電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

李登輝『台湾の主張』を読む

2016年09月09日 06時00分53秒 | -ノンフィクション
人畜無害の仙人を自覚する私が、現代の政治家の本を読もうと思い立つことは、まずありません(^o^;)>poripori
同じ化学出身ということで、英国の「鉄の女」サッチャーの自伝に興味を持ったことはありますが、図書館であの厚さに恐れをなして、ついに手にすることはありませんでした。そんな私が、なぜ台湾の元総統の本なんぞを読もうと思ったのか。それは、映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観たり(*1)、あるいは温又柔著『台湾生まれ日本語育ち』を読んだり(*2)したことで台湾の複雑な近現代史に興味を持ったことに加え、日本語に堪能な元総統の青年期の自己形成への興味、すなわち植民地台湾から宗主国日本の帝国大学へ留学し、政治家として中国と米国と日本とアジアの狭間で自立を目指した人物の来歴と考えを知りたいと思ったからでしょう。いわば、生身の人物への興味、子供の頃に読んだリンカーンやガンジーへの興味と同種の関心です。1999年に刊行された本書は、台湾総統現役時代の本です。構成は、次のとおり。

第1章 私の思想遍歴
第2章 私の政治哲学
第3章 台湾の「繁栄と平和」の原動力
第4章 いま中国に望むこと
第5章 いまアメリカに望むこと
第6章 いま日本に望むこと
第7章 台湾、アメリカ、日本がアジアに貢献できること
第8章 二十一世紀の台湾
あとがき

いやはや、まさに政治的な立場が明確な主張です。でも、当方にはこうした本を日本語で書いてしまうほどの日本語力がどのようにして培われたのかを知ることの方が、実は興味深いものがあります。その意味では、第1章:「私の思想遍歴」がいちばん興味深いかも。ここでは、比較的恵まれた家庭に育ったこと、父が買ってくれた『児童百科辞典』のこと、自我の目覚めとそれを抑制する克己心を養う日本思想の影響、中国文化の弊害に対する反省、農業経済学を通じた数量的な見方、アジア的生産方式と毛沢東「聯合政府論」、台湾にやってきた国民党政府による「2.28事件」、キリスト教、土地問題と孫文、台湾のアイデンティティ、停滞社会からの脱出、などについて、「台湾は台湾だ」という立場から、かなり率直に語っています。

こうした考え方の基礎のかなりの部分が養われたのは、実は日本統治時代のオーソドックスな教育~公教育を経て高等学校から京都帝国大学へと進み、その後の台湾大学、米国のアイオワ州立大学とコーネル大学に学んだ経験からでしょう。京都帝国大学農学部農業経済学科での卒業論文に、「台湾の農業労働問題の研究」というテーマを選んだ背景には、マルクス経済学の影響が濃厚にあるようです。しかし、農業経済学を数量的に扱い農業政策を考える中で、地権の分配、土地で働く人に土地を与える方が、土地で働かない者に土地の所有を集中させるよりも生産性を上げることができるが、農業問題は農業だけでは解決せず、工業化を急ぐあまり農業と非農業を無理に分離してはならないという方向に進んで行った、と考えられます。それが、経歴に似た要素がある蒋経国総統に重用されるようになっていった理由の一つだったのでしょう。

(*1):映画「KANO1931~海の向こうの甲子園」を観る~「電網郊外散歩道」2015年3月
(*2):温又柔『台湾生まれ日本語育ち』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月

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