たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

甘楽町で滝二本。不動滝と飛龍の滝。

2021年06月14日 | 近所じゃない群馬県の山
◎2021年6月12日(土)

 出かけるのにはあまり気が進まなかった。コロナのワクチン接種の副反応で倦怠感。だるい。二日目までは何ともなかった。せいぜい接種上腕箇所の局部的な痛みだけで、むしろ二日目は快調で、目覚めもすっきりだった。それが三日目になると痛みはなくなったが全身がだるくなり、四日目の今日も寝起きはつらかった。こういう時は、朝から酒でも飲んで、昼寝を繰り返して過ごしたいものだが、妻が今日、明日とネットの自宅スクーリングで、マイクを使って受け答えしながら受講している姿を見ているとうっとうしくなる。家に居場所もないので無理に出かけた。倦怠感は何もワクチンのせいだけではあるまい。連日の暑さもあり、昨日あたりは職場で終日、肉体労働を手伝わされもし、朝からドリンク剤を二本飲む始末だった。それだけ疲れてもいた。二回目の接種の副反応はひどいらしい。一回目でこれでは、二回目はどうなるのか。少なくとも接種の翌日は仕事を休むつもりでいる。
 ワクチンといえば、接種を受けた年寄りが「これで旅行に出かけられる」と喜んでいるのをテレビで目にした。実は自分も同類で、コロナ禍でキャンセルを三回もしてしまった旅行プランがあり、接種後に四度目の正直をやるつもりで、立てた旅程をJALの個人ページに保存して申し込み寸前の状態までなっていたが、このジイサンの発言を聞いて、自分のやっていることはそこいらの年寄りとまったく同じじゃないかと旅行はやめにした。意地でしかない。つい、もう安心とばかりにワクチン接種に浮かれていた。
 そんなことですっきりしないままに出かけたわけだが、予定では藤岡市の雨降山と大鳥屋山を歩いてから滝見のつもりでいたが、山歩きの方は、この体調ではとても暑さの中を歩く自信がなく、滝見だけにした。今回の甘楽町の不動滝と飛龍の滝は、すでに絶版になっている上毛新聞社刊『ぐんま滝めぐり90選』に掲載されている。群馬百名山の後はこの90滝巡りでもと思っていたが、掲載されている滝の大方は観光滝で、すでに2/3近くは見ている。そもそも、群馬に自分好みの滝はあまりない。不動滝は冴えない観光滝。飛龍の滝は短時間ながら倒木とヤブで行くのがやっかいな滝といった事前情報はネット記事も含めてわかった。まずは奥の冴えない滝から見ることにする。

【不動滝】
 どこかで見た風景だなと思いながら甘楽町に入ると、一月に登ったというか歩いた天狗山の登山口入口分岐を通過した。考えてみれば、その時でも滝に行けたはずだが、最近まで甘楽町に滝があるとは思いもしなかった。

(野栗神社)


(大ケヤキ)


(雄川へ)


(滝の上。真ん中が落ち口)


(落ち口から覗き込む。滝は見えない)


 見落としがちな神社。野栗神社。県道に立札も滝の表示もない。神社の住所をナビにセットして、ここか?といった感じで中に入る。その前に行き過ぎでバックした。入っていいのかとためらう雰囲気の境内だった。上毛新聞記事には「赤い鳥居」とあるが、赤味がかろうじて残り、左右の灯籠の頭は苔むしたままになっていて、狛犬はいない。大きなケヤキの前に<甘楽町指定天然記念物 秋畑の大ケヤキ>の標注が立っているだけだ。能書き看板はない。上毛新聞記事には「耳をすますと滝音は聞こえるが、滝の姿は一向に見えない」とある。確かに、難聴気味の自分の耳にも水の音は聞こえる。記事の記載通りに神社裏の雄川の河原に下りると、もうポケットに入れた記事コピーはいらない。滝の上だった。どうやって下るかだけが問題だ。下り方は何も記されていなかった。今日は、とりあえずスパイク長靴ということで来ていたが、いまのところスパ長で問題はない。滝上の河原の水は浅かった。

(ここを行く。先は崩壊しているので、岩の上を左下に下る)


(岩下りする直前から滝の姿が見えた。木が引っかかっているように見えなくもないが、白いのは岩の一部)


 だが、その先は岩場、というか、滝周辺全体が足場もないノッペラに浸食された岩に包まれていて、滝の脇を降りられるわけではない。落差はせいぜい5m程度の滝のようだが、見下ろすと、滝つぼは深い。こんな滝でも来る人がいるらしく、岩の上のヤブ側に踏み跡があり、その先は崩壊して横断もきつそうだが、そうせずとも手前の岩に段差があって、かろうじて下の河原に降りられた。ノッペラ岩ではスパ長も力なく、ヘタをすれば岩にスパイクを引っかけて転落しかねなかったが、スパ長の岩場での弱点がわかっていたので慎重に下れた。

(下に降りると、今度は本体の一部しか見えず、岩の中断に移動する)


(ようやく見えた)


(ちょっとアップして)


(滝つぼはかなり深い)


 下に降りたとはいえ、不動滝本体は湾曲した岩間を流れているため、滝つぼに落ちる下部がチラリと見えるだけで、全容は見えず、結局、岩を横切って湾曲部に近づかないといけない。滝つぼに入るしかないかと思ったが、ここの滝つぼは深く、自分の身長では果たして足が地に着くのやら。予定も何もなければそれも選択肢だろうが、本日の本望は飛龍の滝だ。ここで全身ずぶ濡れ、さもなくばアップアップしているわけにもいかない。はっきり申せば、そこまでして見るほどの価値があるとは思えない滝だ。幸いにも、岩は登れて狭いテラス状(こういうのを「バンド」というのだろうが)になっているところがあったのでスパ長のスパイクに注意して登って、どうにか撮影はできた。

(下段の滝。二つともに入れられればいいのだが、上段が湾曲して隠れているのではどうしようもない)


(さっきの白い部分。スギカノカ、サルノコシカケに似ている)


 丸みを帯びた凹凸のある一枚岩に近い岩盤を流れる滝だ。第一印象はきれいな流れの滝だということ。ここで、不動滝である以上は付き物の不動様の像はないものかと探したが見あたらない。野栗神社にでも祀られているのだろうか。そもそも、野栗神社には由来板すらなかった。滝の写真を撮ったら、もう用済み。さっさと戻る。一旦下って、また登り返す。途中で、岩の間に石英があった。特殊な岩盤エリアなのだろうか。これは後の飛龍の滝も同じような岩盤に抱かれていたので、この地域一般の地勢なのかもしれない。

(滝下から見上げると神社裏)


 滝上の河原に戻った。後は楽勝戻りだが、全身、汗だくになった。陽は出ていないから、冷や汗だろう。しばらく、車でアイコスを吸って呼吸を整えた。90滝の○が一つ増えたが、さほどの満足感はなかった。

【飛龍の滝】
 野栗神社に来る途中で、雄川に架かる橋、つまりは飛龍の滝のある大久保沢に至る橋を確認し、車の置けそうな路肩の広いところも見つけていたので、スムーズに行った。この橋もまた上毛新聞刊の案内には「青い水道橋」となっているが、そういえば青かもといったレベルまで色落ちしている。
 この飛龍の滝、数少ないネット記事には、橋から20分(自分の場合は25分かかったが)で行けるものの、倒木やらの障害物がかなりあって、たどり着くまでやっかいで手間のかかるような滝といった印象の記載が多く、自分もまたその心づもりで向かったが、結論を先に記せば、確かに観光滝に慣れた方には厳しいかもしれない。見応えのある滝は安易に行けるものではないと思えば、さほどに険しくはなく、むしろやさしい部類だろう。ただ、ここもまたわざわざ見に行く人もいないような滝のようで、倒木やヤブは気にはならなかったが、クモの巣には閉口したし、渓相に見張るものはなかった。せいぜい、途中に三段滝があるくらいのものだろう。
 「心づもりで向かった」と記したが、ネット情報で厳しいと思い込んだため、ヘルメットと沢靴をザックの中に入れた。結局、ともに使うことはなく、スパ長で十分だった。失礼ながら、観光滝慣れした方が記したレポの印象が強かった。何せ、二回目でようやく飛龍の滝に出会えたとあったし。そもそも、飛龍の滝のレポは少ない。よほどにマイナーな滝なのだろう。

(青い水道橋を渡る。確かに間近に見ると青い。ネット記事で「水道橋」とあったのでそれに合わせたが、導水管が通っているわけではない。なんで水道橋なのやら)


(大久保沢。こんな水たまりレベルでは期待もできやしない。ここは直進。帰路は右からの合流道に入ってみた)


(貯水池なのだろうが、上流から水が流れ込んでいない)


(ネット記事通りに、早速の倒木)


(堰堤は左から。ようやく水流がはっきりしてきた)


 さて本題。橋を渡って道沿いに雄川から離れていく。確かに沢は流れてはいるが、雄川そのものの水量は少なく、大久保沢の水量もまたか細く、流れが止まっていて、滝を見られるものやら早くもがっかりした。道はしばらく続き、これがまた急で、堰堤で止められた貯水池のようなところのすぐ先で道は終点になった。後は沢沿いに行くだけだが、いきなり倒木群が目に入った。このことかと思ったが、倒木をくぐるわけではなく、脇を通って行ける。「行ける」としたのは、この先も、巻けるところにはうっすらと踏み跡があった。行き詰まったら、踏み跡を探せば問題なく先に行ける。すぐに堰堤が見え、ここも左に踏み跡があったので難なく越えられた。ただ、スパ長でもズルズルした。そういえば、ここの立木はあまり頼れない。太く根を張っている木はないし、岩角すら体重を預けてつかむには不向きで、こういう障害物越えには四つん這いで行くしかない。帰路のことが心配になったが、往路をそのまま下るのが安全だろう。

(渓相はかなり悪いが、復路ではこれがきれいに見えたりした)


(相変わらず)


(左岸側の岩壁。落ちたら確実にアウト。無残な骸だろうな)


 倒木もさることながら、大久保沢に見せ場はない。ただの細い流れがあるだけで、山道なら、荒れた古道を歩いているような気分だ。陽が出てきて、クモの巣を払う前に顔にあてながら沢伝いに登っていくと、頭からどんどん汗が流れ落ちてくる。メガネをその都度に手ぬぐいで拭いているのももどかしくなり、帽子は脱いで、手ぬぐいを頭に巻き、ザックからタオルを出して汗ふきにした。こういうのは頭髪量の関係もあるのだろう。薄毛だと汗がストレートに顔面に落ちる。髪が豊かなら途中で留まるのではないのか。今さら悩む年でもない。父はつるっパゲだったし、年子の兄もそれに近い。遺伝は遅かれ早かれだ。問題は、ハゲたはいいが、ヘタなハゲ方をして教養の片鱗も感じられないような貧相な顔にならなきゃいいがとは思ってはいる。余談だった。余談ついでに記す。自分の行く床屋のダンナは髪がまったくない。自分よりも一つ年下。これは店内に掲示した理髪師免許状で知ったこと。自分に髪の毛がないから、こちらの頭髪にとやかく言うこともなく、安心して30年近く通っている。腕もいいし丁寧に刈ってくれる。一度、時間がなくて近くの床屋で間に合わせたら、「そろそろ気になっているでしょう」と言われ、その場は苦笑いでごまかしたが、もう二度と行かないことにしたし、店がつぶれた時にはそりゃそうだろうと思った。客を不快にさせたら店は成りたたない。

(あまりお見せするほどのものでもないが、特になくて)


(確かに三段になっている。通称「三段の滝」らしい。復路時でも掲載するが、写真を見てから、あの邪魔な倒木は自分で撤去できたんじゃないのかと後悔している)


(この滝は右から巻いた。横から撮った)


(ここから節理状の岩盤が続く。見た目はいいが、自分にはナメ床が好み)


 何とも歩きづらい沢だ。ナメ沢を意識して選んでいる立場には、角張った大石がゴロゴロして歩きづらく、何とも長く感じる。周囲を見れば、左岸側に大岩が迫っていて、沢全体が薄暗い。魚影を見ることもなかった。それでも水の中を歩いて行くのは気持ちがよい。ただ、こんなところにはヒルがしっかり棲息しているものだろうが、別にヒル除けをスプレーしたわけでもないのに、最後まで取り付かれることはなかった。ここにはいないのだろう。いや、沢靴だったらどうだったかわからない。
 途中、比較的に大きな滝を見かけた。小ぶりではあるが、三段になっている。この滝を見るのが目的でやって来る人もいるらしい。ここは直登もできそうだが、スパイクの引っかけがこわかったので巻いた。そのうちに、何となく気配が違う感じになってきたが、この辺から、節理状の岩畳が出てくるようになる。

(谷が狭まってきた。それでもご覧のように、水流が見えないくらいに貧弱だ)


(あれが飛龍の滝ではないだろうか。ここは倒木をくぐったが、クモの巣がひどかった)


(倒れて朽ちかけた名勝記念碑)


(飛龍の滝。上が明る過ぎる)


(少し大きく)


(水しぶきを受け止めるといった感じではなかった)


(中段だが)


(明らかに二条ではなく三条になっている)


(せいぜい、この撮影スキルだが、ようやく撮った)


(改めて。右に移動したがたいして変わらなかった)


 少々、飽きてきた頃、前方奥に細長い滝が見えてきた。おそらく、あれが飛龍の滝だろう。近づくと、「町指定名勝記念物 飛龍の滝」と書かれた標柱が横倒しになって、朽ちかけた姿をさらしていた。これで飛龍の滝の確信が持てた。『ぐんま滝めぐり』には落差10mとある。妥当なところだろう。
 この滝は美滝の部類かと思うが、見た目の難点が二つ。一つは水量不足。『ぐんま』と他のネット記事写真では水流が幅広の一本なのが、目の前の滝は二条になっていて、滝つぼのほとばしりがボタボタになっている。もう一点。頭の部分がまともに南東からの陽を受けてテカテカしていること。その分、落ち口の様子がクリアに見えない。『ぐんま』の記載には「深い緑色をした滝つぼが豪快な水しぶきを受け止めている」とあるが、こうでないのが残念だ。また、滝の岩盤上部に石英岩が混入しているらしいが、陽光で、これがまたよく判別できない。

(持参の沢靴。まだデビューはしていない。日進ゴムのハイパーV「忍」。沢歩きでどうか確認したかったが、そんな水量の多い沢ではなかったから使わなかった。ちなみに、この忍は今は製造していないようで、たまたまワークマンで見つけて、昨年のうちに購入しておいたものだ。矛盾しているが、ハイパーVの沢歩きには少々の疑問がある。安いから試しに買ってみただけのこと。いずれ履いてみるが期待はしていない。スニーカー型のハイパーVですら沢では滑ったし)


 ともかく目的は達したのだから、ここで座り込んで滝を眺めながらくつろぐ。日陰ゆえ、風はないが涼しくてほっとする。全身汗まみれになっていて、マイナスイオン云々の風流な気分にはならない。地図を広げる。この滝には滝マークはないが、さらに上流に滝マークがある。どうしようか迷った。左から飛龍の滝を越えらなくもないが、この滝マーク、よく見ると堰堤マークだった。ということは、選択肢としては、このまま戻るしかないというわけだ。

(帰路で。無理に沢を満喫したいものだと往路よりも時間がかかった)


(同じく)


(同じく。ここは三段の滝。明るく撮り過ぎた)


(帰路で)


(帰路で)


(帰路で)


(もう終点だ。水を飲んでみたが、さほどに甘露といった喉ごしはなかった。向こうに貯水池が見えている)


 下りはゆっくりだった。飛龍の滝が目的だったから、往路時は三段の滝も含めてさらっと流し目程度に終わっていたので、今度はゆっくりと眺める。だが、凡な沢はやはり凡なままで、新しい発見はなかった。

(雄川に出た)


(あの橋を渡って滝に行った。写真で見ると確かに青は明瞭だが、老眼では青の目立ちはさほどに感じなかった)


(駐車地。まぁ、あんな車だ。群馬県内移動限定だろう。)


 貯水池を過ぎる。来る時も気になっていたが、川の方から道が合流していたので、どこに通じているのかとそちらに行ってみると雄川の上流に出ただけだった。水は浅いのであっ気なく渡って県道に出た。この川、オタマジャクシがかなりいた。これじゃ何もいない川だろうと思っていたが、アユの友釣りをしている人がいて、近所の住民のジイちゃんらしき二人がすぐそばで眺めていた。

 時間は早いし、どこかで時間つぶしでもと、途中の道の駅に置いてあった観光マップを広げてみたが、さほどに魅力あるところはない。織田家の墓所もすでに見ている。建長の板碑を見るには戻らないといけない。すでに気温は29℃になっていて、面倒くさくなってそのまま家に帰った。妻のスクーリングは18時までだ。うんざりして、暑い中を庭木の剪定をして時間をつぶした。
 翌日のネタ探しに苦慮した。赤城山にレンゲツツジでも見に行こうか。上毛新聞にも見頃とあったし。山をいくつか登れば4時間はつぶせるだろう。だが、日曜日の朝に起きると、やはり身体はだるく、頭もすっきりしなかった。これはワクチンの副反応ではなく、ただの暑さバテではないだろうか。赤城には行く気が起きなかった。家にいないでいられる方法としては映画しかない。イオンシネマで<HOKUSAI>をやっていた。映画の講釈、感想を入れればまた長くなるので、ここではやめておこう。
 映画で何とかしのいだが、映画一本で一日が終わりになるはずもなく、妻のスクーリング受講がうとましく、結局、また、前日の剪定の続きをして、汗だくになり、蚊に刺されまくっていた。これでは、明日の朝もまたワクチンの副反応が出るだろう。

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