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信州松本からの投稿(2004年11月11日~)

まつもと城下町湧水群歩き回り 地蔵清水の井戸(じぞうしみずのいど)

2016-10-08 | 松本の景色
松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸

まつもと城下町湧水群歩き回り 地蔵清水の井戸(じぞうしみずのいど)
場所 : 長野県松本市丸の内9−34付近

まつもと城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸

松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸

松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸

松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸
地蔵清水の由来

中世のころ、この辺りは湧水が多いので泥町(どろまち)とか柳町(やなぎまち)と呼ばれていました。
また現在の地蔵清水(じぞうしみず)のあたりには生安寺(しょうあんじ)もあり、門前では捧庄(ささげのしょう)の市(いち)がたち大変にぎわっていました。
天正10年(1582)、小笠原貞慶(おがさわらさだよし)は父祖のゆかりの深志城を回復し、松本城とあらため、同十三年頃から城下町の整備を始めました。その折市辻に井戸を掘らせたところ、浄水とともに石のお地蔵さまが出現したので、市辻は、この霊験あらたかな清水に因んで地蔵清水と呼ばれるようになったと伝えられています。
なお地蔵尊には「文治 四年(1188)戊申年九月四日」の紀念名が刻まれていました。

※1中心市街地は古くは深瀬郷(深志郷)、捧庄(ささげのしょう)または庄内、信濃府中(しなのふちゅう)または信府(しんぷ)などと呼ばれていたようです。
※2碑文に一部振り仮名と西暦年を追加しました。

松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸
地蔵清水(じぞうしみず)の井戸西隣には、地蔵尊出現霊水地(じぞうそんしゅつげんれいすいち )と書かれた記念碑が建っています。
この石碑は1928年に建立されたもので、碑文は松本市初代市長小里頼永(おりよりなが)の筆によるものとの事です。

松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸

松本の城下町湧水群歩き回り 地蔵清水(じぞうしみず)の井戸

※3この地蔵清水の井戸の本来の場所は、「市役所北」という信号のやや南側の道路上だったそうです(長野県松本市丸の内5−3付近)。
その場所から現在の場所に引水して移動されたとの事です。



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