電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

壊れるときは次々と

2005年07月11日 21時23分05秒 | Weblog
機器が壊れるときは、次々とおこるものだ。まず、年代物の8ミリビデオカメラが壊れた。次に、LD/CDプレーヤーが壊れた。トレイは開くが、レーザーピックアップ部分が機械的に動作していないようだ。そして昨日、8ミリとVHSのダブルデッキが壊れた。電源が入らない。ヒューズ程度ならいいのだが、どうも電源部が原因らしい。
いずれも1990年代の骨董品に近いもので、そもそも修理できるかどうかも怪しいし、量販店に行き新品を購入してくればすむ話しではあるけれど、そうすると今までの8ミリビデオムービーに撮影した家族の記録もパーになってしまう。ここは近所の電気屋さんに来てもらい、修理可能かどうかを判断してもらうことにした。せめて、DVDにダビング作業中の8ミリデッキだけは、なんとか修理したいところだ。

あらためて思うことだが、再生装置を必要とする記録は、記録メディアが半永久的なものであっても、再生装置がすたれた時点でごみになってしまう、ということ。その点で、本というメディアはすばらしい。再生装置を必要としないために、陳腐化しないのだ。30年以上前の学生時代に読んだ、スタンダールの『パルムの僧院』(大岡昇平訳、新潮文庫)は、だいぶ古びてはいるけれど、今でも手に取り自由に読むことができる。

だが、自分の家族の生活の歴史や子どもの映像記録などは、ふつう本として残すことは困難だ。いきおいビデオ映像として残そうとするだろう。それとも、そう考えることがすでに誤りで、本として残すために、そのDTP編集素材としてビデオや写真などをとらえるべきなのだろうか。
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