仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

オンリー・ユー

2016年08月16日 | ムービー
『オンリー・ユー(原題Only You)』(1994年/ノーマン・ジュイソン監督/アメリカ)を見た。
物語は、「小学校の教諭をしているフェイス・コルヴァッチ(マリサ・トメイ)は、幼い頃に兄ラリー(フィッシャー・スティーヴンス)と遊んだ占い盤で名前が示された"デイモン・ブラッドリー"を運命の人と信じていたが、大人になっても目の前にその彼が現れることはなく、足専門の医者ドウェイン(ジョン・ベンジャミン・ヒッキー)と婚約をした。しかし、結婚式まで10日と迫った日、転送されたドウェイン宛ての電話を取ると、相手は"デイモン・ブラッドリー"と名乗る男だった。これから飛行機でイタリアへ向かうと言うその"運命の男"に一目会うため、試着していたウェディングドレスを着たまま空港へと向かうフェイスだったが・・・」という内容。
寸での差で間に合わなかったフェイスは、搭乗を終了して滑走路に向かっている飛行機に何としてでも乗せてもらおうと粘るが、空港職員は絶対に彼女から目を離さず、警備員をも呼んであらぬ行動をとらないよう厳重に監視するが、これは当然の行為だ。
さて、先日(2016年8月5日)、新千歳空港国内線で「保安検査場で乗客の女性が金属探知機を通らずに搭乗待合室に立ち入った。出発前の旅客約1,000人の保安検査をやり直すことになった」という事件があったのだが、詳細は「女性が検査場でスマートフォンの画面上に表示されたチケットを端末機器にかざした際、バーコードが読み取られなかったので、職員が"少々お待ちください"とその場を離れた隙に、その女性が金属探知機の脇を通っていなくなった」ということだったらしく、運航が再開されるまでに計11便以上が欠航し、159便に最大で約3時間の遅れが生じたとのことだったらしい。
世界中でこれだけテロ事件が騒がれているこの現代社会で、この空港職員のあまりに危機意識を持ち合わせないこの対応はおそまつ過ぎる。
この映画でも見て勉強してもらいたいものである。
(^。^)
ベニスに到着したフェイスと兄嫁ケイト(ボニー・ハント)は、自分が"デイモン・ブラッドリー"だと名乗る男(ロバート・ダウニー・Jr)と出会えるものの、恋に盲目のあまりいろいろ付け込まれてしまう。
のめりこむのもほどほどにした方が良さそうだ。
(^_^;)

アメリカ上陸作戦

2012年09月10日 | ムービー
『アメリカ上陸作戦(原題The Russians Are Coming, The Russians Are Coming)』(1966年/ノーマン・ジュイソン監督/アメリカ)を見た。
物語は、「東西冷戦時代。アメリカの小さな島・グロスター島に近付き過ぎたソ連の潜水艦が座礁してしまった。艦を沖まで曳航するボートを調達するため、ラザノフ(アラン・アーキン)をはじめとする乗員9人が島に上陸したのだが・・・」という内容。
乗員達が初めて接触したアメリカ人は、夏の間だけこの島に滞在している小説家ウォルト・ウィテカー(カール・ライナー)と妻エルスパス(エヴァ・マリー・セイント)、そして彼らの小さな男の子だったが、怪しくは思ったもののその場をやり過ごして事なきを得ようと考えたウォルトを息子が焚きつけて、結果、ラザノフが拳銃を取り出すに至るまで彼を追い込んでしまう。
物事を直線的にしか捉えることが出来ない子供の知恵というのは何とも浅はかだ。
まぁ、いい所を見せようとそれに乗ってしまう父親が事を大きくしてしまったという展開でもあったのだが・・・。
今のように携帯電話でどこにいても簡単に連絡がつくような時代の話ではないし、ダイヤル直通どころか交換手を介しての連絡になるので、どんどんと情報がゆがんで伝わっていく所も面白い。
これが悲劇的な結末になるのか、喜劇として笑いのうちに終わるのかの分水嶺は、人種云々でもイデオロギー云々でもなかった。
人間の本能的な部分が解決への道筋を見つけ出してくれたので、"ブラックコメディー"の枠で収まったのだろう。
余りにも突き詰め過ぎると、洒落では済まない悲劇へと発展したに違いない。

シンシナティ・キッド

2006年10月03日 | ムービー
『シンシナティ・キッド(原題The Cincinnati Kid)』(1965年/ノーマン・ジュイソン監督/アメリカ)を見た。
2006年現在、17歳以下の青少年の夜間外出禁止措置が取られているというアメリカ合衆国のルイジアナ州ニューオリンズが舞台。
この作品で描かれている時代はそれとは違うのだが、今も実際にディープな地域とあってギャンブルの物語の舞台としてはピッタリなのだろう。
また、ここはJAZZ発祥の地ということもあってか、映画は(まるでパレードのような)葬式行列のシーンから始まるのだが、楽しいような寂しいような音楽がこの映画の先行きを物語っていたような気がした。
主人公シンシナティ・キッド(スティーブ・マックイーン)は、ファイブカードスタッドポーカーで金を稼いでいるギャンブラー。
安定した生活を望む彼女メルバ(アン=マーグレット)とはうまくいってないのだが、彼女と寄りを戻したいと思う反面、大物ギャンブラーと大勝負をしたり友人の妻の誘いにのったりして、その世界から足を洗う気持ちはさらさらない男だ。
(^_^;)
物語のクライマックスはやはりポーカーの勝負なのだが、密室での勝負が延々と続く中、取り巻きの人達の顔が段々と脂ぎって、どんどんワル顔になっていくのが面白い。
(^_^)
この作品は撮影4日目にサム・ペキンパー監督が解任され、ノーマン・ジュイソン監督があとを引き継いだとのことなのだが、編集の時には配給側からラストシーンについての注文がついたりと、何かといわく付きの映画だったらしい。
それにしても、最後に流れるレイ・チャールズの曲は良かった。
この作品で描かれているような、社会に対して何ら生産も貢献もしていない人達は現実の社会でも少なからず存在するのだろうが、そういった出来事が小説化されたり映画化されたりすることによってビジネスになり、社会や経済に何らかの影響を与えていることを考えると、人間社会とはなんて面白いのだろうと思う。
1本の映画の公開から40年以上も経った2006(平成18)年の今、こんなことをBLOGに書いて楽しんでいるのだから。
(^。^)

ヴェニスの商人

2006年09月13日 | 映画サークル
映画サークル9月例会は、守〇企画の『ヴェニスの商人(原題THE MERCHANT OF VENICE)』(2004年/マイケル・ラドフォード監督/アメリカ・イタリア・ルクセンブルグ・イギリス)だった。
これは言わずと知れたシェークスピア原作の戯曲だが、映画化されるのは初めてというから驚きだ。
ユダヤ人の金貸しシャイロックを演じるのは、アル・パチーノ
よくぞこの役柄を引き受けたものだと思うが、"シェークスピア原作"で、"その中でも一番人気がある話"で、"初めての映画化"だということが彼のチャレンジ精神に火をつけたのだろうか。
仁左衛門は原作を読んだことは無いのだが、中学の文化祭でこの演劇をしたことがあって、自分の配役が何だったのか忘れたものの物語は知っていた。
中学の文化祭だなんて何十年も前の話なのだが、「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という台詞がとても印象に残っていて、この台詞をワクワクしながら待っていたのだが、この作品では遂にこの台詞は出てこなかった。
あれは翻訳家か脚本家がその諺を入れてみたかっただけのことだったのかもしれない・・・。
(^_^;)
先日見た『ザ・ハリケーン』(1999年/ノーマン・ジュイソン監督/アメリカ)もそうだったのだが、"正義"(justice)という言葉がとても強調されて使われていたことに何となく違和感を覚えた。
というのも、これはキリスト教の聖典の下に守られているキリスト教徒の正義や倫理の話であって、ユダヤ教の聖典の下で生きているユダヤ教徒の正義や倫理を尊重したものではない、ただのキリスト教の屁理屈だと思ったからだ。
(大昔の)キリスト教徒がユダヤ教徒をさげすんでいる日常を自然な状況とした上での単なる復讐劇であって、異教徒を同じ人間として尊重せずにつばを吐きかけたり追い込んだりしていた貿易商アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)には裁判の結果、寛大な処遇がされたりする。
まぁ、所詮は16世紀のヨーロッパを舞台にした架空の物語なので、熱くなることもないのだが。

ザ・ハリケーン

2006年09月07日 | ムービー
『ザ・ハリケーン(原題The Hurricane)』(1999年/ノーマン・ジュイソン監督/アメリカ)を見た。
物語は、終身刑を言い渡され投獄されたプロボクサーが冤罪を主張して司法と戦い続ける実話を描いたという内容。
主人公を演じているデンゼル・ワシントン(ルービン・カーター役)がとても痩せていて、仁左衛門が知っているデンゼル・ワシントンとはまるで別人のようだった。
『フィラデルフィア』(1993年/ジョナサン・デミ監督/アメリカ)の時にこの痩せ具合だったら、トム・ハンクスが演じた役が出来たのではないかとも思ったが、そうなると、複雑な話が余計複雑になってしまって収集がつかなかったか・・・。
(^_^;)
冤罪で終身刑に服している男の物語は、『ショーシャンクの空に』(1994年/フランク・ダラボン監督/アメリカ)が強烈に印象に残っているが、この『ザ・ハリケーン』も充分すぎるほどに強烈な物語。
刑に服しているルービン・カーターは2回続けて有罪判決を受け、冤罪を主張し続けようとする気持ちが折れていたのだが、中古本として流通していた彼の自伝『The 16th Round』を手にした黒人少年レズラ・マーティン(ヴィセラス・レオン・シャノン)から受け取った1通の手紙のおかげで再び希望を取り戻すことが出来た。
人種差別の問題をテーマに抱える実話であるだけに、この映画には"遊び"がなく、深刻なまま物語が進行するだけあって、とにかく見入ってしまう。
それにしても、殺人事件の証拠を改ざんしてまで一人の人間の一生を台無しにしてしまうとは恐ろしい話である。
無実なのに終身刑を言い渡されて、一生刑務所の中にいろと命令され、「それは違うんだ!間違いなんだ!もう一度調べてくれ!」と叫んでも誰も取り合ってくれないなんて、自分だったら気が狂ってしまうかもしれないと思う。
この映画の元になった現実の社会では、証拠を改ざんした検察側が処分されたり、悪意を持って犯人をでっち上げた個人(警察官)らが何らかの制裁を受けたりしたのだろうか。
気になるところだ。