電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

セル指揮クリーヴランド管による新旧の「ザ・グレート」を聴く

2010年08月10日 06時05分43秒 | -オーケストラ
シューベルトのハ長調の大交響曲、番号で言うと第9(8)番、いわゆる「ザ・グレート」について、ジョージ・セルは、クリーヴランド管弦楽団を指揮して、1957年のCBSと1970年のEMIと二種類のステレオ録音を残しています。これまで、長らく1970年の録音をLPで聴いてきました(*)が、近年、57年の旧録音が公共の財産として公開されたのと、70年の録音のCDを入手したのを契機に、この二つの録音をあらためて聴いてみました。

参考までに、演奏データを示します。
■EMI録音(1970年)
I=14'07" II=14'21" III=9'38" IV=11'34" total=49'40"
■CBS録音(1957年)
I=13'26" II=13'33" III=9'04" IV=10'24" total=46'27"

ちなみに、EMI録音のほうはCDの表記により、CBS録音のほうは、RhythmBox のタイムデータから無音部分を補正したものです。LPの表記はトラックごとの時間を表していたのか、少しずつ違いがあるようです。

ごらんのとおり、両者を比較すると、テンポの変化が大きいことが第一印象です。全体としては、晩年の録音の方が、ゆったりとしているほか、劇的な効果も印象を強めています。しかし、インテンポのリズムの刻みは精密で、きびきびした、ひじょうに推進力に富む演奏であるという特徴は変わりません。



長い間、音楽を聴いてきましたが、若い頃は、速めのテンポでダイナミックな演奏を好みました。年齢とともに、基本的には速めのテンポで活力のある演奏を中心としながらも、ときにはゆったりとしたテンポで語りかけるような演奏にも魅力を感じるようになりました。
このことは、演奏家のひいきにも影響があり、カール・ベームの指揮するモーツァルトの「レクイエム」などは、モノラルの旧盤(FG50)の緊迫感を評価しておりましたし、たぶんセルのシューベルトも、若い頃ならば旧録音の緊迫感と集中力に満ちた演奏の方を高く評価しただろうと思います。しかしながら、50代後半も残り少なくなってきた今、1970年の録音に聴くセル最晩年の音楽が、必ずしも弛緩したとか病気による衰えが見えるとは感じられません。

ピアニストや声楽家などとは異なり、指揮者は直接自分が音を出すわけではありません。棒を振れないほど衰弱していたら、そもそも立っていること自体が容易でないはず。演奏するのは(相対的に)若く活力のあるプレーヤーであり、指揮者はそれを組織立てコントロールする役割かと思います。亡父の晩年を見ていると、本当に衰弱するまでは、物の考え方の基本にゆらぎはありませんでした。ただし、物事の感じ方、受け止め方には変化があり、当たり前の日常に価値を見出すようになっていたと思います。

セルの「ザ・グレート」のテンポが大きく変化したのは、自分のオーケストラが、駆り立てなくても望みの性能を発揮してくれるようになっていたという事情も大きいでしょう。それとともに、年齢的に、速いテンポでぐいぐい押していくよりも、若い頃に呼吸した後期ロマン主義的な音楽、そしてそれを否定する形で直截な表現を目指してきたものの、ふと感じる親しみ深さや懐かしさなどの感情を取り入れて、十全に表してみたいと考えるようになったためではないか、と感じました。基本的に、推進力・活力にあふれる音楽ではありますが、ふと振り向いたときに見える懐かしい風景や人々の姿、そんなものも感じさせる演奏に変化しているように思います。

そうそう、旧録音のほうは、ウォークマンE で週末農業のおともとして、剪定をしながら聴くにはちょうどよいテンポです。伸びすぎた枝や新梢をパチンパチンと切り、混雑しすぎた枝をノコギリでゴリゴリと切り落とすには、リズムがいかにも活動的で、思わず鼻歌まじりです。「天国的な長さ」? はて、当方の農作業には、小休憩までちょうどよい長さです(^o^)/

(*):シューベルト「交響曲第9番」を聴く~「電網郊外散歩道」2006年5月

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