「絵島物語」
絵島は6代将軍家宣の愛妾ある月光院に女中として仕え出世して大年寄りとなった。
将軍家宣が亡くなったあと、月光院の生んだ家継が七代将軍となった。
大奥は御用商人が利を求めて女中の宿下がりの時に芝居遊山などに誘い酒宴を催し、
あるいは俳優などを招いて興を添えることもあった。そうしたことから絵島は、
生島新五郎と馴染みを重ねていたといわれる。1714年(正徳4年)正月12日芝増上寺にある
六代家宣の墓参に、月光院の代参として詣でたその帰途同衆の女中とともに山村座で芝居見物をして帰った。
このことが公務をおろそかにしたということで裁きを受ける身になった。
<絵島囲屋敷>
絵島は、月光院の口添えがあって死罪を免れ、高遠に遠流(遠流…死ぬまで流されている)ということになった。
絵島33歳。この時の判決は罪のない子供まで加えて1500人に及んだ。高遠の囲屋敷に在ること28年、61歳で没した。
絵島の取り扱いについては
ー永く遠流タル筈に候、番人付き差し置かるべく候
ーかろき下女ひとり付き置く
ー食物一汁一菜、朝夕両度の他無用
ー衣類木綿着物布帷子の他無用
絵島は6代将軍家宣の愛妾ある月光院に女中として仕え出世して大年寄りとなった。
将軍家宣が亡くなったあと、月光院の生んだ家継が七代将軍となった。
大奥は御用商人が利を求めて女中の宿下がりの時に芝居遊山などに誘い酒宴を催し、
あるいは俳優などを招いて興を添えることもあった。そうしたことから絵島は、
生島新五郎と馴染みを重ねていたといわれる。1714年(正徳4年)正月12日芝増上寺にある
六代家宣の墓参に、月光院の代参として詣でたその帰途同衆の女中とともに山村座で芝居見物をして帰った。
このことが公務をおろそかにしたということで裁きを受ける身になった。
<絵島囲屋敷>
絵島は、月光院の口添えがあって死罪を免れ、高遠に遠流(遠流…死ぬまで流されている)ということになった。
絵島33歳。この時の判決は罪のない子供まで加えて1500人に及んだ。高遠の囲屋敷に在ること28年、61歳で没した。
絵島の取り扱いについては
ー永く遠流タル筈に候、番人付き差し置かるべく候
ーかろき下女ひとり付き置く
ー食物一汁一菜、朝夕両度の他無用
ー衣類木綿着物布帷子の他無用