夢の話

2009-10-31 16:18:31 | Weblog
「夢」と聞けば、真っ先に思い浮かぶのは漱石の『夢十夜』でしょう。筒井康隆にも、夢の話を下敷きにした短編がいくつもありました。遠藤周作は、エッセイで時折取り上げていましたね。枕許に手帳とペンを用意し、目覚めたら真っ先に記憶に残っている夢の内容を記述する、と。一時期、真似をしたことがありました。十代半ば頃だったかしら。イメージとしては覚えていても、文章化するのは意外に難しかったですね。

「夢」と聞いた時に漠然と浮かぶイメージを大まかに分けるなら、二種類になるでしょうか。睡眠中に見る夢と、「将来の希望」的ニュアンスのもの…幼い子が「大きくなったらウルトラマンになる!」っていう類ですね。今時は知りませんが、かつては小学校の文集の定番メニューでしたっけ。まぁ、このトシで将来の希望だの夢だのというのもどうかなぁ、とは思います。

ですから、以下は睡眠中の夢の話。
もっとも古い夢の記憶は就学前…おそらく幼稚園時代と思います。一人で留守番をしていると(母が弟だけを連れて買い物へ行き私は留守番、という事がしばしばありました)、家の周囲をライオンやトラ・熊・狼などの猛獣が取り囲み、交互にガラス窓から室内を覗き込み、やがてドアや窓に体当たりし侵入する…文字通り前門の虎、後門の狼という状況。逃げ場のない恐怖心は強烈で、夢から覚めた直後、こいつらをすべて抹殺してやりたいと幼いながら真剣に思い詰めたことでした(物騒な話です…苦笑)。これには実生活で続きがあり、翌朝、猛烈な歯痛に襲われて初めて歯科医のお世話になったのでした。猛獣に追われる夢と実生活での歯医者体験…幼稚園児にダブルで降りかかった恐怖体験でした(笑)。この夢は、歯痛こそ伴わないものの、形を変えてかなり後まで登場しましたね。
もう一つ、恐怖心を駆り立てられた夢は、置き去りにされるもの。父と私を置いて、母が弟だけ連れて異界(異次元空間か!?)へ消えてしまうもの。ただこちらは、成長するに従い消えてしまいました。
猛獣の夢は、屋内から公園のジャングルジム・空中などへと場所が移り、やがては何に追われているか不明なままにひたすら逃げる夢へと変形していきます。ところが、ひょんなことがきっかけで、あっさり消滅してしまいました。どうしていつも逃げるばかりなのか、と夢の中で突然思ったのです。途端に形勢が逆転(笑)。ひたすら逃げるばかりだった私が、今度は攻める側に立ったのですね。それ以前と以後とで実生活に変革があったわけではなく、本当に夢の中の気付きだけで夢の中身が変わったのでした。以降、追われて逃げる夢はピタッと見なくなりました。
この経験は、後々の夢に影響を与えるようになります。夢の中で不安や不快になりそうな時、快い内容に変えようとする意識が働くようになったのです。夢に介入して内容を変えようとする…そのような意識が、夢の中で芽生えてきたのでしょう。
その甲斐もなく今でも時折見る悪夢…卒論が締め切り日に間に合わず、受付窓口のシャッターが目の前で閉じられてしまうもの(-_-;)現実には卒論は締切に間に合い無事に卒業できましたし、万一の時の裏技も学科の助手さんから事前に教えられていましたから、心配すべきことは何一つなかったのですが…。もしかしたら、大学生に戻って人生をやり直したいという、潜在的願望のなせるわざでしょうかねぇ(苦笑)。

墓標なき墓場

2009-10-31 09:48:21 | Weblog
ハードボイルドなんて、どれ位ぶりになるやら…「名なしの探偵シリーズ」以来となると、かれこれ二十数年ぶり。う~んと広義にとるなら、藤原伊織も大沢在昌もハードボイルドの範疇に入るのでしょうけど。まぁ、面白ければ、純文学だろうとミステリーだろうとハードボイルドだろうと関係ないのが、一読者の立場ですね。
『墓標なき墓場』、昨夜読了。寝る前に読むには丁度良い分量ですね。主たる舞台は昭和30年代とおぼしき北海道・釧路…秋刀魚漁で賑わい、良くも悪くも活気あふれる港町であり、その一方で季節によってはポタージュの如く濃厚な霧に覆われた町と化すという…。先日亡くなった原田康子『挽歌』と通底する風景を感じます。この風景は渡辺淳一の『阿寒に果つ』にも共通するのではないかなぁと思われるのですが…内地の者の幻想でしょうか。
お話は、北の海での海難事故に関わるスクープが元で左遷された新聞記者が、事故に隠された謎に挑むというもの。インターネットや携帯電話なんて想像もできませんし、固定電話すら一般家庭には普及しておらず、緊急の連絡は電報が当たり前の時代。新聞記者だって「記者クラブ」の発表待ちではなく、身体と才覚で情報を集めていた頃の話です。等身大の生身の主人公が右往左往しながら(もちろん、都合のよい展開はありますけど…笑)犯人にたどり着いていく様は、なかなかに読ませてくれます。これが50年近く前に発表された作品とは思えない瑞々しさですよね。理詰めでないところも良いですし、私くらいの年齢でもノスタルジーを刺激されるような…いやあ、堪能しました(笑)。
ところで、この本のカバー写真ですが、釧路駅なのでしょうか。現存するなら、是非ともこの目で見たいものです。

本日の収穫、ほか

2009-10-30 17:11:06 | Weblog
買い物の帰り道、白い山茶花を見かけました。また、どこの庭先からか、花梨の甘い香が漂ってきています。明後日からは霜月。いよいよ、年越しの準備に本腰を入れなければなりません。

それにいたしましても…です。国会論戦はパッとしないままですし、新政権のほうも何だかなぁという状態。国交相の見識もJALへの対応策で露わになりましたし、総務相についても顧問に据えた地方自治体首長の面々を見るとこれまた…。職員からのメールで逆ギレした「お子ちゃま」大阪府知事もどうかと思いますが、それ以上に疑問なのが中田前横浜市長。任期途中で市長職を放り出し逃亡した無責任男(にしか見えませんよね)を拾い上げる感覚は、かなり贔屓目に見ても理解の範疇を大きく越えています。税金を使ってボランティアでもないでしょうにねぇ。民間企業のトップが中田前市長と同様のことをしたなら、疾うに社会的に葬られていますよね。各種審議会や諮問会議とやらもそうですが、所詮政府や役所というのは『狭い世間』の中だけを見て動いているのだなぁと、再認識させられます。これを『国民目線』と呼ぶなら、臍で茶を沸かせるってものですよ。
政権交代に、取り立てて期待をしてはいませんでしたが、こうも早く失望させられるとは…。マニュフェストが不履行になっても、極端な話、鳩山総理一人に責任を押し付ければ済むと考える面々が民主党内に少なくないと、穿った見方をしたくなりますよね。来年の参院選、私の価値観から見ると、選択肢が益々なくなりそうです。

本日の収穫
*いのちの力(帯津良一・藤波源信/経済界)
ホリスティック医療を提唱してきた末期癌専門医と千日回峰行を成満した比叡山阿ジャ梨(毎度のことながらこの程度の漢字変換もできない携帯は…怒)の対談とのこと。
*風の岬
*凍った太陽
*暗い海深い霧
*墓標なき墓場
以上4冊はすべて、高城高・著/東京創元社・刊。いずれも、昭和の香り高いハードボイルド…らしいです。

『私たちが死刑評決しました。』

2009-10-28 18:08:32 | Weblog
朝晩は冷え込むものの、日中は長袖シャツ一枚か半袖に薄物の上着で良い加減の陽気…。早まってストーブを出さなくて賢明でした(苦笑)。

相変わらず、本棚…いや本の片づけをしています。まぁ、合間にボソボソ買い込んで&読んでいますから(買い込む合間に片づけをしている?!)、普通に考えれば片付くわけがない(-_-;)
展覧会の図録の背表紙を眺めながら、今年は結構出掛けたつもりでしたが、案外少ないなぁとか…。考えてみれば、リピが2回ありましたし、如月の出光や桜の季節の山種、さらにはブリヂストンでも図録を購入していませんから、冊数はこんなものですか。昨秋のハンマースホイとか、更に以前(4年前でしたか)に見たラ・トゥールとか、地味な画風に今更ながら心惹かれて眺めたりして…苦笑。

さて、『私たちが死刑評決しました。』を昨夜読了。今春から始まった裁判員制度は、実施前はイギリスやアメリカの陪審制と比較・説明されることが多かったような気がします。『12人の怒れる男たち』の映画や芝居で(そのものを見ていなくても、断片的な見聞を通して)、陪審制について知っている気になってしまった部分も少なからずあったかと思います。
一口に陪審制と言っても、アメリカ国内では洲ごとに運用の仕方が違うようです。この本の裁判の舞台となったカリフォルニア洲では、陪審員は有罪か無罪かを決め更に量刑も評決する…陪審員全員が一致した結論を出せなければ、陪審員を変えて再度審理をし直さなければいけないそうです。拘束される期間も日本の裁判員のように3、4日に圧縮されるのではなく、内容によっては半年近く陪審員としての役目を果たさなければなりません(判決が確定し刑が執行されるまで、陪審員としての役目は続くようです)。審理中はその度ごとに裁判所に通い、評議が始まると平日は終日拘束されてホテルと裁判所の間を往復、自宅に戻れるのは土日と祭日のみ。公判中は、家族・職場の同僚などと裁判について会話を交わすことはできませんし、マスコミや事件関係者との接触は禁止、公判内容以外に事件に関する記事や資料を調べることも禁止されます。更には、評議に入るまで、陪審員同士で事件について話をすることも禁止されるそうです。検事や被告人の弁護士は、それぞれ自分達に有利な評決を下しそうな陪審員を選ぼうとしますし、陪審員同士が期せずして心理戦の
様相となる場面も出てきます。この本の場合、陪審員(12名中7名)へのインタビューを柱としているため、検事や弁護士と比べた時、裁判官が果たした役割については詳しくわかりませんでした。裁判とは事実関係を認定し罪を裁く…そう考えるだけでは到底足りない世界のように感じられます。
カウンセリング先進国と思われるアメリカでも、陪審員への心理面のケアについては、手探りに近い状態のようです。ただ日本の裁判員制度と違い、陪審員は裁判が終われば事実である限りどこで何を話そうと制約はありません。一方裁判員は、審議内容を決して口外せず、それこそ棺桶まで持って行くことが義務づけられています。将来的には死刑判決に裁判員が関わる可能性も指摘されている中で、ここまでの守秘義務が課せられては、心のケアが有効に働くのか、その見通しは暗いと言わないわけにはいきません。
感動的だと思ったのは、これほど大変な経験をしながらも、陪審員は大事な務めだから別の裁判でも呼び出しがあれば応じようと考える人の存在です。このような考え方を持つ人が一人でも増えることによって、陪審制が根付いてきたのでしょう。アメリカでも、陪審員に選ばれた場合の経済的保証や職場での理解は得やすいものではないようです。それでも自分の経験を前向きに捉える人々がいる…。日本の場合は、どうでしょうか。匿名で良いと思いますから、経験者による語り(言葉にできるまで、ある程度の時間は必要でしょうが)の場が設けられたら、と願います。

雨です

2009-10-26 11:04:43 | Weblog
当初は歯牙にもかけなかった台風20号、関東地方にも影響を与えているようです。季節にそぐわぬ気温という点は変わらないのですが、今度はひと月ちかく先取り…携帯を持つ指も、微妙に強ばっているようです。元々体温が低めなため、気温が一気に下がると冬眠モード一直線なのですね。お湿りがほしい、と言った舌の根も乾かぬうちにこのボヤキ(-_-;)

本日の収穫
私たちが死刑評決しました(F.スワートロー他/ランダムハウス講談社)
アメリカのとある裁判で、12人の陪審員が死刑評決をするまでのドキュメンタリー…だそうです。書評(10/18付朝日新聞だと記憶していますが、もしかしたらその前に発売された週刊文春かも)を読んで注文したのですが、手元に届くまで一週間かかりました。秋の夜長の読書対象としては、やや重いかもしれません。

昨夜は、会社経営の友人とのお茶会(先方は車ですし、私はアルコールパスですから、結果として「夜のお茶会」になります)。数人の仲間と起業した製造業、30年近くを経ましたが、今期は赤字決算になりそうだとぼやいていました。人員削減にも手を着けたそうです。一部上場大手企業が、これまで一顧だにしなかった中小企業の現場に手を伸ばし、顧客を刈り尽くしている現況…。今まで何となく棲み分けられていたエリアが、無法地帯(とは言い過ぎかもしれませんが、私の受けた印象はそうでした)になっているようです。価格面では勝負にならない中、どこに勝機をみつけるか…。中小企業とて、相応に従業員を抱える身ですから、易々と会社を解散させるわけにはいきません。
今日から国会が始まります。先の憂い無く新年を迎えられる人が、昨年末より少しでも増えますように…。政権交代へ託された何よりも切実な願いのはずです。

寒い…

2009-10-25 20:49:02 | Weblog
11月中旬~下旬の気温だったとか…。ストーブがほしくなるような、寒い一日でした。急に気温が下がると、冬眠志向が急激に強まって、終日欠伸ばかり(-_-;)娘と二人という、緊張感を欠いた人員構成のせいでもあったのですが…。
食卓も、思いっきり手抜き。数日前に作っためんつゆを鍋に入れ、八つ切りにした木綿豆腐を並べ、その上にエリンギ、水菜、冷凍室に保存していたミートボールを乗せ、最後に油揚げを被せて、弱火で煮るだけ。これをメインのおかずにして、あとはこれまた前夜の残りのきんぴらと卵焼き。冷蔵庫内の食材寄せ集め、ですね。

それにしても、花巻東の菊池投手、日本のプロ野球へ、ですか。今までの報道をざっと見てきた限りでは、釈然としないような…。もしかしたら、後輩達の進路に支障をきたさない為の配慮が働いたのでしょうか。大きな可能性を秘めた高校生投手が、周囲への影響を第一に考えて進路を決めなければならないとしたら、随分な話です。高校から大リーグへの進路が当たり前の選択肢になるなら、野球人口が今より増える可能性だってあるでしょう。少子化の現在、野球界全体としては歓迎すべきことになると思うのですが。日本のプロ野球界って、どこかセコいと言うか、ウツワが小さい気がしますよね。現実の変化に対応できないままでは、選手にとっても球団にとってもマイナスになるばかりでしょうに。ただまぁ、このように決まったいじょうは、どこの球団が獲得するにせよ、責任をもって大事に育ててあげてほしいものです。

今日は、土曜日

2009-10-24 15:20:58 | Weblog
ここしばらく青空が広がる日が続いたせいか、雲ばかりの空はやや心許なく感じられます。でも、まぁ、空気がかなり乾燥していますから、雨がほしいのも事実。新型とてインフルエンザ、空気の乾燥も流行を支えていると考えるのは、素人ゆえでしょうか。

久しぶりに、何もない静かな土曜日。娘に車を出してもらい、全国チェーンの家電店とスーパーへ。10年選手の調理鍋の寿命が尽きて、先日は今季初の鍋料理の予定を変更する羽目になったので。一昨年、ホットプレートを買い換えた時も思ったのですが、どうして余計なものをつけて販売するのでしょうか。本来ならフラットなプレートだけあれば済む話。焼き肉用のデコボゴプレートだって、なくても不自由しないのですが…。なのに、何やら得体の知れないアイテム(説明書を読めば良いのですが、当方の使用目的を逸脱している部品についてはスルーしてしまう習い性ですから)を押し付け、値段を上げているようで釈然としません。こういうのは、オプションにしてほしいのが、正直なところです。今回の調理鍋も然り…。直火に掛けられなくても、スチームにならなくても一向に差し支えないのですけどねぇ。
あと、当たり前のことながらこの手の商品にはエコポイントの恩恵がありません。消費税はがっちり払わされるのに…。万民に平等な政策はありえないとわかっていても、どこか釈然としませんよね(-_-#)

本日の収穫
東京ひとり散歩(池内紀/中公新書)
ビジネスマンの精神科(岩波明/講談社現代新書)
大佛次郎の「大東亜戦争」(小川和也/講談社現代新書)
来年の手帳を見るだけのつもりが、ついフラフラと…苦笑。
「東京街歩き本」、割に好きです。池内紀のエッセイも目を通しているほうだと思いますし。関西出身者の東京散歩って、案外目にしないような気がします。
岩波明の本は、文庫・若しくは新書で目に付いた時に購入します。比較的良心的な精神科医だと思っていますから。
大佛次郎。新聞を読み始めた頃、『天皇の世紀』が連載されていましたが、10歳そこそこでは歯が立ちませんでした。一方、朝日新聞社文庫版の『鞍馬天狗』には、十代の終わり頃かなりハマっていまして(^^;;江戸に出てからの鞍馬天狗の心のありよう、と申しますか、暴力一辺倒にしか見えない倒幕運動への疑問が垣間見える様子が、興味深く感じられましたが…あまりにも恣意的な読み方だったかもしれません。ハードカバーの『終戦日記』は、知人に貸して、返ってこないまま(苦笑)。ああ、『帰郷』は高校時代に新潮文庫で読みましたが、あまりピンとこなかったような気がしますね。気になりながらも距離を置きながらのお付き合い、ということでしょうか。『パリ燃ゆ』と『天皇の世紀』は、きちんと読んでみたいと思っていますが、いつになりますやら。
辰巳芳子女史、クロワッサンのアイドルとなりつつあるような…。でも、彼女の主張は正論なのですよね。きちんととった出汁は、拙い調理技術をカバーしてくれますし(笑)。

再訪・動植サイ絵

2009-10-23 18:47:56 | Weblog
ここ数日、本棚の整理をしていて目に留まった図録を眺めていたら(こんなことばかりで、永遠に片付けが終わらない(-_-;))、無性に動植サイ絵を見たくなり上京。折りよく、株主優待の東博フリーパスをネットオークションで入手したので、早速活用です(^^)v
前回よりも気持ち多めの観覧者ですが、リピーターの余裕で真っ直ぐ第二室へ。大正と平成の二度の修理を経て良好な状態での展示は、まさに眼福と申すもの。これに釈迦三尊が加わった京都・相国寺承天閣美術館の展示は、圧巻であったに違いないと今更ながら思います。
今回は、意識的に一枚一枚を嘗めるようにみていきます。面白いなぁと思ったのは、署名。署名のないもの、若チュウとだけ書かれたもの、斗米庵若チュウとあるもの、年月も書かれているもの…など様々です。あれだけの力作です。一枚を描き上げ、署名をし落款を押した時の気持ちはどのようであったろうか…と思ってしまいますね。
また、今回気がついたのですが、若チュウって、魚はイマイチだったようです(笑)。「蓮池遊魚図」はまだしも、「諸魚図」と「群魚図」(どちらも英語のタイトルはSchool of fish…瞬間、♪メダカの学校♪のメロディーが脳内を駆け巡ったのは私だけでしょうか?)。魚屋の店頭(彼の時代の錦市場の魚屋で鯛や鯖やイナダ等が丸々一匹で売られていたかどうかは不明ですが)もしくは図鑑を連想させ、彼にしてはやや拙く感じられます。鶏や梅、小禽などは勿論、想像の産物である鳳凰と比べても出来映えがまるで違います。
別に貶めるつもりはなく、彼にも苦手分野があったのだなぁと少しだけ笑ってしまっただけのことですが…。
しかし、若チュウや永徳・抱一らを見た後で、大観や観山を見ると(元々さほど好きではないせいもありますが)、見劣りしすぎていけません。清方に至っては…黙って通過するのみ。松園は美しゅうございました。

上野桜木の桃林堂で、迷いに迷って、栗蒸し羊羹と栗きんとん、小鯛焼を購入。小鯛焼は、このあと落ち合った友人に差し入れ。一緒に連雀へ足を延ばし、籔で蕎麦を手繰って後に帰宅。

2009-10-23 00:01:51

2009-10-23 00:01:51 | Weblog
本日の収穫
つぎはぎだらけの脳と心ー脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか(D.J.リンデン、夏目大・訳/インターシフト)
週刊文春先週号の文春図書館で、養老孟司の書評を見て注文。活字咀嚼力が衰えていますから、どこまで読めるやら(-_-;)

2009-10-21 20:57:03

2009-10-21 20:57:03 | Weblog
この頃は、物忘れがひどくていけません。いや、まぁ、前々から記憶力の無いことには自信があったのですが、ここにきてとみにひどくなっているようです。「あれ、何だっけ…」ってパターンですね。
今もそうです。昨日から、あのアップルパイのお店は何と言ったかしら…と(苦笑)。淡路町と、あと確か銀座にあって、銀座のお店は夜の売上が半端ではないという噂だった(二十数年前、OL時代に聞いた話です)…苦笑。包装紙のデザインまで朧気ながら浮かぶのに店名が出てこない(~_~;)別に、生きるの死ぬのという話ではありませんから、さほど真剣でもないのですけど。あまり気持ちの良いものではありませんね。

さて、今夜はオリオン座流星群がピークとのこと。新月からまだ間もないですので、観察しやすいかもしれませんね。たまには頑張って、夜空を眺めましょうか。