松本城ではその当時の時々の藩主の家紋を用いたものが見られます。
因みに「鐙」は馬具の一つで、鞍(くら)の両脇につるして、乗り手が足を踏みかけるものです。
戸田家の「はなれ六ツ星」
水野氏の「花沢潟(はなおもだか)」
石川数正が豊臣秀吉から拝領した「五七桐紋」
これは何家の物でしょうか?
各階の屋根の軒についている鐙瓦の紋はいろいろです。
これは、藩主交代の多かった松本城の特徴なのかもしれません。
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因みに「鐙」は馬具の一つで、鞍(くら)の両脇につるして、乗り手が足を踏みかけるものです。
戸田家の「はなれ六ツ星」
水野氏の「花沢潟(はなおもだか)」
石川数正が豊臣秀吉から拝領した「五七桐紋」
これは何家の物でしょうか?
各階の屋根の軒についている鐙瓦の紋はいろいろです。
これは、藩主交代の多かった松本城の特徴なのかもしれません。
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1993年発刊の天守築造400年記念 ”歴史のなかの 松本城”の本を取り出し、歴代城主家紋のページを改めて読む機会を得ましたことに感謝です。
有難うございました。
私は城主であった家の家紋若しくは裏家紋なのかナーと思っていました。
やはり、昔から火の怖さは有ったのですね。
鯱も同じような意味合いなのだと思います。
松本城の鯱は耳が小さいのが特徴なのだという事をどこかで読んだ記憶があります。
「歴史のなかの 松本城」、図書館で探してみてみたいと思います。