鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

極月も中旬に、

2017-12-10 15:03:21 | 思いつくまま

 突然ですが、みなさんは夏井先生の俳句といっていいのかどうか、正式な題名は、あっそうかプレバトとかいっていたかな、芸能人の俳句大会というか、夏井先生のお題を基に俳句をつくり、容赦なく才能あり・凡人・才能なしにランク付けされ、厳しい添削が待っているという番組ですが、これは録画してあとで夫婦でゆっくり見ることにしています。

 わたしとしても毎日担架(まもなくお世話になるかもしれません)ならぬ短歌(といえるのであれば)を作っているので、短歌と俳句の違いはありますが、毎回興味深く見させてもらっています。このまえ極月という季語があるということを知った次第です。12月、師走だけではつまらないですからね。

 

                   

 今日は久しぶりにゆっくり起きました。8時起床です。ですから河原へ行ったのも11時過ぎでした。もう陽射しは高くなっていますし、広瀬川の分流も水量が少なくなってきているということもありますが、川底までよく陽射しが差していました。しかも風がないのです。

 

           

 これはしめたと思いました。これなら鮭の姿も十分に確認することができる、写真も撮れるだろうと喜び勇んで流れのそばまで下りていきました。 それにしても水量がきのうよりもさらに少なくなっています。もともと冬は水量が少なくなる時期ではありますが、それにしても少なすぎます。

 

       

          

 

 

 分流の上流域はもう完全に干上がっていると言ってもいい状態です。2か所に水溜りがあるだけです。心配なのは減水についていけなかった、取り残された魚です。冬だから多分そういう魚は居ないだろうとは思いましたが心配です。

   (上流域) 

 でも実際に川底まで下りて行って見た所取り残されて戸惑っている、苦しがっている魚が居なくてホッとしました。何年か前は、あれは秋だったかな、分流の水溜りにかなりの数の小魚が取り残されていたことがありました。

 

 その時は懸命の救出作戦を実行し、何十匹という小魚を本流へ逃がしてやることに成功しました。ほとんどは中小のヨシノボリでしたが、なかには小ぶりのヤマメまでもいまして、びっくりしたものです。

  (下流域)

 もう1回は雨水等の排出路の真下の水溜りでしたが、泥の中から救い出したのはどじょう、えび、ヤゴ、とくにドジョウが一杯いたのには驚いたものです。逞しい生命力だなと感心したものです。 そういうことが過去にあったものですから、急激な水量の減少には要注意なのですが、今回はそういうことがなくてホッとしたところです。

 (下流域) 

 また話しが脱線していきました。サケのことですよね。このような天候状況では川底がよく見えるからサケの姿も確認できるだろうと喜んだのですが、分流の上から下までよく見ても大きな魚の姿は見えません。小魚の姿もありません。あるのはまえからあるサケの死骸だけです。

 これは一体どういうことなのでしょうか?不思議とした言いようがありません。一昨日は確かに2匹のサケの姿を見たのですが、・・・。写真まで撮りました。しかも分流の上下はもう完全に石ころでふさがっているので本流へは逃げられません。

 不思議と言えば、川底に沈んでいるサケの死骸ですが、水量が増えたわけでもないのに移動したり、しばらくして無くなったり、かと思えばいつまでたっても腐敗しなかったりという現象があります。これだって毎日見ている者としては不思議な現象に映ります。

 

 「第九」です。”交響曲「第九」の秘密”(マンフレッド・クラメス著)から;

 O  Freunde,   (直訳) 友よ  このような旋律ではなくて!

 【合唱はいきなり、このあいさつで始まる。なんという導入部でしょう!・・・。ここでは友人である観客たちに、心の変容を促してるのです。・・・。全ての人々に向かって≪友よ≫と呼びかけており、そこに区別や差別は一切ありません。・・・。】

 nicht  diese  Töne!  (直訳) このような旋律ではなくて!

 【・・・。聴き手である友人たちのためになる、ある”願い”を伝えているのです。Töne は一般に旋律(メロディー)と訳されますが、もっと深い意味で、調子、気分、感情、雰囲気、さらには時代の空気などを指します。・・・。ベートーベンは友に<この調子ではなくて!>と語りかけていますが、決して怒りから発せられた言葉ではありません。闇の破壊的なエネルギーなどの”悪い調子”に気付くように、という大切な忠告なのです。・・・。『第九』が発表された当時は、「ナポレオン戦争」が終結したばかりで、どの家庭も過酷な喪失や悲劇を経験していたのです。・・・。「この否定的な調子(状態)から抜け出そうと呼びかけたのです。・・・。】

 ...sondern  lasst  uns  angenehmere  anstimmen,  (直訳) 代わりに、より心地よいのを始めよう

 ...und  freudenvollere. (直訳) そして、より喜ばしく

 【・・・<もっと朗らかな調子で歌い始めよう><もっと肯定的なエネルギーをうみだそう>と、観客に呼びかけたのです。anstimmen には「歌おう」と「変えましょう」という二つの意味があります。・・・”より良い旋律”という意味ではありません。そして彼は「心がより喜ばしい状態に代わるよう、もっと校庭邸な調子に変化しようではないか!」と、自らの願いを表出するのです。】

 以上は216小節から236小節までのバス(バリトン)の独唱部分です。

                     

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする