清水山」を撮ってみました。


 山門の先に行くと、ご覧のような松の木がありました。


 松の木の右側に、河合平蔵の碑があったので撮ってみました。


 山門の左側の奥に、ご覧のような合同墓所があったので撮ってみました。


 合同墓所の右隣に、椿が咲いていたので撮ってみました。


 境内から山門先の参道に戻って、取り敢えず、本堂に行ってみることにしました。


 参道に戻ると、参道の先に本堂が見えたので撮ってみました。
 

 参道の右側には、ご覧のような石灯籠がありました。


 石灯籠の後ろに、十三層供養塔があったので撮ってみました。




 参道に、ご覧のような盛源寺の境内案内図があったのでアップで撮ってみました。




 参道の先に行くと、左側に、延命地蔵があったのでアップで撮ってみました。


 又、右側には仏足石と説明案内板がありました。


 立っている仏足石は初めてなのでアップで撮ってみました。


 又、梅の古木の下にマンリョウ(万両)があったので一緒に撮ってみました。


 本堂は、ご覧のような門の先にありました。


 門を通ると、手水舎があったので撮ってみました。




 取り敢えず、本堂をアップで撮ってみました。




 本堂で、お参りしてから扁額「盛源禅寺」をアップで撮ってみました。




 本堂の右側手前に、道元禅師御尊像があったのでアップで撮ってみました。




 本堂に左側に、不動閣があったので行ってみました。


 不動閣の左側に、観音堂があったのでお参りに行ってみました。


 観音堂の入り口の左側には、板札「準西国稲毛三十三所観音霊場 第十番 盛源寺」がありました。


 お参りしてから、本堂に掛かっていた扁額「大悲殿」をアップで撮ってみました。


 観音堂の左側奥に、案内「福寿長命 ぼけ封じ 寿老人」が出ている寿老堂がありました。


 寿老堂の手前には、ご覧のような鹿がいました。




 折角なので、鹿をアップで撮ってみました。




 取り敢えず「ぼけ封じ」のお参りをして、寿老堂の扁額をアップで撮ってみました。


 ご覧のような貴山堂があったので行ってみました。




 お参りしてから貴山堂の扁額をアップで撮ってみました。
 貴山堂について、境内案内図には「歴代住職檀信徒先祖への報恩 水子無縁一切精霊への供養」と記されていました。




 貴山堂の屋根の頂上に、ご覧のような物があったのでアップで撮ってみました。


 弁財天が祀られている弁天堂があったので行ってみました。


 弁天堂は、ご覧のような橋を渡って行きます。




 折角なので、お参りしてから堂内をアップで撮ってみました。


 弁天堂に掛かっている扁額「弁財尊天」をアップで撮って、弁天堂を後にしました。


 境内を一回りしたので、気になっていた寿老堂の後ろにあった石段の下に行ってみました。


 急な石段の下には、ご覧のような石柱「交通安全 火防厄除 秋葉大権現」がありました.。


 石段を上ると、秋葉大権現があったので撮ってお参りをしました。




 お参りしてから扁額「秋葉大権現」をアップで撮ってみました。
 尚、秋葉大権現は、秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神様です。


 秋葉大権現からは、右側の奥の方にあった緩やかな石段で下りました。


 石段の下の方に行くと、左側に盛源寺の本堂が見えたので撮ってみました。


 本堂の前に戻って来たので、参道を通って山門に向いました。


 参道を戻っていると、左側に藤棚があって下にミカンがありました。


 近くに行ってみると、柚子(?)が生っていました。


 又、藤棚の右側には、ご覧のように剪定された素晴らしい松の木がありました。


 境内の東側の奥に、柚子(?)と葉牡丹が植えられていたので近くに行ってみました。




 取り敢えず、柚子をアップで撮ってみました。




 又、葉牡丹の列も撮ってみました。


 折角なので、素晴らしい葉牡丹をアップで撮ってみました。


 山門に戻って来たので、山門を撮って盛源寺を後にしました。

<諏訪社に向かう>

 ご覧のような道路に戻って、取り敢えず、昭和道路改修記念碑に向いました。




 暫く歩くと、ご覧のようなお地蔵様がいる祠がありました。
 祠の両側には石標(武州橘〇〇〇、子孫繁栄 交通安全)がありましたが、左側は読めませんでした。




 折角なので、お地蔵様をアップで撮ってみました。




 道路の先に行くと、曲がり角に、ご覧のような石(大山道の道標?)があったので撮ってみました。




 交差点「東長沢」に着くと、ご覧のような昭和道路改修記念碑が建っていました。
 この交差点から生田駅方面に向かう新道は、幅2m程の山の中を通る山道を村人達が資金援助して出来た道路で、昭和10年(1935)に記念碑を建立されました。


 横断歩道を渡って暫く歩くと、ご覧のような看板「長沢商店会」が出ていました。


 盛源寺からは15分程で、交差点「生田高校入口」に着きました。


 横断歩道の先には、ご覧のようなお地蔵様のいる祠がありました。


 取り敢えず、近くに行って祠を撮ってみました。




 ついでに、お地蔵様をアップで撮ってみました。


 祠の前には、微かに”大山”が判読できる「大山道の道標」がありました。
 取り敢えず、「大山道の道標」を撮って交差点を左(南)に行ってみました。


 平瀬川の橋を渡ると、左側に、ご覧のような擁壁の県立生田高校がありました。

<諏訪社 (すわしゃ)>

 右側に、諏訪社の入り口があったので撮ってみました。




 取り敢えず、石鳥居を撮って参道に向いました。


 石鳥居の先には、ご覧のような赤い鳥居がありました。




 鳥居の台石の上に、ご覧のような龍(?)がいたのでアップで撮ってみました。


 鳥居の先は、ご覧のような長い参道で両脇には大きな木が並んでいました。
 この長い参道は、明治の頃まで農家の人達が農耕馬を競争させる馬掛けが行われていました。


 参道の先に行くと、ご覧のような根元の木があったので撮ってみました。


 又、参道の右側に、竹林があったので撮ってみました。


 参道の先に、諏訪社の社殿が見えたので撮ってみました。


 ついでに、アップで撮ってみました。




 手水舎があったので撮ってみましたが、ご覧のように周囲は縄で囲まれていました。


 立派な社殿を撮って、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りすることにしました。




 社殿に行くと、向拝に立派な龍の彫り物があったのでアップで撮ってみました。


 ついでに、扁額「諏訪社」を撮ってみましたが、神鈴は使えないようになっていました。


 下を見ると、ご覧のような注意書がありましたが、お参りは出来ました。


 社殿でお参りを済ませたので、社殿を斜めから撮ってみました。


 境内に、ご覧のような石碑(出征記念碑、諏訪社改築之碑、〇〇〇)があったので撮ってみました。


 ご覧のような参道を戻って鳥居に向かいました。


 参道に、庚申供養塚と庚申塔があったので撮ってみました。




 鳥居の前に戻って来たので、反対側から鳥居を撮ってみました。


 諏訪社の向かい側にある県立生田高校の擁壁が見える場所に戻って来ました。

 交差点「生田高校入口」に戻ると、新百合ヶ丘駅行きのバスが遣って来たので運良く乗ることが出来ました。
 新百合ヶ丘駅に着いたので、隣の柿生駅にある馴染みの「食べもの家 ろと」に行って飲んで帰りました。

 今回の「長沢の里の寺社・石仏めぐり」は、聖マリアンナ医科大病院の帰りだったのですが、道に迷わないで寺社や石仏を見ながら回れたので満足しています。
 川崎市の西側(多摩区、麻生区)には、魅力ある散策エリアがあって楽しめそうなので、これからも回ってみたいと思っています。
 又、小田急線の各駅(向ヶ丘遊園駅・生田駅・百合ヶ丘駅・新百合ヶ丘駅)と聖マリアンナ医科大病院を行き来するバスが多いのには驚きました。
 尚、万歩計は12,000歩を超えていました。
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吾妻山公園に再挑戦!

2021年01月10日 | Weblog
 1月9日(土)は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の緊急事態宣言(1月8日~2月7日)が出ていましたが、12月27日の「吾妻山公園の富士山と菜の花(2020)」で行った吾妻山公園に再挑戦してみました。
 又、毎年、イベント「菜の花ウォッチング」(1月9日~2月7日)で実施されているスタンプラリーは今年は中止になっていました。

 吾妻山公園から川勾神社まで歩いてみますが、人と会いそうにない次のようなルートにしました。
 二宮駅ー吾妻山公園の中里口ー吾妻山山頂ー吾妻山公園の釜野口ー西光寺ー川勾神社ー二宮駅

<吾妻山公園の中里口に向かう>

 吾妻山公園の中里口は、県道秦野二宮線(71号線)の左(西)側の道路沿いにあります。
 二宮駅からは、ご覧のような商店街を通って、県道にある交差点「生涯学習センター前」に向いました。


 交差点「生涯学習センター前」に出る手前にある内輪橋(?)に着きました。


 内輪橋から下に流れている葛川を撮ってみました。


 取り敢えず、交差点にある生涯学習センター「ラディアン」を撮ってみました。


 交差点の先は、県道を分かれて左側の道路を行ってみました。
 

 道路を5分程進むと、ご覧のような吾妻山公園「中里登り口」の案内が出ていました(ホッ!)。


 道路を歩いていると、左側の奥に大応寺に行けそうな橋があったのでアップで撮ってみました。


 橋を渡ると、正面に大応寺と左側に保育園がありました。


 六地蔵尊の左側に「お地蔵さま縁起」があったので撮ってみました。
 「お地蔵さま縁起」には、「人間の死んだ後は、六つの世界(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道)に生まれ変わると云われています。お地蔵さまは、苦しみを取り除き願いごとをかなえて下さると同時に、死んでいった世までも慈悲の手を指し述べて下さると云われています。」と出ていました。


 折角なので、六地蔵尊を撮ってみました。




 正門は閉まっていましたが、右側にご覧のような入り口があったので境内に入ってみました。




 境内の右側に、ご覧のような鐘楼があったので梵鐘を撮ってみました。


 取り敢えず、本堂に行ってお参りすることにしました。


 本堂に着いたので、本堂の向拝を撮ってみました。


 向拝の彫り物を撮ってみました。




 折角なので、鳳凰と龍をアップで撮ってみました。
 本堂で、道に迷わないで吾妻山公園に着けますようにお参りをしました。




 お参りしてから扁額「大應禅寺」をアップで撮ってみました。


 大応寺を後に、道路に戻って暫く歩くと、ご覧のような妙見橋に着きました。


 妙見橋から葛川の下流を撮ってみました。


 妙見橋を過ぎると、また吾妻山公園「中里登り口」の案内が出ていました。


 又、向かい側には道標<吾妻山公園入口 約700m 二宮駅 約1.0km>もありました。


 道路を暫く進むと、吾妻山公園「中里登り口」の案内が出ていました。

<吾妻山公園の中里口>

 二宮駅から25分程(大応寺に立ち寄らないと約15分)で、ご覧のような吾妻山公園「中里登り口」に着きました。


 向かい側に道標<せせらぎ公園 約1.5km 二宮駅 約1.2km>があったので撮ってみました。

<吾妻山山頂に向かう>



 ご覧のような住宅地を通って吾妻山の山頂に向いました。




 住宅地にある緩やかな登り道を進みます。


 中里口から登り道を5分程上ると、道は二股に分かれていて住宅地の端のようでした。


 正面にあった案内図に従って左の方に行ってみました。






 ご覧のような緩やかな山道を上りますが辺りに住宅はなくなりました。


 ゲートの手前に、吾妻山公園案内図があったので現在地(中央上)を確認しました。








 ご覧のようなゲートを通って山道を進みます。


 山道の先に、東屋が見えたのでアップで撮ってみました。


 東屋の向かい側にある山道の右下は、崖になっていて樹木で鬱蒼としていました。


 取り敢えず、鬱蒼とした樹木を撮ってみました。


 折角なので、正面から東屋を撮ってみました。


 更に、山道の先に行ってみました。




 山道の右側の奥に、ご覧のような建物(トイレ?)があったので近くに行ってみました。
 建物の上の方は伐採されていて、吾妻山公園の釜野口に通じている山道に出れそうでした。
 

 山道に戻って、更に先に行ってみました。




 山道を暫く上ると、ご覧のような分岐<展望台 釜野口>に着きました。






 更に、ご覧のような歩き易い山道を上ります。


 山道の途中に、木のベンチがあったので撮ってみました。


 又、ショートカットして山道の上に行けそうな登り道があったのですが止めました。




 山道を上っていると、根が剥き出しの木があったので撮ってみました。


 更に、山道を上ると先が明るくなったので山頂の近くに遣って来ました。




 山道の右側に、ショートカットして山頂に行けそうな登り道があったので今度は行ってみました。

<吾妻山山頂>

 上に着くと、ご覧のように芝生広場のエノキが見える山頂の端に着きました。


 取り敢えず、芝生広場のエノキをアップで撮ってみました。
 尚、中里口からは寄り道をしなかったので、25分程で山頂に着いてしまいました。


 折角なので、山頂の標柱(136.2m)を撮りに行ってみました。


 取り敢えず、展望台に上って富士山を撮ってみました。




 ご覧のような雲がかかっていましたが、倍率を上げて撮ってみました。




 ついでに、富士山を別角度からも撮ってみました。
 




 
 相模湾が素晴らしかったので倍率を上げて撮ってみました。




 芝生広場の下(南西)にある東屋をアップで撮ってみました。


 折角なので、前回(先々週)と同じようにクスノキ(楠)の脇を通って展望台の下に行ってみました。


 先々週は黄色の紅葉が残っていたマユミは、ご覧のような状態になっていました。




 展望台の下に着いたので、早速、富士山をアップで撮ってみました。


 見頃は過ぎていますがマユミと一緒に富士山を撮ってみました。


 取り敢えず、目の前に咲いている菜の花を撮りに行ってみました。






 ご覧のような菜の花が咲いていたので倍率を上げて撮ってみました。




 花茎(?)が剥き出しになっている菜の花があったのでアップで撮ってみました。




 足元に、ご覧のような菜の花が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 近くに咲いていた菜の花もアップで撮ってみました。




 相模湾が見えたので菜の花と一緒に撮ってみました。




 又、東屋も見えたので東屋と一緒に菜の花を撮ってみました。


 芝生広場では、菜の花を写生や写真を撮っている人達がいました。




 折角なので、菜の花畑の奥にあったマユミをアップで撮ってみました。






 ご覧のように富士山が見える場所に戻って来たので、倍率を上げて撮ってみました。
 残念ながら、富士山の山頂には雲がかかったままでした。


 展望台に戻ってみると、それなりに人がいました。


 取り敢えず、展望台の端に行って富士山を撮ってみました。
 





 折角なので、倍率を上げて撮ってみました。


 展望台から下りて、西側にある菜の花畑に行ってみました。


 折角なので、富士山をアップで撮ってみました。


 ついでに、東屋方面の菜の花畑をアップで撮ってみました。


 芝生広場の中央にあるエノキが素晴らしい影を映していていました。




 芝生広場の東側に、「ローラー滑り台」があるのでアップで撮ってみました。


 「ローラー滑り台」の乗り場に行ってみると、平成30年4月1日から無料になっていました。


 乗り場の近くから、下に見えた大型遊具を撮ってみました。


 又、「ローラー滑り台」の途中に、マユミ(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 山頂から管理棟の方に下りると、ご覧のような案内<釜野口 中里口 吾妻神社 浅間神社 二宮駅>がありました。


 吾妻山公園案内図があったので現在地(中央左)を確認しました。

<吾妻山公園の釜野口に向かう>

 案内に従って、上って来た山道を戻って吾妻山公園の釜野口に向いました。




 山道を下っていると、ご覧のような雑木林があったので撮ってみました。


 山道を5分程下ると左側に、案内<釜野トンネル>があったので下りてみました。




 ご覧のような山道を下ると、案内<釜野口>がありました。


 山道の右側は、山頂に行く途中で立ち寄った建物があった公園(?)になっていました。


 又、公園からの通路は、釜野口に行ける山道に通じていました。


 公園横の山道を通って先に行ってみました。






 ご覧のような山道を通って先に進みますが、落ち葉が多い下りの山道は滑り易いです。




 山道の途中には、ご覧のような竹林もありました。






 更に、山道を下ると釜野口の案内がある坂道に出ました。


 案内が出ている坂道を撮ってみましたが、坂道を下りると釜野口に着けそうでした。


 坂道の反対(左)側が気になったので行ってみましたが、坂道の上は住宅地になっていました。


 坂道を下りると、ご覧のようななだらかな道になりました。


 吾妻山公園の釜野口に手前に着くと、ご覧のような庚申塚(?)があったのでアップで撮ってみました。

<吾妻山公園の釜野口>

 吾妻山公園の釜野口に着いたので、道路の右側にあった釜野隧道を撮ってみました。
 尚、吾妻山公園の山頂からは20分程で着きました。


 ついでに、吾妻山公園の釜野口登り口を撮ってみました。


 向かい側の道路の上に、ご覧のような竹林があったので撮ってみました。

<交差点「釜野橋」に向かう>



 取り敢えず、釜野隧道を通って先に行ってみました。


 道路を歩いていると左側の高台に、二宮町立山西小学校があったので撮ってみました。


 道路の先に行くと、見覚えのある交差点「釜野橋」に着きました。
 この交差点は、イベント「菜の花スタンプラリー」で何回か通ったことがあります。
 新年なので、西光寺と川勾神社に行ってみることにしました。
 尚、交差点を右に曲がればスタンプラリーの「ふたみ記念館」があります。

<西光寺に向かう>

 交差点を渡って先に行くと、交差点「運動場入口」があるので右に曲がります。


 道なりに進んで坂道を下ると、川勾神社のカラーコーンの先に太陽光パネルがありました。


 川勾神社から大分離れていますが、川勾神社のものですかね!?

<西光寺(さいこうじ)>

 西光寺の鐘楼の下に着きましたが、境内の南側から入るのは初めてです。
 尚、吾妻山公園の釜野口から30分程でした。


 境内の手前に、ご覧のような枝垂れ桜(?)があったので撮ってみました。


 境内に入ると、ご覧のようなソテツ(蘇鉄?)があったので鐘楼と一緒に撮ってみました。


 ソテツの脇に、坂村真民の石碑「念ずれば花ひらく」があったので撮ってみました。


 取り敢えず、奥にあった鐘楼の近くに行ってみました。


 左側に、天然記念物のカヤノキ(榧の木)があったので撮ってみました。




 鐘楼の右側に、芳しい香りを漂わせているロウバイ(蝋梅)があったのでアップで撮ってました。


 取り敢えず、左側にあった梵鐘を撮ってみました。


 鐘楼の右下に、歌碑「贖罪に生き掌(手のひら)に掬う石清水」があったので撮ってみました。


 又、左下には、鐘楼と梵鐘「悠響の鐘」の由緒が刻まれていました。


 カヤノキの横を通って、西光寺の本堂に行ってみました。


 取り敢えず、斜めから本堂を撮ってみました。


 お参りしてから本堂に掛かっていた山号「無量山」を撮ってみました。




 本堂の向かい側にあった天然記念物「かやの木」を撮ってみました。




 本堂の左側に、弘法大師と慈母観音が立っているので撮ってみました。


 又、本堂の左側の奥に、三寶洞があるので橋を渡って行ってみました。


 橋の手前に、可愛らしい道祖神があったのでアップで撮ってみました。


 三寶洞の入口に着いたので撮ってみました。




 三寶洞に入ると、洞窟の中央の右側に慈光殿があって、ご覧のようなお地蔵様が祀られていました。


 折角なので、板札「地蔵菩薩真言・・・」が立っているお地蔵様をアップで撮ってみました。


 三寶洞を出て境内に戻ると、山門の近くに六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。


 山門を反対側から撮って参道に出ました。


 山門を出ると、右側に子育延命地蔵尊(左)とお地蔵さん(右)がいました。




 折角なので、子育延命地蔵尊と説明案内板をアップで撮ってみました。


 参道から道路に出ると、西光寺の寺標と後ろに大日堂があったので撮ってみました。


 折角なので、大日堂をアップで撮ってみました。


 又、左側には袖切地蔵尊が祀っている祠がありました。




 折角なので、祠と袖切地蔵尊をアップで撮ってみました。


 袖切地蔵尊の祠の向かい側にも、ご覧のような小さな祠があったので撮ってみました。


 西光寺を後に、道なりに暫く進むと、トーテンポールが立っている「二宮町立入川勾老人憩いの家」がありました。

<川勾神社(かわわじんじゃ)>

 更に、道路を暫く進むと、川勾神社がありました。


 石段の下に、伊藤博文公直筆の鳥居額があるので撮ってみました。


 取り敢えず、石段の下から川勾神社の鳥居を撮ってみました。


 折角なので、鳥居額もアップで撮ってみました。


 石段の上に着いたので、茅葺き屋根の随身門(ずいじんもん)を撮ってみました。


 随身門には、木造随身倚像が安置されていますが、ガラス越しで上手く撮れませんでした。


 随身門の先に行くと、川勾神社の拝殿が見えたので撮ってみました。


 取り敢えず、手水舎に行ってみましたが、新型コロナ感染症対策で柄杓はありませんでした。


 手水鉢をアップで撮ってみましたが、先に雪の結晶の飾りが付いている紐が垂れ下がっていました。


 左側に、ご覧のような神楽殿があったので撮ってみました。


 神楽殿の中に、開運招福の大きな絵馬があったので撮ってみました。


 参道の左側に、「茅の輪」があったので撮ってみました。


 周りに誰もいなかったので、「茅の輪くぐり」(横8の字に3度くぐる)をしてみました。




 取り敢えず、素晴らしい拝殿をアップで撮ってみました。




 拝殿の前に着いたので、向拝を撮ってお参りをしました。




 お参りしてから拝殿の内部を撮らせて頂きました。


 拝殿の手前の右側に、絵馬掛け板があったので撮ってみました。


 拝殿の右側には、東五社祭神が祀られているので撮ってみました。


 ついでに、拝殿の左側の西五社祭神も撮ってみました。


 拝殿を後に、参道を戻っていると奉納句があったので撮ってみました。


 又、「茅の輪」の近くに、御神木の杉の巨木があったので撮ってみました。

 川勾神社からは、東海道(国道1号線)に出て二宮駅に向かうことにしました。

<東海道(国道1号線)>

 川勾神社から10分程歩くと、東海道線の跨線橋に着きました。


 跨線橋から東海道線の上り方面を撮ってみました。


 跨線橋を渡って道なりに暫く進むと、東海道に架かる川勾歩道橋の前にある茶屋薬師堂に着きました。


 堂内には、二宮町重要文化財に指定されている薬師如来坐像が祀られているようです。


 堂内を撮ってみましたが、吊るし飾りがあったので薬師如来坐像は上手く撮れませんでした。


 境内に三界萬霊塔やお地蔵さんがあったので撮って、茶屋薬師堂を後にしました。


 東海道を二宮駅に向かって歩いていると、食事処「味さい」があったので入ってしまいました。
 お昼を食べていなかったので、飲みながら1時間半程長居をしてしまいました。

 今回の「吾妻山公園に再挑戦!」は、吾妻山公園の富士山と菜の花は今一でしたが、釜野口から川勾神社まで道に迷わないで行けたのは良かったです。
 又、万歩計は、それなりに歩いたので19,000歩近くになっていました。
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新年あけましておめでとうございます!

2021年01月01日 | Weblog
 新年あけましておめでとうございます。
 コロナ禍で外出もままなりませんが、皆さま如何お過ごしですすか?

 1月1日()は天気が良かったので、地元の深見神社でお参りする前に、運動不足解消を兼ねて辺りを散歩してみました。
 又、新年なので富士山が拝めそうな場所に行ってから深見神社に向かうことにしました。

<ニュータウン南瀬谷>





 周りに遮るものがない高い建物(店舗屋上・高層住宅)を探しながら歩いてみました。
 横浜市瀬谷区にある「ニュータウン南瀬谷」の団地に着くと、相沢川の畔に河津桜(?)が咲いていました。


 根元に看板「河津桜」があったので、河津桜に間違いなさそうですが、看板には「・・・この桜は早咲きで、例年1月下旬頃から咲き始めます。」と書いてありました。




 相沢川をバックに河津桜をアップで撮ってみましたが、花の咲き具合はバラバラでした。




 折角なので、青空をバックに河津桜を撮ってみました。






 ついでに、アップでも撮ってみました。


 ご覧のような童橋を渡って先に行ってみました。


 童橋から相沢川の下流方面を撮ってみました。


 右側に、河津桜が見えたのでアップで撮ってみました。




 又、日向ぼっこしているマガモがいたのでアップで撮ってみました。

 童橋から県道18号線(環状4号線)に出て5分程歩くと、ショッピングモール「サニーアイル」に着きました。
 年末年始で「サニーアイル」は閉まっていると思っていましたが、一部の店舗が開いていたので屋上には上がれました。

<ショッピングモール「サニーアイル」>

 屋上に着くと、ご覧のような富士山が見えました。










 折角なので、富士山を倍率を上げて撮ってみました。
 「サニーアイル」を後に、「ニュータウン南瀬谷」に戻ることにしました。

<童橋>

 童橋に戻って来ると、河津桜が咲いていたので撮ってみました。


 又、相沢川の上流にマガモが集まっていたのでアップで撮ってみました。
 バス停「ニュータウン南瀬谷」に着くと、大和駅行きのバスが停まっていたので乗ってしまいました。

<深見神社>

 深見神社に着くと、境内を一回りするように参拝者が並んでいました。


 折角なので、奉納のぼり旗をアップで撮ってみました。


 手水舎に行ってみましたが、コロナ禍で柄杓(ひしゃく)は置いてありませんでした。


 参拝者の列に並ぶと、時間が掛かりそうなので境内の左側から拝むことにしました。


 取り敢えず、お参りしてから神社をアップで撮ってみました。




 ついでに、境内の右側に行って神社をアップで撮ってみました。


 参拝者が並んでいる境内を横から撮って深見神社を後にしました。

<大和天満宮>

 深見神社の後は、「学問の神様」の菅原道真公が祀られている大和天満宮に行ってみました。
 この歳になって「学問の神様」にお祈りすることはありませんが、お参りだけはすることにしました。
 尚、大和天満宮は、大和市文化創造拠点「シリウス」内のM2階デッキにあるので館内を通らないで参拝できます。


 右側に、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。


 身を清めてから鳥居を撮って拝殿に向いました。




 取り敢えず、拝殿をアップで撮ってお参りをしました。




 お参りしてから、拝殿の扁額をアップで撮ってみました。


 拝殿の右側に、神輿殿があったのでガラス越しですが御神輿をアップで撮ってみました。


 反対側から鳥居を撮って、大和天満宮を後にしました。

 今年は、元旦から河津桜や富士山が見れたので、良い年になりそうな気がしますがどうでしょうね!?
 それでは、今年もどうぞ宜しくお願いします。
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