maruの下手の横好き写真とつぶやき
写真を撮ったり、音楽(クラシック・ロック)をよく聴き、読書は古典(主に哲学中心)がメインです。全体主義社会の動きに警戒。
 



日曜日、MXの番組で憲法改正について議論していた。
前提として、改正という話で、護憲の話題ではないのだけれど、
同じ改憲でも、胡散臭い自民的改憲と、立憲的改憲の対比が、
テレビで放映されるのは、初めてか?

自民は片山さつき、立民からは山尾しおり。

片山さつきは、終始議論から逃げている印象しか残らない。
山尾しおりの発言には、説得力があり、議論から逃げず、
むしろ迫っていく迫力があった。

無理もない。自民の改憲案など、そもそも改憲ありきなだけで、
まともに説明しようとすれば、矛盾が多い。

山尾しおりの方は、憲法の知識量も豊富だから、
そもそも論者としての格が違う。
相手になってない。不戦敗といってもいい内容だった。
ただ、声と態度が大物ぶっているだけだった。
まともに議論に応じれば、自己崩壊するだけだから、敢えてそうするしかないかもしれないが、
本気であの内容の話しか出来ないなら、憲法の話で出てくる人ではない。
昭和のやすっぽいドラマやアニメに出てくる憎まれ役そのままだった。

どちらが正しいか、明らかすぎる。


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先月、近所の普通の寿司屋で、回らない寿司を食べた。
久々に寿司が美味しいと思った。
会社で行く仕事の延長みたいな寿司屋も、美味しいのだけど、
付き合いで行く寿司は、味わえない。
全くのプライベートで回らない寿司は初めてだったかも。

昨日は、実家で回る寿司屋に行った。
決して不味い訳ではないけれど、飽きてくる。
そういえば、以前からサイドメニュー食べたり、
途中から変わったものを頼んでいたような・・・

普通の寿司屋の寿司は、アナログ的なものと言えると思った。
世の中の、あらゆる製品についても、アナログ的なものが残っている。
製造過程で手作業が多く入るとか、操作が手動だったり、
作る過程で、悩みぬいて出来上がっていたり、
レコードのように原理がアナログだったり、いろいろある。

その反対はデジタル的なものと言える。
全部機械が作った大量生産品で、素人でもマニュアルに従えば作れて、
とにかく利便性に優れる。でも、今の世の中では、もはや無い事は想像できないし、
恩恵から逃れようと思ったら、世捨て人になるしかなさそうだ。

デジタル的なものでも、拘りをもって作られるものもある。
オーディオを例にとれば、CDなどの音はデジタルっぽさを無くそうと改良され、
ファミレスや大手回転寿司チェーン店でも、職人が作ったものに近づけようとしていたり。
でも考えてみれば、結局はアナログ的なものを目指している。

だったら、もっと最初から自主的にアナログ的なものを取り入れた方が、
心地よい生活ができそうだ。レコードを聴くようになり以前から書いてきたけど、
ひと手間をかける事を愉しむゆとりくらい、持っておいた方がいいに違いない。

世の中が上手く回ると、自然にそういう楽しみも増えてくるのかもしれないけれど、
そうなって欲しい。そういう好循環ができてほしい。
二極化が激しい時代でもあるから、関心もたない人などは、興味もないのだろうし、
経済的にゆとりもなかったりするだろうし、そうなると、悪循環に入っていく。
だから、もっと世の中には、アナログ的な事物が必要なのではないかなと、思う。





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