思いつきの旅日記

写真で楽しむ旅行の記録

山古志・・・牛の角突き

2016-05-27 11:16:30 | 旅行
<牛の角突き>
ーかけ、はたき、ねりをふんで、首を預ける力と技でぶつかり合う勇壮な戦いー
山古志の「牛の角突き」の歴史は古く、1000年前とも言われています。
山間の棚田で荷物を運搬したり、田畑を耕作したりするときに、足腰が強く、
寒さや粗食に耐え闘志に溢れる牛は貴重な働き手であったのです。
密接な関係の中で「牛の角突き」は山古志の人々の娯楽として根ずいていったのです。

            

             

            

            

                    






























  


三社祭・・・浅草

2016-05-20 11:06:16 | 散歩
 <浅草神社>
推古天皇の628年隅田川で漁師の兄弟が網の中から出てきた一像を持ち帰った。
土地の文化人である土師真仲知に聞いたところ尊い聖観音像であるので自邸に堂舎を構えて寺とし、
3人共々あつく聖観音像をお祭りするようになったと言います。
これが浅草寺の起源である、後世この3人が浅草寺の開創者として三社大権現の尊称を
与えられるようになった。その後三社権現の名称は廃され、現在は浅草神社と呼ばれています。

 <昔の祭礼>
昔の祭りは3月17,18日の両日に行われ1321年から三社の神話に基づき船祭りが
始められたといわれています。江戸時代には大祭前夜神輿を観音本堂の外に安置し、
びんざさら舞いも堂前の舞台で行われたように、浅草寺と一体となった祭りで、
「観音祭り」「浅草祭り」と呼ばれました。祭礼は今のように本社神輿を
担ぎまわることよりもむしろ氏子一八ヶ町、片町、茅町、天王町、黒船町、
三好町、などから出された山車が中心で、各町がそれぞれの趣向で
行列の勢いと絢爛さを競い合ったようです。

 <今の祭礼>
氏子の44ヶ町と浅草組合で構成される浅草神社奉賛会により運営されています。
編木舞・拍板舞(びんざさらまい)は、田楽の楽器の一種でチベットから中国をへて
日本に渡りました。意味は「振り動かすと音を出す木」ということで
板を108枚並べて上の端をひもで結び、アコーディオンのように両端をにぎって
伸縮するとさらさらという音がでます。


            

            

            

            

牛島の藤・・・樹齢1200年

2016-05-06 11:06:08 | 散歩
牛島は埼玉県春日部市にあり、この藤は元真言宗連花院の境内にあった。
明治7年廃寺となり爾来所有者が変わり現在に至る。
人々の言い伝えによると1200余年前、弘法大師お手植えの藤とも言われている。
この藤は特別天然記念物の指定を受けている。
本州四国九州の山地にある、最も優秀な園芸の変種で、花房の長さは最も長いもので2mにもなり、
根回り10平方m、花色は美しい藤紫。樹は根元から数本に分かれて藤棚の面積700平方m、
と同じものが3箇所にある。