モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

味噌作りのために、大雪の日に大豆の選別作業に勤しむ。昼餉はおしぼりうどん(妻女山里山通信)

2017-01-15 | 男の料理・グルメ

(左)12月11日の記事「一反の畑で栽培した大豆を脱粒。雪も舞う寒い日でしたが鯛飯と天然キノコ入けんちん汁で温まる(妻女山里山通信)」で、脱粒した152キロの大豆を選別する作業のために、降りしきる雪の中をK氏の農業倉庫へ向かいます。(中)各自ザルや箕(み)を使って不良大豆やゴミを取り除いていきます。(右)良品の多いものはザルでゴミを取り除き、不良品の多いものは箕で逆にいいものを取り出していきます。

(左)なかなか根気のいる作業で、思う様に捗りません。(中)そんなこんなで昼餉の時間。私が持ってきた長芋で、 S氏が作った酒粕と私が持ってきた岩塩でまず和物。もうひとつはキムチのタレを和えて。メインは埴科更科の名物郷土料理の「おしぼりうどん」。うどんはK氏自家製の幻の小麦、イガチクオレゴン。大根はこれも手作りのねずみ大根。あまりにも美味しくて夢中で食べたため写真を撮るのを忘れてしまいました。写真やレシピはリンクを別タブで開いてご覧ください。(右)午後に入り皆コツも掴めてきて進捗状況も芳しくなりました。

(左)黙々と作業が進みます。というわけでもなく適当に世間話などをしながら。(中)外は大雪ですが、薪ストーブのある屋内は温かい。(右)用事やらで次第に帰っていき、最後の5時まで作業を続けたのは私と息子とK氏。(右)さて帰ろうと外に出ると車は雪に埋まっていました。気温はマイナス6度! ガチガチに凍ったウィンドウの雪を溶かし、まず温泉へ温まりに。ちなみに長野県では車のルーフに雪を積んだまま走るのは完全に違法行為です。スキー帰りの首都圏の車がよくやっていますが、事故ったら事故を誘発したら確実に罰せられます。ブレーキングで自分の車のフロントガラスに落ちて視界ゼロになることもあります。ルーフの雪は必ず落としましょう。

(左)次に夕食は、篠ノ井の消防署の向かいにある中華料理の「紅日香(ベニコウ)」さんへ。息子は看板メニューの排骨湯麺(中)を。私は生唐辛子ピッキーヌ仕立ての地獄辛味噌ラーメン(右)を。辛さは店主おすすめの3で。プラス餃子をいただきました。雪の夜なのにお店は賑わっていました。排骨湯麺は五香粉の香りが香ばしい排骨とよく合います。地獄辛味噌ラーメンは、地元の宮入醸造の農林水産大臣賞を受賞したマルミヤみそ。このスープが大変美味でした。ベースはグラグラ煮立てる白湯(ぱいたん)ではなく、透明な清湯(ちんたん)だとか。味噌は中島新聞店で買えます。餃子もおすすめ。担々麺や酸辣湯麺や珍しい野沢菜ラーメンも食べてみたい。

 翌日も雪。買い物や色々用事があり、午後には外出しなければなりませんでした。まず妻女山松代招魂社へ。前日の轍がありました。林道入口へ行ってみると、誰かの足跡が続いていました。斎場山へ登ったのでしょうか。晴れれば動物たちも動くのでアニマル・トラッキングも楽しいのですが。気温はマイナス4度。

 旧赤坂山の妻女山展望台へ。除雪はしてありませんがスタッドレスなら登れます。まず西の展望。茶臼山も北アルプスも見えません。眼下の国道403号は雪がない様に見えますが、シャーベット状の雪があって危険な状態です。皆さん2車線の道では40キロ、狭い道では30キロか20キロで運転しています。明朝はマイナス8度の予報なので、凍結路面必至です。安全運転を!

 北の展望。千曲川の向こうに南長野運動公園。左に長野オリンピックスタジアム、右にAC 長野パルセイロのホームスタジアム。オリンピックスタジアムの左は、第四次川中島合戦の戦場ということで合戦場という地名が残っています。

 東の展望。松代城方面です。真田幸隆に攻略された東條氏の尼厳山もその右の奇妙山も雪雲に霞んでいます。眼下の上信越自動車道と長野自動車道は、チェーン規制がかかっています。

 買い物や用事の後に温泉へ温まりに。見上げる古代科野国の初代の大王の墓といわれる森将軍塚古墳。東日本随一の巨大な石室をもつ大きな前方後円墳です。麓には石室が再現された古墳館と長野県立歴史館があります。
 雪模様は火曜日の昼まで続きそうですが、その後晴れて18日(水)の朝の最低気温がなんとマイナス19度という信じられない予報です。外れることを祈ります。

 ところで忘れていたのですが、8日に真田幸隆、昌幸の眠る真田郷の長谷寺(ちょうこくじ)に参拝した折に御屠蘇をいただいてきたのです。御屠蘇というのは、元旦に飲む日本酒のことではなく、大晦日にいただいた屠蘇散を日本酒や味醂、赤酒に浸し、元旦に飲むものです。いただいた屠蘇散の成分は、白朮(びゃくじゅつ)、肉桂、桔梗、山椒、防風、陳皮、丁子です。中国三国時代の魏の名医華陀(かだ)の処方といわれています。古代中国の薬酒ですね。日本には嵯峨天皇の時代に唐の蘇明が唐蘇白散と称する霊薬として伝え、健康を祈念する行事として広まっていったということです。後日いただきましょう。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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2 コメント

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Unknown (かたくり)
2017-02-08 11:13:55
キッズさんは屋代高校出身でしたか。

次女三女が屋代高校に通学したので鳩祭で理数科の研究発表を見ましたが大変レベルが高いですね。

先日、善光寺の節分会に行ったついでに気になっていた千人塚を見てきました。
森忠政に鳥打峠で磔にされた数百人の供養塔ともニ斗八騒動の犠牲者の供養とも言われていますが、鳥打峠は松代藩統治時代の刑場だったとも聞きますが供養塔に刻まれた犠牲者の数があまりにも多くてにわかに信じだれませんでした。
これほど処刑したら、後の農作業に支障がでそうに思いますがどうなんでしょう?

キッズさんの家は代々庄屋をされていたそうですが、このころの資料もなにかありましたか?

また、千曲市の森地区の地名は森長吉可統治の由来からなのでしょうか?
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どうなんでしょう (モリモリキッズ)
2017-02-08 21:05:31
私が在籍していた頃よりハイレベルですね。県下トップクラスだと思います。
私が選んだのは、可愛がってくれた近所のお兄さんが行ったので自分も行きたいと決めていたからなんです。

鳥打峠の供養塔は、おそらく甲陽軍鑑にも記載されている処刑場だったので、ニ斗八騒動だけの処刑者だけでは無いかもしれませんね。

庄屋(名主)は、幕末の一代限りだったので江戸初期の記録はないです。ただ幕末に起きた上杉謙信槍尻之泉の霊水騒動には、おそらく祖先が関与しているのではないかと思っています。

森村は、古くは大穴郷(おうなごう)懸之庄清水里と称した様ですが、いつ頃から森村と称したのかは、村史や郡史を見ても記載がないですね。森長吉の統治の期間は短いですし。どうでしょう。不明です。
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