羽根木公園はその昔、六郎次という鍬や鎌をつくる鍛冶屋が住んでいたところから「六郎次山」と呼ばれていました。
大正末期、敷地の一部が根津財閥の所有であったことから「根津山公園」とも呼ばれるようになりました。
東京都は昭和31年ここを公園として開設し、名称はこの地が世田谷字羽根木の飛び地であったところから
羽根木公園になりました。
昭和40年世田谷区に移管され、昭和42年世田谷区議会議員55名が南斜面の笹が生い茂っていたところに
55本の梅の植樹をしました。現在は紅梅270本白梅380本と都内でも屈指の観梅の名所となっています。