天正3年(1575)金森長近、信長より大野郡の3/2の領地を与えられた。 長近、大野城の普請と城下町の建設を始めた。 安政4年(1775)野口村(現在の大野市役所近辺)から出火、城下1400戸を焼く大火となり、大野城も本丸などを焼失した。 寛政7年(1795)本丸を再建した。明治6年(1873)明治新政府の「廃城令」により大野城も取り壊された。 昭和43年(1968)旧士族の荻原貞氏の寄付により、天守閣を推定復元した。
大野城は亀山を利用して築かれた城で軍学上では梯郭式に分類される城で、城の三方には人工外堀をめぐらしました。 東側の端には今も百閒堀の1部が残されています。西側には赤根川、沼地もあり、天然の濠として城の守りを固めました。