小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にあった、戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)で、北条氏の本拠地として有名である。
江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている。
北条早雲氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。だが、建築者は、不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通説であるが、大森氏時代にはより東海道に近く15世紀の遺構が実際に発掘されている現在の三の丸北堀付近にあったとする異説もある。
3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた。
江戸時代に居館部が近世城郭へと改修され、現在の小田原城址の主郭部分となったが、八幡山は放置された。そのため、近世城郭と中世城郭が江戸期を通して並存し、現在も両方の遺構が残る全国的に見ても珍しい城郭である。
天守閣がリニューアルされたので綺麗になっていました。
旧津金学校は、明治・大正・昭和三代の校舎が移築せず並び残る学校として全国的にも貴重です。
創立以来100数十年、日清、日露、太平洋戦争などの激動の時代を乗り越えて津金の文化と教育の要となって来ました。
明治8年明治校舎落成。和洋折衷のハイカラな疑洋風建築様式は、新たな教育に掛ける当時の村民の願いが強く籠められています。
大正13年には、明治校舎に隣接して木造平屋校舎が建てられました。昭和28年、津金中学校が建設されました。
昭和校舎です。大正校舎は、平成10年に外観はそのままに農業体験施設として復元しました。
昭和校舎は中学校合併により閉校後は平成12年レストラン・ハーブ湯を備えた施設「おいしい学校」として
建て替えオープンしました。
もっとも歴史を持つ明治校舎校舎は昭和60年閉校となり、平成元年に「須玉町歴史資料館」として復元されました。
柱や床のほとんどは創立当時のものを使っており、現在春の桜、秋のリンゴ、夏の田園風景などとともに
今なお明治の息吹を感じることができます。