松代大本営地下壕は、舞鶴山を中心として皆神山、象山に碁盤の目のように堀抜かれ、
その延長は10kmに及んでいます。
第二次世界大戦末期軍部が本土決戦後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等を
この地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、
およそ9か月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全行程の約8割が完成しました。
この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、
また労働者として朝鮮や日本の多くの人々が強制的に動員されたと言われています。
正確には解りませんが犠牲者も出たと言われています。