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京都に行こう

2011-09-30 23:59:09 | おでかけ

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昨日の京都は暑かった!いつもの道のりで阪急嵐山駅到着。見上げた電灯カバーの意匠が「もみじとさくら」と今頃気づく。

お彼岸より一週遅れのお墓参り。

Imgp0343 中之島橋より嵐山を望む。

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嵐山ってなんでこんなにいいんだろう・・・山の緑をみているだけで心がひろ~くなって、ものすご~~~く気分が和らぐ。やまのかたちかなあ・・・緑の連なりが優しいのでしょうか・・・

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サギが・・・桂川ほぼ独り占め・・・贅沢ですよ・・・

Imgp0355 秋のシーズンにはまだ少し早いとみえ、人力車も出番待ち・・・車夫のお兄さんたちものんびりしたものでした・・・

とにかく暑かった・・・昨日。どこに行っても喉が渇いて!まだまだだわ・・・私の季節!(寒さにはめっぽう強いのですが・・・笑)

ここ数日で、街中はとても良い香りに包まれ始めました。金木犀の季節です。

もれなく、嵐山駅あたりもその良い香り「金木犀」が、花こそ、まだまだ少ししか見えませんが、しっかりと香り出していました。

目に優しい美しい山々を愛で香を感じながらの嵐山行。無理から父にこっちやこっちや・・・って言われている感じもするのですが。その父の(先祖の)年2回のお墓参り(親不孝者です)。この日も父にちょっとしたお願いを申しに参りました。父はうんと前に亡くなっているので、その分私の願いを聞き入れないといけないことになっています。そして、大抵のことは聞き入れてくれるのです。あら!力があるかも!なんてね!摩訶不思議ですが、結構頼んじゃっております。

とりあえず、とある願いを聞いてもらって、一応お参りもして・・・

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直ぐ近くの、こちら!覚雄山「鹿王院」山門から潔く一本通された美しいお庭の麗しい木漏れ日も拝見し、次なる目的地、京都七条、蓮華王院「三十三間堂」へと向かうことに・・・

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こちらが、成人の日に通し矢が行われる通し矢射場。恐ろしく長い距離で果てが見通せないほどです。現在、新春、新成人を祝う通し矢は、以前の成人の日、十五日に一番近い日曜に行われているそうです。当日は拝観料も無料。六十メートルの距離を射抜く行事を愉しみに多くの方が訪れるということです。

長いお堂は「総ヒノキ造り」で全長約120メートル。柱の間が33あるところから、三十三間堂と通称されるようになり、この堂内に、圧巻を極める1001体もの観音像がまつられているのです。

千手観音像。前で合掌する二本の手を除いた四十本の手が、それぞれ25の世界を救うものであり、二十五×四十で、千。千手観音と言われるのですね。その25の世界とは、仏教の「三界(欲界、色界、無色界)二十五有(う)」のことで、天上界から地獄までの25の世界があるそうです。俗に言う「有頂天」とは、二十五の有の頂点にある天上界の事を指す言葉。

有頂天・・・ってそうそう使える言葉ではないのだと今更ながらに思い知りました。天上界ですもの!!

堂内は撮影禁止ということで観音様のお写真はありませんが・・・

その観音様が、ずら~~~~~~っと並ばれた様は圧巻と言うほか言葉はみつかりません。真横から見ると・・・皆さま背筋ピ~~~~~ン!

百メートル向こう、すきりと見渡せるその清々しさが素晴らしくて!寄木づくりのその技にも驚いてしまいました。

なんでも・・・千一体の中に、自分に似たお顔がみつかるということでしたが・・・

見つけることができませんでした。じっくりとお顔を見つめるうちに・・・どのお顔もうちの「夫」に見えてきて・・・いえいえ・・・とんでもないですね・・・苦笑

朝八時から拝観出来るみたいです・・・心を落ち着け、じっくりと、静かに観音様の穏やかなお顔を拝顔するなら早朝こそが・・・一番のようですね。Imgp0384

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柱の朱色に目が覚める。泉ほとりの、彼岸花も風に吹かれて・・・美しく咲いていた。

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今井町散策

2011-09-30 17:57:11 | おでかけ

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奈良県は・・・畝傍(うねび)のお米 黄金いろを極め・・・収穫間近のようです・・・

一昨日。奈良は橿原市。近鉄車内に魅惑的ポスターが貼られている(?!)「今井町」に出かけてきた。

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道後温泉みたいな(千と千尋の・・モデルになった湯殿のようです)作りの(明治建築)まちなみ資料館へ赴き、街の歩き方を少し教わる。

こちらには・・・

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Imgp0200 豪商の住居模型や、江戸時代の暮らしの道具類、そして、現在の今井町の街並みが縮小された、素晴らしい模型まで展示されておりました・・・
「お~~~っ・・・これで見る限り・・・ほんまに時代の町!すごっ」
では!今井町散策開始!
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↑の写真の「この通り」!空がひろ~~~い!
暮らしの中に、電線がないというのがこれほどの解放感とは!
この筋と・・・お隣の筋の半分くらいまで・・町並保存のため、電線を地中に埋め込んであるそうです・・・ すごいですね・・・富田林のじないまちには・・・こんなにすごい仕様はありませんです・・・
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「近くにある、遠い時間へ。
今日、江戸時代にお邪魔しました。」
このポスターに惹かれました。
こちらの、旧米谷家で撮影されたそうです。

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Imgp0303 風鈴に・・お江戸の時代の涼をみる・・・(って・・・??

今年の我が家も同じくでした!(気持ちの上の節電です~~笑 

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こちらは、別の豪商の使用人部屋。立てる程の高さはありません。小さな梯子を使って出入りしたようでした。美しい光が虫籠窓から差し込んでいますが、夜にはきっと真っ暗。蝋燭も使えなかったことでしょうね。

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復元された環濠。

周囲に環濠(お堀)土居を築き、戸数1100、人口4000人以上を数える財力豊かな自治特権を持つ、「今でいうニュータウン」。今より遡ること約450年ほど前、私の町(私は新参者です)富田林の「じないまち」とも似たような経緯で作られた浄土真宗本願寺派の寺院を中心に作られた集落。独自に町を運営できる経済的特権を認められた町であったようで、多くの庶民が移り住んだということです。

今井町、富田林「じないまち」、本願寺と織田信長の間に合戦が起こると、どちらの町も、一度は信長に反旗を翻すも、危ういとなれば、自治区存続のため、仲介人を通し、信長に降臨したりと様々に手を使い、商業地域としての存続に尽力したようです。その後、今井町は秀吉にも優遇され、農、商業がますます盛んとなり、「海の堺」「陸の今井」と称されるほどに栄える大商業都市となったそうです。現在も多くの商家が文化財として保存され、街並みは富田林より、うんと広範囲に残されておりました(比べることないのに・・・どうしても・・・苦笑)。

一度訪ねてみたかった町でした。富田林の「じないまち」もそうですが、ずっとずっと同じ家族が暮らし続けている。そうであるからこそ街並みが維持できるのだと改めて実感できましたが・・・残念ながら、どちらの町も商業都市ではなくなりました。

現在では、人々の普通の暮らしが息づく街なのです。

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普通の暮らしこそ・・ですね・・・

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