「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

聖堂の鏝絵の裂け目麦の秋 及川源作

2019-08-13 05:17:49 | 日記
 聖堂に鏝絵。和洋折衷に驚いたが、教会の白のイメージは損なわれない気がした。調べて見ると和洋折衷の教会はたくさんあって畳敷きのところもあったりする。鏝絵は左官職人が漆喰壁に、鏝で浮き彫り模様を塗り装飾したもので、それはまるで彫刻のように繊細で鏝で作られたとは思えないほど精巧なもの。粘土状にした漆喰は乾きやすく、上手くできていないと完全に乾燥してしまうとヒビが入ったり、ボロボロと剥がれ落ちてしまうそうで相当な技術が必要のようです。「裂け目」は災いの痕跡でしょうか。光彩の麦畑の景に、口惜しさのように「裂け目」の語感が強く印象的な句でした。(博子)

行平を上るのガスの火夜の驟雨 池添怜子

2019-08-11 03:52:04 | 日記
 ガスの火なので行平鍋でしょうね。お粥を煮ているのでしょうか。遠雷が聞こえていて、降るかもしれない予感がとうとう激しい雨に・・・。上下の線を活かして詠まれた句であること。行平が語る病の状態。そして急にどっと降りだして、しばらくするとやんでしまう驟雨の一過性。昼間ほど編著にその晴々を目に感じられないにしても、お粥を必要とする方の快方が思われます。(博子)


周平の「橋」めくる風七変化 八島 敏  

2019-08-09 03:27:34 | 日記
 藤沢周平の「橋ものがたり」でしょうか。橋を舞台にした十の短編で構成されている短編集。橋がそれぞれに出会いと別れの場所になって紡がれた物語を開花後に花の色が次第に変化することから「七変化」とも呼ばれる紫陽花を配したのでしょう。本のページをめくる風なのだけれど、風が本を読んでいるような詠まれ方が、周平の文章の詩情に通じるような気がして素敵だと思いました。(博子)

螢火にうるほふ宙の無音かな 石母田星人

2019-08-07 05:55:22 | 日記
 「螢火にうるほふ」と、まるで保湿クリームのような蛍であるが、すぐに「違う」と辛くなった。悲しみや孤独のようなものが「かな」の詠嘆に託されているような気がする。作者は、わいて来る涙越しに蛍火を見ているのではないだろうか。「蛍」に人間の魂のイメージを込めた作品は多い。例えば東日本大震災で失われた命への涙であるかもしれない。しかし、なぜ私は「孤独」を受け取ったのであろうか。「作者の心の闇?」そうであって欲しくはないが、宇宙は真空なので無音だと言われている。空気がない世界に心が向いていることが気にかかる。私が思春期に、心の闇の中で呼吸のないところへ行こうとした孤独感を思い出してしまったからかと思うが、言葉に尽くせない部分が「かな」かと、思う。どうか、私の、そんな経験があっての深読みであってほしい・・・。(博子)

花合歓やトニック匂ふ肩車 成田一子

2019-08-05 05:48:56 | 日記
情景のはっきりした句で、合歓の花が咲くと、幼い頃の父親との思い出がヘアトニックの匂いと共にやって来るのだろう。その花のふんわりと優しい色に連想される父。そこに記憶の匂いがあって、それがヘアトニックだと知ったのは肩車をするには大きくなり過ぎた頃だっただろう。ふさふさだった頭髪の感触も一緒に言う「花合歓」かも知れません。愛情いっぱいに育ち、その愛情を真っ直ぐに受け止めて、その中に俳句に対する並々ならぬ愛も感じ、受け止め、その魅力も知らず知らずに日々から伝承されて今がある。
<鈴買つて春夕焼の肩ぐるま 菅原鬨也 「滝」創刊主宰>
鬨也先生のお父様も俳人だった。俳句三代は鬨也先生の夢だったと先輩会員さんから聞いたことがあったが、家庭を持ちながら結社を継ぐ決心には相当な覚悟がいったはずだ。掲げる句には「お父さん、これでいいの」と呼びかけるような視線も感じる。知識はパソコンにUSBメモリを差し込むようには得られない。相当な勉強量が想像される。余計なことまで書いたが、くれぐれもお身体を大事にされてください。(博子)