Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

隣人

2018-02-11 00:21:08 | コラム
「―ウチのが、迷惑かけてないですか。大丈夫ですか」
「…えっ、はい、大丈夫です」
「牧野さんには、いろいろお世話になっていると聞いてます」
「…えっ、いや、そんな」
「これからも、仲良くしてやってください。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ」


あぁびっくりした。

妙な表現になるが・・・隣人を見たことがない。

隣人が「存在している」ことは知っている。
けれども、いちども会ったことがない。

もちろん名前も知らない。

ただドアの向こうから、壁の向こうから発せられる生活音を聞いたことはある。

そのことで、入居があったことを知る。

それが1年前のこと。

自分の生活リズムが一般的ではないから、かもしれない、、、1年経っても顔をあわすことがなかった。

向こうからしても同じことだろう、
先住民(とは、いわないよね)が居ることは知っているが、どんなひとかも知らんと。

ただ、たまに大きめの音量でAVを流していることだけは知っていると。

そんな関係性だから、隣人のお母様らしきひとに階段の途中で話しかけられたとき、ちょいと動揺してしまった。


お母様(らしきひと)の見た目から想像するに、隣人は自分と同世代かもしれない。

会ったこともないのだから世話なんかしているわけはないが、お母様(らしきひと)の丁寧なあいさつに触れて、彼もきっとよいひとなんだろう、いつか会えればいいな―と思ったのだった。


下の階のおばちゃんとは冗談いいあえる仲なのに、顔も知らないのはおかしな話なんだ。

現代的っちゃあ現代的かもしれないが、ちょっと寂しいものね。


※隣人がサイコパス系―というのは、映画の世界では「よくある話」。

黒沢清が本領発揮した本作は、そのなかでもトップクラスなんじゃないかな。

ほんとうのことをいえば、西島秀俊に「そっちの役」を試してほしいけど。



…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(237)』
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする