思いつきの旅日記

写真で楽しむ旅行の記録

山代温泉

2016-08-19 11:51:57 | 旅行
 <湯の曲輪古総湯と総湯>
湯の曲輪(ゆのがわ)とは?
江戸時代は、共同浴場の周りに温泉宿が立ち並び湯治客は共同浴場に通ったり、
時には自然の中を散策しながら長逗留をしていました。この共同浴場が「総湯」です。
そして総湯を中心とした周囲の街並みを「湯の曲輪」といい、北陸特有の呼び方となっています。

 <古総湯>
平成22年湯の曲輪に新しく誕生した。外観や内装だけでなく、入浴方法など、
明治期の雰囲気を味わいながら山代温泉の歴史や文化が体験できます。
2階には湯上りに涼むことができるようになっており、浴室の床や壁には九谷焼のタイルが使われています。

 <総湯>
加水なし源泉のみで、浴槽の湯は毎日入れ替えています。吹き抜けの天井には大きな天窓があり、
壁面には地元九谷焼作家による手書きタイルが張られ、多彩な絵柄を楽しめます。


               

               

魯山人寓居跡 いろは草庵

2016-08-19 11:28:13 | 旅行
若き魯山人の息づかいを感じる…
魯山人寓居跡 いろは草庵
金沢の文人・細野燕台の食客となった魯山人は、大正4年秋から翌年春までの約半年間、
山代温泉に滞在し、菁華窯などの刻字看板を彫った。
その寓居を当時そのままに公開しているのが、「いろは草庵」である。
仕事場や書斎、囲炉裏の間が見学できるほか、土蔵を改装した展示室では作品も展示している。
山代温泉の旦那衆は、当時まだ無名であった魯山人の才能を認め見出した。
この山代温泉で魯山人は燕台の煎茶仲間でもある初代・須田菁華から陶芸の手ほどきを受ける。
以来、刻字看板制作の傍ら菁華窯に通い作陶に力を注いだ。
山代は、魯山人の才能を開花させた地ともいえるだろう。
後年この別荘をたびたび訪れた魯山人は、旦那衆と書画、骨董について語り合い、
旬の食材を用いた料理を味わい、美食談義に花を咲かせたという。
晩年には、「私ハ先代菁華に教へられた」(昭和30年・金澤美術倶楽部の講演の演題)と
述べている。亡くなる4年前のことである。
故郷をもたない魯山人にとって山代の地は、心許せる居心地のよい場所であったにちがいない。

               

              

            

                   

                

         








雑司ヶ谷鬼子母神

2016-08-05 11:09:46 | 散歩
<鬼子母神堂>
菩薩形の姿の鬼子母神
インドの邪神が釈迦によって改心し、安産と子育ての神となったと伝えられる鬼子母神。
雑司ヶ谷鬼子母神堂の像は、永禄4年(1561)に清土(文京区目白台)のあたりで掘り出され、
東陽坊に納められたものです。また雑司ヶ谷の鬼子母神像は鬼形ではなく、羽衣と瓔洛をつけ、
吉祥果をもち幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしているのが特徴で、
角の付かない鬼の字を用いて尊称されています。
本殿は寛文4年(1664)に安芸藩主浅野家に嫁いだ加賀藩主前田利常の息女の寄進により
建立されたもの。