内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

政治と経済

2021-07-27 21:55:18 | ビジネス境界線
私の時代の経済と言えば
資本主義のことである

資本主義とは?
と尋ねられて
100%こうだと
言い切れる人は少ないだろう

一人の人間が味わう
社会の道理と
この資本主義の道理が
どこまで一致していて
どこからが違うものかは
一人の生命としては
非常に体感しにくい

社会主義という対比するものが
あるからくっきりと浮かび上がる部分が
あるわけで
その本質が何なのか
それを全部体感している人などいるのか


私たちの経済といえば
資本主義である

ヨーイドンっで
「儲けたい人
どんどん儲けてください!
というのが資本主義っぽいイメージ


ではこの発言をしている人は
一体誰なのか
と考えれば

それは国なのである

国という一つの生物が主体であり
主義というのは国が決めている方針
である

では方針を決める役割は誰?
となると
これは政治となる

国と政治というのは
同一視される感触があるが
これは全く別物である

政治は役割に過ぎない

そして政治という本性は
随分と純粋で
いつの時代も形を変えず
政治として存在し続けてきた


それは国という一つの生物
または人間が集まったあらゆる組織に
必然的に生まれる機能であり
政治はいつでも分かりやすく
政治として存在する

国がこの政治機能に任せて決めた方針が
経済システムである

こういう順序があるから
政治は経済を下位として扱う

自分達が決めている土俵の中の
存在だと認識している


しかし政治の機能の本質とは何なのか

これは一言で言えば
「調整」なのである

色々な決め事を作るのが政治
そしてその決め事は
今までのルールに反していようが
利害の圧力によって
塗り替えられ作られていく


この「利害の圧力」こそが
本来の国のパワーの源である

この源泉のパワーを
あらゆる手段で調整するのが
政治の役割である

個別で考えれば問題が
あるようなものを含め
非常にどろどろした世界だ

それは単純に調整役に徹している
ある意味正しい世界なのかもしれない


「利害の圧力」の大部分を
担っているのが経済界だ

ここを自由奔放にさせる
というのが
おそらく資本主義というやり方なのだろう

そして私の時代は
長らくその資本主義で
国はパワーの厳選を起こし
そこから生まれる利害調整を
政治が行うことで
国は違いなくホメオスタシスを
維持してきたのであろう


しかし経済も政治も
建前上の仕組みである

時代が変われば
国の本質と合わなくなることもある


日本の場合には随分と
「条件つき」の資本主義であったが
今まではそれでも
本質とうまく噛み合ってきた時代
だろうと思う


本質とは人間の本質である
そして人間が集まった組織としての
本質でもある

この本質とうまい具合に
国という一つの組織が噛み合う方法を
模索し続けた結果の手段が
国の採用する一つのシステムである



人間の本質
組織の本質
この源は誰でも感覚的に分かる

生命と家元のようなものが
その根元にある

この
個人性や
集団性の基礎は

利害がぶつかると戦争になる

そこで登場するのが政治である


資本主義においては
この本質を

頭をちょんぎったり
体をめった刺しにして
物理的に息の根を止めるのではなく
その舞台を金の世界でやりあおうぜ

という生命重要視の観点もあいまり
戦争を経済の舞台に移した試み
と言えると思う


この経済界でうまく利用されてきたのは
「株式会社」であることを
疑いの余地も感じないくらい
私たちの時代は
この法人組織のルールに従っている


今までこれが問題になることは
あまりなかった

株式会社の素養は
ひっそりと身を隠していたのだ


人間の本質とも
株式会社は特に問題なく
融合し現代の社会に根付いてきた


個人や
家元という概念や主体は

法律上の組織主体へ
移行されてきたのだ


この大きな流れは
あらゆる角度から圧力となって
続いていく


個人事業なら
メリットを謳われての法人成り

基盤のある組織であれば
危機が起こったときの支援条件として
株式会社であることが
暗黙に強制される


この流れに携わっている人達自体も
分からず進めている事も多かったのだろう


そして
直接的に人間が支配される時代から
間接的に人間が支配される時代へと
変渡する

それは
直接的に人間を殺す時代から
間接的に人間を殺す時代へと変わった事
と同じメカニズムであり
良い悪いの問題ではない


戦争はいつでも起きているが
水面下で起きている時代になっただけだ


そして私の時代は
資本主義の限界が言われるようになった

それは貧しくなったから
それだけの理由である


しかし
このシステムの本質を考えてみれば
資本主義の限界がきたのではなく

今まさに資本主義の恩恵をうける時が
やって来た人が別にいるだけのこと
である

1放任する
2育つ
3摘み取る

この一連の流れが
資本主義の本質である


これは
相反する社会主義と比べるような
話ではなく

資本主義圏内の中での立ち位置が
変わっただけの話である


そういう役目を追った中での
調整役の政治と
一生懸命に育てる経済との関係性は
今までと違った動きを見せるだろう

本来放任がルールだったのに
みんな苦しいので
保身が元になれば
お互いがお互いに干渉し始める

それは資本主義の持っていた
自由ないイメージに反しているため
自由のないイメージと結び付くことも
出てくる


こうなると
もともと政治が経済に介入しまくり
の国は強い

保身レベルの経験値で言えば
10歩くらい先を行っているからだ

全く違う考え方なのに
同じ土俵で闘いが起こっている
というのが今の情勢なのだと思う

政治というのはいつでも変化がない
しかし経済は戦場として
色々な意味が時代によって
移り変わっている

経済の場を
どう定義し何に使っていくのか
その主導権があればの話だが
これが政治のセンスなのであるかも
しれない