記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

まちづくりは人づくり。新しい参加者をどうやって迎え入れるべきか。

2007年06月27日 18時33分10秒 | まちづくり
 日曜日、校区のおやじメンバーが集まり「東光夏祭り」の準備会議が始まっ
た。昨年初めて校区全体で開催した夏祭りは雷雨降る悪天候だったにも関わら
ず予想以上の盛況だった。昨年はおやじメンバー主導で若手が地域を盛り上げ
るためのトライであったが、今年は町内会、自治協議会も全面参加の実行委員
会形式となり、初回から活発な意見が取り交わされた。

 昨年私が担当したのは縁日(ゲーム)。中学生雄志にも手伝ってもらい、地
域の子供たちのために手作りの縁日コーナーを用意したが、長い行列ができる
ほど賑わい突然の降雨で祭りが中断するまで全く休むヒマも無いほど忙しかっ
た。しかし子供達の笑顔を見ていると不思議と疲れは感じず、終わった後の反
省会でも心地よい疲労感に包まれた。

 今年の課題は新規のお父さん達の参加をどうやって増やすかである。私の代
は小学校の50周年やおやじサミットの開催校を務める時期と重なり、参加し
てくれるお父さんも多かった。しかし、ここ数年は新入生児童の数は増えてい
るにも関わらず、運動会などのサポートでも参加してくれるお父さんが少ない。
ある種の苦労や感動を一緒に体感した現メンバーは忙しい合間をぬって顔を出
してくれる。それを次の世代へ伝えることの難しさである。

 お父さんだけでなく小学校のサークル活動も同様。地域が支援する野球やバ
スケ、そして娘の参加している吹奏楽部とも部員は年々減少。少子化の中でも
生徒数減は低学年ほど逆に以前よりも増えている。しかし吹奏楽部も3年前に
50名以上いた部員は現在20数名。娘たち6年生が抜けるとわずか数名しか
残らないことになり、廃部の危機である。親子で会話する時、同じようにメン
バーをどうすれば増やせるかがテーマになることが多い。

 博多は現在、祗園山笠の真っ最中。飾り山の準備も急ピッチで進み、町中に
は法被姿の男衆が増加中だ。博多では山笠期間中(6月1日~7月15日)は
法被は正装である。今日は午後から祗園山笠発祥の地、承天禅寺に伺った。西
日本新聞社が主催する「地域と語ろう隊」の懇談会に、私もオブザーバーで参
加させてもらった。地域の代表や長谷川法世さん、識者らが承天禅寺を中心と
した博多部の将来像などについて意見交換した。詳細は明日28日の西日本新
聞朝刊で紹介されるそうである。必見!

 承天禅寺の和尚が最後に言った「まちづくりは人づくり」という言葉は、私
がつい2日前に書いた言葉。後世にはずかしくない決断と行いを真剣に考えて
やらなければいけないと改めて実感した。

 帰りにマンション建設計画が浮上しているという、承天禅寺の隣接地を見に
行った。御笠川(博多んもんは石堂川と呼ぶ)に面した、本堂裏の墓地側低地。
ここに15階建てマンションが建つと、確かに寺を見下ろした景観となり、な
により川上音二郎の墓からは鉄道どころか御笠川も見えなくなってしまう。音
二郎は亡くなる前に「汽車が見えるところ」への埋葬を希望し博多の聖地であ
る承天禅寺が選ばれた。この景観は守りたいと節に願う。

今日の写真は承天禅寺を二分する市道。秋は見事な銀杏並木が素晴らしい。
旧博多駅はこの写真の左手前にあった。現博多駅が移転したことに危機感を持
った地元の要望もあり寺の境内の中央に、こんな市道を通してしまった。ここ
を元のように道を寺の境内に戻せないものであろうか。歴史ある博多きっての
名刹が分断されているとは、高度成長期だったからでは許されない過ちだと思
う。

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