「オジいサン」京極夏彦 2011中央公論新社
『中央公論』2009年05・08・11月号、2010年02・05・08・11月号
エッセイのように読めばいいのかなと思ったよ。
『こんなに真面目に受信料を払っている人間の許に公共の放送局が電波を送らないなどという理不尽はない』とか、ケイタイについて『写真はともかく、テレビは嘘だろうと本気で思った。調子に乗れば洗濯もできる掃除もできると言い出すのではないか』とか、『敢えて時は金なりの格言に従うならば、徳一は大金持ちということになるだろう。二十四時間の総てが自分のものである』とかね、変な共感と満足を覚えるのだった。
『向かう方向が概ね間違っていないようならば、多少のことはまあいいやと思ってしまうのだ』
あ、老人のことを言っているのではなく、これって生き方全般への問いかけだよね。
あ、作品そのものが、最初からそうなっているよね。
そうしたらね、やっぱりね、ラストはいいね。
他人からね、必要とされたいんだ。
老人をちゃんと敬え!
いや、敬わなくてもいいから馬鹿にするな。
ちゃんと一人の人間として扱え。想え。
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