南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

家裁の調停に出席して思うこと~調停委員は一種の司会者

2018年04月25日 | 家事事件関係
私が担当する案件の中には、家庭裁判所での調停案件というものがあります。
典型的には離婚調停とか遺産分割調停ですが、調停に依頼者の方と同席して調停委員と対峙していて、調停委員さんというのは司会者の役割だなと思います。

「調停は話し合い」とはよく言われます。しかし、話し合いをしてきたけれども当事者同士では話し合いがつかなかったので、調停を申立てるわけですから、そう簡単に話し合いがつくわけはありません。

双方の主張がかなり対立している案件が裁判所に持ち込まれるのであって、それをほぐして一定の方向性を出していかなければならない。何かの会の司会とはまた違ったところがあり、”司会”という役割の中でもかなりの難しさです。離婚の調停でも遺産分割の調停でも話が拡散しがちなので、ポイントを絞っていかないといけませんし、なぜ対立しているのかの核心を聞き出さなければならないのです。

日本の調停は「別席調停」といって、当事者が同じテーブルに着くということは基本的にはありません。それぞれ別々に調停委員が話しを聞き、「相手はこう話しているよ」という話しをしていきます。そうすると、うまく要約して相手に伝えなければならない。これに失敗すると、当事者同士が話すのであればうまくいく話も、調停委員が入ると対立をあおるようなことにもなりかねません。

ただ単に相手の話を伝えるだけということでは、伝言ゲームになってしまって意味はないですから、難しいです。調停委員が良いと思う方向性を見定めて、説得するというスタンスが必要になってきます。つまりは有能な司会者が務まる人が調停委員となるべきだし、そうでないと調停は混乱していきます。

実際そういう混乱した調停を見て来ているので、そのような調停委員相手だと当事者が対応するのはかなり困難です。

調停委員は、「普通こうだよ」「法律ではこうだよ」という話しをして説得してくるのですが、それが当事者には正しいかどうかがわからない。
弁護士が同席していれば、おかしければツッコミを入れますから、調停委員も確実なところでしか言わなくなりますが、当事者相手だとそんなことまで言っているのかな、言っていいのかなということまで言っている。まあこれは相談でお聞きするだけで、また聞きなので正確ではないかもしれないけれども、そのように当事者が意味をとってしまったという点では調停委員の説得としては成功していないということにはなってきます。

離婚や遺産分割では必ず家裁の調停を通らなければならないので、調停委員への対応というのは一種の関門です。
調停委員がこちらの見方に同意してくれれば良いですが、そうでない場合も多々あるので。
調停委員は個性的で、裁判官よりも人柄の幅も大きく、弁護士としてもどう持っていくか苦慮することもありますので、やりがいという点ではある意味訴訟(裁判)よりもあるかもしれないなと感じております。

(写真は本文と関係ありません)

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明治時代、弁護士は代言人と言われておりました

2018年04月16日 | 歴史を振り返る
明治150年なんて言われているので、明治時代のことを考える機会が多くなりました。そういえば、弁護士という名称も明治時代からだよなと思って調べてみたら、1893(明治26)年からで、この年に「弁護士法」が制定されたことによります。

では、それ以前はというと、弁護士は「代言人」(だいげんにん)と呼ばれていました。代言人という制度ができたのは、1872年(明治5年)8月3日「司法職務定制」によってです。代言人時代は1872年か1893年の21年間に過ぎません。

1893年以降、弁護士という言葉が定着したかというと、そんなこともなかったようです。代言という言葉の方が一般的には慣れ親しんだものであったようで、夏目漱石の「吾輩は猫である」には、弁護士を指す言葉として「代言」が使われています。

「吾輩は猫である」は「ホトトギス」の1905年(明治38年)1月号にその第一話が掲載されています。1893年の弁護士法から12年が経っていますし、知識人の漱石が弁護士という名称を知らなかったとは考えにくいので、代言の方が定着していたんでしょう。

因みに、この「代言」が住んでいるのは苦沙弥先生の隣家。三毛という猫を飼っています。この三毛がいうことが奮っていて、今でも通じる弁護士批判になっています。

三毛曰く「人間というのはちっとも所有権が分かっていない。猫の世界では目刺しの頭なぞは先に見つけたものがこれを食べられることになっているのに、人間はそんな観念がないものと見えて、猫から食べ物を掠奪する」と、代言(弁護士)は所有権というものが分かっておらんと憤っています。

「吾輩は猫である」で代言がでてくるのはここだけのようです。三毛の物語と絡めて後に展開してほしかったところなのですが、残念ながら代言人は第一話でこんな形でしか登場してきません。

ところで、弁護士が書いたものをみると、「代言人」というのはなくすべきものであったという論調になってきます。例えば、「千葉県弁護士会史」では「司法職務定制は代言人の資格を定めなかったため、無学・無識の代言人を多数排出させ、いわゆる『三百代言』の悪名も残している」とあります。

当初、代言人は免許制度ではなく、つまり無試験で代言人として振る舞うことができたというのは事実なのですが、それが「無学・無識の代言人を多数排出させた」というのは史料上の裏付けがあるのかなと疑問に思っています。

夏目漱石のからかい方からすると、この時点で「三百代言」というような悪名が世間一般の風潮であったようには思えないんです。そこまで悪徳だったら、隣人なのだから第二話以降で苦沙弥先生の悪口が炸裂しそうなものですが、そうはなったいないですから。

明治時代の人が、弁護士に対してどのような感情を抱いていたのかは、もっとほかの明治時代の小説にあたってみる必要があるのかなと思っています。


(写真は本文と関係ありません)

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交通事故の損害賠償請求と定期金賠償

2018年04月09日 | 遷延性意識障害
【交通事故の損害賠償請求と定期金賠償】
交通事故で重度の後遺障害が残り、介護が必要となった場合には将来の介護費用を損害賠償として請求することができます。
この将来の介護費用をどのように算定するかは、「将来」のことだけに難しい問題があります。
裁判官の将来を予測できる能力を持っているわけではないですから、現時点での状況から類推していくしかありません。
将来の介護費用は一括請求することが多いのですが、被害者が遷延性意識障害の場合には、裁判例の中には定期金での賠償としているものもあります(東京地裁平成24年10月11日判決判例タイムズ1386号265頁)。
今回は「定期金賠償方式」と言われるものについて説明します。

【定期金賠償方式とは?】
「一括払」「定期金賠償」を言葉で説明すると次のようになるかと思います。
・一括払・・・一括で請求する方式
・定期金賠償・・・将来の介護費用の場合は「その死亡に至るまで1ヶ月○円の割合による金員を支払え」というように死亡まで毎月支払われる方式

これだけですとピンとこないと思いますので、実際に判決でどのように命じられるのかと見てみましょう。
<一括払い方式の場合>
「被告は原告に対し、6000万円を支払え」
<定期金の賠償方式の場合>
「1 被告は原告に対し、4000万円を支払え
 2 被告は原告に対し、平成24年7月20日からその死亡に至るまで1ヶ月25万円の割合による金員を毎月19日限り支払え」

このように一括払い方式だと将来の介護費用も含めて一括での支払い(6000万円)となるのに、定期金賠償方式だと将来の介護費用の分は月額25万円となり、その他の部分(逸失利益等)は一括払い(4000万円)となります。
定期金賠償方式といっても全部が月々払いになるわけではなく、一括支払い部分と定期金部分が分かれるということになります。
(写真の下に記事続きます)


(写真は本文と関係ありません)
【定期金賠償方式のメリットは?】
交通事故の損害賠償請求は一括請求であることがほとんどなので、定期金賠償方式はメジャーではありません。
東京地裁の平成24年の判決でも被害者側は一括請求を求めていたのですが、裁判所の裁量で将来の介護費用について定期金賠償を命じられています。
定期金賠償のメリットどこにあるかというと、中間利息を控除されないということが最大のメリットです。
中間利息の控除については詳しくは別の記事を書きましたので、そちらをご参照いただきたいのですが(⇒過去記事)、簡単にいうと将来の分を割り引いてしか受け取れないということになります。
中間利息は現状では年利5%という想定のもとで割り引かれるので、金利が上がらない現代ではかなり差し引かれている感があります。
定期金賠償では、そのような中間利息の控除がない(差し引かれない)ことがメリットとしてあげられます。

【なぜ定期金賠償の請求は少ないのか】
ただ、被害者側からの定期金賠償の請求は多くありません。
被害者側からすると、「任意保険会社とは早く縁を切りたい。関わり合いになりたくない」という声があります。
定期金賠償は先ほどの例ですと月々25万円を支払ってもらえるということになりますが、任意保険会社が途中で倒産するかもしれません。
そうなると、判決では決められているけれども実際は支払ってもらえないという事態はありえます。
また、定期金賠償部分は例えば25万円と決まったらそれで終わりというわけではなく、事情の著しい変更があった場合は、判決の変更を求めることができることになっています。
これは民事訴訟法に規定されています。
「口頭弁論終結前に生じた損害につき定期金による賠償を命じた確定判決について、口頭弁論終結後に、後遺障害の程度、賃金水準その他の損害額の算定の基礎となった事情に著しい変更が生じた場合には、その判決の変更を求める訴えを提起することができる。」(民訴法117条)。
この変更判決については裁判例を見たことがありません。私の勉強不足によるものなのかもしれませんが、少なくとも裁判例があまりない分野であり、今後この点が問題となった時にどのような程度であれば変更を認めるのか、どのくらいの変更となるのかが予測不可能ということにはなります。
 変更ということは、増額も減額もありうるということなります。被害者側からすると減額もあるのかということになると、それだけで定期金賠償請求をしたくないという心情は理解できます。
 このように被害者側からするとなかなか定期金賠償での請求に踏み出せないというのが現在の状況ではないかと思います。
 もっとも、裁判所は被害者側が一括払い請求をしても、定期金賠償方式での判決を出せると考えており、当面そのせめぎあいが続きそうです。

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婚姻費用を計算式で求めてみましょう

2018年04月04日 | 家事事件関係
【婚姻費用の計算式を知っておく意味】
婚姻費用は、婚姻費用の算定表というものが裁判所から発表されております。
東京家裁のホームページを見ると、「家庭裁判所において,養育費又は婚姻費用の算定をする際に参考として活用している資料です。」との説明がされておりますが、調停委員さんからは、「算定表で婚姻費用を決めるのが普通」などという説明がされることもあります。
それだけ実務上は大きな影響力のある算定表ですが、「4~6万円」「6~8万円」というように2万円刻みで表が作成されており、ピタリとした数字ではでません。
婚姻費用を1円単位で算定しても意味がないところもありますので、算定表で実務上も十分なのです。
ところが、審判などでは婚姻費用を計算式で出す裁判官もおります。
この計算式は、算定表の考え方を計算式で表したものなのですが。計算式の意味内容まで審判で細かく説明してはくれませんから、この点について解説をしてみましょう。
この計算式の考え方を覚えておくと、婚姻費用を1円単位で計算式で出すことができますので、表ではよくわからないとお考えの方にも役立つかもしれません。


【ケース】
以下のようなケースをもとに考えてみます。
夫婦と子ども1人(10歳)の家族で、妻が子どもを連れて別居して、夫に対して婚姻費用を請求する。
夫婦はいずれも会社員で、夫の給与収入は600万円、妻も600万円である。


【基礎収入を求める】
婚姻費用の計算は、給与収入から「基礎収入」というものを求めることから始まります。
この基礎収入というのは、 「婚姻費用や養育費を捻出する基礎となる収入」のことをいいます。
つまり、給与の中に「基礎収入」に当たる部分とそうでないものがあって、基礎収入」に当たる部分は婚姻費用に振り向けてくださいという意味です。
基礎収入以外の部分とは何かというと、「公租公課」、「職業費」および「特別経費」であると説明されています。
これを一つ一つ説明していくと煩瑣ですので、「税金とか仕事をしていくために必要な費用(被服費、交通費、 交際費)とかその他いろいろ生きていく上で支払わなければならないものを差し引くことは認めますよ」ということだと理解していただければよいのではないかと思います。
人によって生活スタイルが違うので、この差し引くべき金額は人それぞれで違うはずですが、そのようなことをやっていては計算ができませんので、「基礎収入の割合表」というものを利用するほかありません。
つまり、給与収入の一定割合を計算して基礎収入とするという考え方です。
この割合を4割として計算するものが多いようです。
そうすると、先ほどのケースでは基礎収入は次のように計算します。

1 給与収入
夫・・・600万円
妻・・・600万円
2 基礎収入の算定
給与収入が600万円、基礎収入の割合を4割として計算します。
夫=600万円×40%=240万円
妻=600万円×40%=240万円
夫婦合計で基礎収入は480万円となり、これが婚姻費用にあてるべき金額となります。
(写真の下に記事続きます)


(写真は本文と関係ありません)

【生活指数を使って基礎収入を振り分ける】
次に、この480万円をどうやって振り分けるのかということが問題となります。
一番わかりやすいのは、人数割りですね。
夫は一人で暮らし、妻は子どもとの二人暮らし。
よって、夫には3分の1、妻には3分の2というのが一つの考え方です。

しかし、その考え方で妥当でしょうか?
この考え方の前提は、子どもと妻とは同じ生活費がかかるということになりますが、子どもと成人とでは同じ生活費ということはないですよね。
とすると、この考え方で行くと夫側に負担が重くなってしまいます。
そこで、子どもの生活費が親と比較してどのくらいかかるのかという考え方をします。
これが「生活指数」と言われるものです。
裁判所が用いている生活指数は次のようなものです。

親の生活費=100
14歳までの子の生活費=55
14歳以上の子の生活費=90

これは、14歳までの子の生活費は成人の55%、14歳以上の子の生活費は成人の90%ということを意味します。
そうすると、事例での生活指数は次のようになります。

3 生活指数
妻側=155(100+55) ・・・①
夫側=100・・・②

この生活指数を使って夫婦の合計の基礎収入(480万円)を振り分けます。

4 妻が生活費として確保できる金額の算定
480万円×①/(①+②)=480万円×155/255=291万7647円・・・③
←この金額が妻が生活費として確保できる金額となります(年額)。

5 妻に支払われるべき金額
妻の基礎収入は240万円なので、夫から妻に支払われるべき金額は③から240万円を引きます。
291万7647円ー240万円=51万7647円(年額)
⇒月額とすると4万3137円

婚姻費用の計算の基本的な考え方はこのようなものになります。
この計算方法を知っておくと、婚姻費用や養育費というのがどのような考えに基いて決められているのかを理解することができます。
実際には、今回のケースのようにシンプルなものは算定表を使っても、結論はほぼ一緒になるのでこのような計算をするメリットはあまりありませんが、算定表では算定できないケース(例えば子どもが4人の場合)については計算を使って算定していかなければなりません。



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こんな場合は単純承認になるでしょうか?~その2

2018年04月01日 | 相続関係

【こんな場合は単純承認になるでしょうか?】
以前、こんな場合は単純承認になるでしょうか?という記事を書きましたが(→こちら)、本日はその続編です。

【今回のケース】
今回は次のようなケースで考えてみます。
父親が亡くなったAさんは、父親の銀行口座に300万円あったので、そこからお金を引き出し、火葬費用、お父さんの治療費の残額、葬儀費用を支払いました。
その後お父さんに1000万円を超える債務があることが分かったので、相続放棄の申述をしました。

【単純承認が問題になる理由】
民法では「相続財産の一部を処分した」場合には単純承認をしたとみなすという規定があるので、銀行口座からお金を引き出し、火葬費用、治療費、葬儀費用を支払ったのが「相続財産の一部を処分した」ことにあたるかが問題となります。

【火葬費用ならびに治療費残額について
の判例】
火葬費用ならびに治療費残額について判断している裁判例があります。
結論はこのようなものを支払っても単純承認にはならないとされています。

この裁判例が言おうとしていることを私なりに噛み砕いていうと次のようになるかと思います。

故人のお金を使うのは厳密にいうと「相続財産の一部を処分した」と言えるかもしれませんね。しかし、火葬費用とか治療費を支払ったくらいで単純承認にしてよいものでしょうか。その程度のこともできないということになると、倫理とか道義とかがなくなってしまいませんかね。単純承認になるからということで、火葬費用を支払わない、治療費も支払わないという世の中になったらどうなりますか。火葬費用は自治体が負担しなければならないだろうし、治療費は病院が負担しなければならない。遺族が得するためにそのようなことになるのは不公平で
はないですか。そういうのを法律上では「信義則」というんです。そういう風に考えれば、火葬費用の負担、治療費の支払いは法律上は相続財産を処分したとして、単純承認したとまでは言えない、そう考えるのが妥当ではないでしょうか。

裁判例の原文を上げておきます。
大阪高裁昭和54年3月22日決定(家月31・10・61)
「遺族として当然なすべき被相続人の火葬費用ならびに治療費残額の支払に充てたのは、人倫と道義上必然の行為であり、公平ないし信義則上やむを得ない事情に由来するものであつて、これをもつて、相続人が相続財産の存在を知つたとか、債務承継の意思を明確に表明したものとはいえないし、民法九二一条一号所定の「相続財産の一部を処分した」場合に該るものともいえないのであつて、右のような事実によつて抗告人が相続の単純承認をしたものと擬制することはできない」


【葬儀費用についての判例】
葬儀費用についても判断している裁判例があります。
葬儀費用を支払っても単純承認にはならないとされています。

この裁判例は読みやすいのでそのまま判断箇所を挙げておくだけでよいでしょう

大阪高裁平成14年 7月3日決定(家月 55巻1号82頁)
「葬儀は、人生最後の儀式として執り行われるものであり、社会的儀式として必要性が高いものである。そして、その時期を予想することは困難であり、葬儀を執り行うためには、必ず相当額の支出を伴うものである。これらの点からすれば、被相続人に相続財産があるときは、それをもって被相続人の葬儀費用に充当しても社会的見地から不当なものとはいえない。また、相続財産があるにもかかわらず、これを使用することが許されず、相続人らに資力がないため被相続人の葬儀を執り行うことができないとすれば、むしろ非常識な結果といわざるを得ないものである。
 したがって、相続財産から葬儀費用を支出する行為は、法定単純承認たる「相続財産の処分」(民法921条1号)には当たらないというべきである。」

やはりポイントは「常識」のようです。
相続財産があるのにこれを使用することができなくて、葬儀もできないというのは非常識ではないですかという価値判断があります。

【仏壇や墓石の購入はどうか?】
この大阪高裁の事例では仏壇や墓石の購入まで行っているケースでしたので、その点についても判断しています。
葬儀費用とは異なり、仏壇や墓石については微妙な問題となるようです。

「葬儀の後に仏壇や墓石を購入することは、葬儀費用の支払とはやや趣を異にする面があるが、一家の中心である夫ないし父親が死亡した場合に、その家に仏壇がなければこれを購入して死者をまつり、墓地があっても墓石がない場合にこれを建立して死者を弔うことも我が国の通常の慣例であり、預貯金等の被相続人の財産が残された場合で、相続債務があることが分からない場合に、遺族がこれを利用することも自然な行動である。
 そして、抗告人らが購入した仏壇及び墓石は、いずれも社会的にみて不相当に高額のものとも断定できない上、抗告人らが香典及び本件貯金からこれらの購入費用を支出したが不足したため、一部は自己負担したものである。
 これらの事実に、葬儀費用に関して先に述べたところと併せ考えると、抗告人らが本件貯金を解約し、その一部を仏壇及び墓石の購入費用の一部に充てた行為が、明白に法定単純承認たる「相続財産の処分」(民法921条1号)に当たるとは断定できないというべきである。」

葬儀費用については、法定単純承認たる「相続財産の処分」(民法921条1号)には当たらないと明言しているのに、仏壇や墓石については「断定できない」と言葉を変えていることからも、葬儀費用とは異なる取り扱いがありうるということがおわかりいただけるかと思います。


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