万延元年(1860)に来日したイギリスの植物学者ロバート・フォーチュンは、上駒込村染井の植木屋について、
その著「江戸と北京」の中で、「染井村全体が多くの苗木園で網羅され、それらを連絡する一直線の道が、
1マイル以上も続いている。私は世界のどこへ行ってもこんなに大規模に売り物の植物を栽培しているのを見たことがない。
植木屋はそれぞれ3.4エ-カー(4000坪)の地域を占め、鉢植えや路地上の何れも数千の植物があり
よく管理されている」と書いている。
文中の「1直線の道」は駒込駅方面から染井霊園へと続く現在の染井通りを指している。
日本を代表する染井吉野は染井の地が発症の地とされている。長年にわたる植木屋たちの活躍により、
この地で新たな品種が誕生する素地が形成されていたのである。