仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

塀の中のジュリアス・シーザー

2015年02月12日 | 映画サークル
ましけ映画サークル2月例会(2015年2月10日)は、仁左衛門企画『塀の中のジュリアス・シーザー(原題Cesare deve morire)』(2012年/パオロ・タヴィアーニ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督/イタリア)だった。
物語は、「ローマ郊外にあるレビッピア刑務所では、囚人達による演劇実習が定期的に行われている。今年の課題には、シェークスピア作の『ジュリアス・シーザー』が選ばれ、出演を希望する者達がオーディションで選ばれていった。シーザー役は麻薬売買で刑期17年のジョヴァンニ・アルクーリ。キャシアス役は累犯及び殺人で終身刑のコジモ・レーガ。ブルータスに組織犯罪で刑期14年6ヶ月のサルヴァトーレ・ストリアーノといったように、殺人、麻薬密売、組織犯罪等、様々な罪を犯した死刑囚や長期懲役者達が選ばれ、所内のいたる所で舞台監督ファビオ・カヴァッリの指導により稽古をしていくのだが・・・」という内容。
事前情報があまりなかったので、「本当に囚人達が演じているのだろうか?そういう設定か?」等とモヤモヤした気持ちを抱えながら見ていたのだが、見終わってから調べてみると、やはり本当の囚人のようだった。
ただ、ブルータスを演じたストリアーノだけは、2006年に減刑されて出所した後、刑務所での演劇研修の経験を活かし、カヴァッリの下で俳優に転身したのだそうで、本作のブルータス役を引き受けるため、収監されていたレビッビア刑務所に役者として数週間戻ったのだそうだ。
舞台監督のファビオ・カヴァッリという人は、2002年からこのレビッビア刑務所での演劇実習の共同責任者を務めているのだそうで、重警備棟の100人以上もの服役囚達が参加する刑務所内での演劇実習を指導し、芝居を披露してきたのだそうである。
現在までに2万2,000人以上もの観客が、彼等の芝居を観るために刑務所内に足を踏み入れているというから、何とも凄い企画である。
(^_^)
この作品は練習風景がモノクロで、舞台本番シーンがカラー映像で描かれているのだが、このモノクロ映像が先述の何ともいえないモヤモヤ感、得体の知れない囚人達の感じを増幅させていったような気がして良かったと思う。
ただ、"ジュリアス・シーザー"という演劇が稽古・本番の様子を通して、ほぼ淡々と進んでいくだけなので、途中は多少退屈に思えたりもしたのだった。
(^_^;)

ヴェニスの商人

2006年09月13日 | 映画サークル
映画サークル9月例会は、守〇企画の『ヴェニスの商人(原題THE MERCHANT OF VENICE)』(2004年/マイケル・ラドフォード監督/アメリカ・イタリア・ルクセンブルグ・イギリス)だった。
これは言わずと知れたシェークスピア原作の戯曲だが、映画化されるのは初めてというから驚きだ。
ユダヤ人の金貸しシャイロックを演じるのは、アル・パチーノ
よくぞこの役柄を引き受けたものだと思うが、"シェークスピア原作"で、"その中でも一番人気がある話"で、"初めての映画化"だということが彼のチャレンジ精神に火をつけたのだろうか。
仁左衛門は原作を読んだことは無いのだが、中学の文化祭でこの演劇をしたことがあって、自分の配役が何だったのか忘れたものの物語は知っていた。
中学の文化祭だなんて何十年も前の話なのだが、「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」という台詞がとても印象に残っていて、この台詞をワクワクしながら待っていたのだが、この作品では遂にこの台詞は出てこなかった。
あれは翻訳家か脚本家がその諺を入れてみたかっただけのことだったのかもしれない・・・。
(^_^;)
先日見た『ザ・ハリケーン』(1999年/ノーマン・ジュイソン監督/アメリカ)もそうだったのだが、"正義"(justice)という言葉がとても強調されて使われていたことに何となく違和感を覚えた。
というのも、これはキリスト教の聖典の下に守られているキリスト教徒の正義や倫理の話であって、ユダヤ教の聖典の下で生きているユダヤ教徒の正義や倫理を尊重したものではない、ただのキリスト教の屁理屈だと思ったからだ。
(大昔の)キリスト教徒がユダヤ教徒をさげすんでいる日常を自然な状況とした上での単なる復讐劇であって、異教徒を同じ人間として尊重せずにつばを吐きかけたり追い込んだりしていた貿易商アントーニオ(ジェレミー・アイアンズ)には裁判の結果、寛大な処遇がされたりする。
まぁ、所詮は16世紀のヨーロッパを舞台にした架空の物語なので、熱くなることもないのだが。