『モンテ・クリスト伯』におけるカドルッスとアンドレアの悪党どうしの会話のリアルさについて、作者はいつこんな会話を再現できる素養を身につけたのだろうと不思議に思いました。そういえば、文豪アレクサンドル・デュマの生涯について、実はほとんど知らない。チャールズ・ディケンズのときも、Wikipedia で調べたことが作品の理解に役立ちましたので、ここは「アレクサンドル・デュマ」について調べてみましょう。
なになに、「アレクサンドル・デュマ」は三人いる(*)のか?
(1)将軍アレクサンドル・デュマ
(2)文豪アレクサンドル・デュマ(大デュマ)
(3)息子アレクサンドル・デュマ(小デュマ)
しかも、将軍デュマは文豪デュマの父親で、現在のハイチで白人の侯爵と黒人奴隷の女性との間に生まれた私生児だったといいますから、大デュマはアフリカ系?カリブ系?理系の門外漢には思わず驚愕の事実が判明してしまいました!
母の死後、父に奴隷として売り飛ばされましたが、父がフランスに帰国した後に買い戻されて渡仏。貴族の私生児として認知されますが、父の再婚に反対したため援助を打ち切られ、フランス陸軍に一兵卒として入隊、龍騎兵としてルイ16世に仕えますが、革命の勃発で革命軍に転じ、陸軍中将にまで出世します。この間、町の有力者の娘と恋に落ち、生まれたのが大デュマです。
将軍トマ・アレクサンドル・デュマは、ナポレオンのエジプト遠征に従軍しますが、この遠征が個人的野心に基づくものと批判したためにナポレオンにとの関係が悪化。フランスに帰る途中嵐で船が難破し、ナポリで捕虜として監禁生活を送ります。この間、食事に砒素が入れられたとかで健康を害し、せっかくの美丈夫が心身ともに衰弱して帰国。おまけにナポレオンの人種差別政策によって軍隊への復帰もかなわず、彼の没後は未亡人に対し年金の下付も認められませんでした。ナポレオンから徹底的にいじめられたというわけです。
そんなわけで、有力者の娘として育った母と、失脚した混血の将軍の子として1802年に生まれた少年デュマは、相当に貧しい生活を送らなければならなかったようです。まともな学校教育も受けられなかったようで、母親は苦労して息子を私塾に通わせ、教育を受けさせています。おそらく相当に人種差別も受けたことでしょう。やがて劇作家を志したデュマは、ロマン主義演劇の旗手として名をあげるようになります。文豪デュマが描いた悪党の姿は、L.V.ベートーヴェンと同時代に、底辺の生活を送っていた頃に、身近に見聞きしたものなのだろうと思われます。
文豪デュマ(大デュマ)は名声を得て巨額の財産を作りますが、妻と息子は日陰の存在に置かれたままでした。大デュマは政変等により破産してしまいますが、この息子が小デュマで「椿姫」の作者。この作品をオペラ化したのがヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」というわけです。
(*):アレクサンドル・デュマ~Wikipediaの検索結果
なになに、「アレクサンドル・デュマ」は三人いる(*)のか?
(1)将軍アレクサンドル・デュマ
(2)文豪アレクサンドル・デュマ(大デュマ)
(3)息子アレクサンドル・デュマ(小デュマ)
しかも、将軍デュマは文豪デュマの父親で、現在のハイチで白人の侯爵と黒人奴隷の女性との間に生まれた私生児だったといいますから、大デュマはアフリカ系?カリブ系?理系の門外漢には思わず驚愕の事実が判明してしまいました!
母の死後、父に奴隷として売り飛ばされましたが、父がフランスに帰国した後に買い戻されて渡仏。貴族の私生児として認知されますが、父の再婚に反対したため援助を打ち切られ、フランス陸軍に一兵卒として入隊、龍騎兵としてルイ16世に仕えますが、革命の勃発で革命軍に転じ、陸軍中将にまで出世します。この間、町の有力者の娘と恋に落ち、生まれたのが大デュマです。
将軍トマ・アレクサンドル・デュマは、ナポレオンのエジプト遠征に従軍しますが、この遠征が個人的野心に基づくものと批判したためにナポレオンにとの関係が悪化。フランスに帰る途中嵐で船が難破し、ナポリで捕虜として監禁生活を送ります。この間、食事に砒素が入れられたとかで健康を害し、せっかくの美丈夫が心身ともに衰弱して帰国。おまけにナポレオンの人種差別政策によって軍隊への復帰もかなわず、彼の没後は未亡人に対し年金の下付も認められませんでした。ナポレオンから徹底的にいじめられたというわけです。
そんなわけで、有力者の娘として育った母と、失脚した混血の将軍の子として1802年に生まれた少年デュマは、相当に貧しい生活を送らなければならなかったようです。まともな学校教育も受けられなかったようで、母親は苦労して息子を私塾に通わせ、教育を受けさせています。おそらく相当に人種差別も受けたことでしょう。やがて劇作家を志したデュマは、ロマン主義演劇の旗手として名をあげるようになります。文豪デュマが描いた悪党の姿は、L.V.ベートーヴェンと同時代に、底辺の生活を送っていた頃に、身近に見聞きしたものなのだろうと思われます。
文豪デュマ(大デュマ)は名声を得て巨額の財産を作りますが、妻と息子は日陰の存在に置かれたままでした。大デュマは政変等により破産してしまいますが、この息子が小デュマで「椿姫」の作者。この作品をオペラ化したのがヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」というわけです。
(*):アレクサンドル・デュマ~Wikipediaの検索結果
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます