“ムジナもん”のいる埼玉県羽生市出身の現代詩人がいる。
その人の名は“宮澤章二”(みやざわしょうじ)。
大正8年(1919)、羽生市弥勒に生まれた。
小学校2年生のときまで羽生で育ったが、
その後上京し、東京の小学校を卒業した。
『あんぶくの臍』『蓮華』『旅路』などの詩集を編む一方で、
『知らない子』といった童謡集も出した。
詩人であり、また作詞家と言えよう。
校歌の作詞に関しては300校を数え、
ややもすると作詞家として知られているかもしれない。
ちなみに、宮澤が生まれ育った羽生市弥勒は、
小説『田舎教師』(田山花袋作)とゆかりが深い場所。
主人公のモデルとなった“小林秀三”が勤めていた学校が、
この弥勒にあった。
その跡地には田舎教師のブロンズ像と、文学碑が建っている。
田舎教師ブロンズ像(埼玉県羽生市弥勒)
弥勒高等小学校の跡地に建つ文学碑(同上)
『田舎教師』が出版されたのは明治42年(1909)。
宮澤にとって、物心のついた頃から『田舎教師』は身近にあったかもしれない。
後年、「田舎教師の道」という詩を書く。
「田舎教師の道」
明治の青年が この道を歩いた
たんぼの はんの木をながめながら
揚げひばりの声を聞きながら
羽生在 弥勒高等尋常小学校…
ランプが電灯にかわっても
農家にテレビのアンテナが立っても
青春の情緒は光と影
つねに 揺れうごくことをやめぬ
ひとりの青年が 明治に死んだ
大正にも昭和にも 死んだであろう
でこぼこの往還は白い砂ぼこりを上げ
みろく野に建つ学校のピアノは
そよ風や 赤城おろしのなかで
いまも 明治の唱歌をかなでる日がある
詩人の心に、ふるさと羽生はどうあり続けたのだろう。
情緒豊かな田園風景が、
詩人の心を育てたのかもしれない。
あるいは、『田舎教師』誕生の地という風土が、
少なからず影響しているだろうか。
300校にも及ぶ校歌には、
田舎教師小林秀三の奏でるオルガンの音が、
流れているような気がする。
膨大な作品を創作し続けた宮澤章二だったが、
2005年3月11日に永眠。
宮澤が生まれ育った弥勒はまだ田園風景が広がっている。
しかし、ここも決して不変ではない。
高速道路が新しく敷設され、
「みろく野」は姿を消した。
高速道路には絶えることなく車が走り過ぎている。
最初と上の画像は弥勒野
羽生P.A
その人の名は“宮澤章二”(みやざわしょうじ)。
大正8年(1919)、羽生市弥勒に生まれた。
小学校2年生のときまで羽生で育ったが、
その後上京し、東京の小学校を卒業した。
『あんぶくの臍』『蓮華』『旅路』などの詩集を編む一方で、
『知らない子』といった童謡集も出した。
詩人であり、また作詞家と言えよう。
校歌の作詞に関しては300校を数え、
ややもすると作詞家として知られているかもしれない。
ちなみに、宮澤が生まれ育った羽生市弥勒は、
小説『田舎教師』(田山花袋作)とゆかりが深い場所。
主人公のモデルとなった“小林秀三”が勤めていた学校が、
この弥勒にあった。
その跡地には田舎教師のブロンズ像と、文学碑が建っている。
田舎教師ブロンズ像(埼玉県羽生市弥勒)
弥勒高等小学校の跡地に建つ文学碑(同上)
『田舎教師』が出版されたのは明治42年(1909)。
宮澤にとって、物心のついた頃から『田舎教師』は身近にあったかもしれない。
後年、「田舎教師の道」という詩を書く。
「田舎教師の道」
明治の青年が この道を歩いた
たんぼの はんの木をながめながら
揚げひばりの声を聞きながら
羽生在 弥勒高等尋常小学校…
ランプが電灯にかわっても
農家にテレビのアンテナが立っても
青春の情緒は光と影
つねに 揺れうごくことをやめぬ
ひとりの青年が 明治に死んだ
大正にも昭和にも 死んだであろう
でこぼこの往還は白い砂ぼこりを上げ
みろく野に建つ学校のピアノは
そよ風や 赤城おろしのなかで
いまも 明治の唱歌をかなでる日がある
詩人の心に、ふるさと羽生はどうあり続けたのだろう。
情緒豊かな田園風景が、
詩人の心を育てたのかもしれない。
あるいは、『田舎教師』誕生の地という風土が、
少なからず影響しているだろうか。
300校にも及ぶ校歌には、
田舎教師小林秀三の奏でるオルガンの音が、
流れているような気がする。
膨大な作品を創作し続けた宮澤章二だったが、
2005年3月11日に永眠。
宮澤が生まれ育った弥勒はまだ田園風景が広がっている。
しかし、ここも決して不変ではない。
高速道路が新しく敷設され、
「みろく野」は姿を消した。
高速道路には絶えることなく車が走り過ぎている。
最初と上の画像は弥勒野
羽生P.A
初期に比べてパソコンもカメラも変わったので、
写真を複数載せることができるようになりました(^^)
田舎教師の写真は、昨年のふるさと講座のときに撮影したものです。
あれからもうすぐ1年になってしまいますね。
写真はデジタルカメラから直接パソコンに送っているので、
手元には1枚もない状態です。
写真を見て「いい」と感じて下さるのは、
カメラでもぼくの腕でもなく、
孝子さんの見る目がいいのですよ(^_^)
宮澤章二と校歌。
例のものに向けて準備が大変ですね。
高校を訪問したときは、ほんの短い時間でしたがとても楽しかったです。
季節の変わり目ですので、
体調にはくれぐれも気を付けて下さいね。
カメラはあさっての方向を向いていましたが、
演奏はちゃんと聴いていましたよ
熱のこもったいいステージでした。
(校歌を確認するなんて仕事熱心とおっしゃって下さい(笑))
恩師は全然変わってなかったです(^_^)
できれば2年生のときの先生にも会いたかったのですが、
“想い”がからんでしまうとなかなか会えませんね(笑)
学食のカレーもおいしかったし、
閑古鳥の鳴いている教室から外を眺めたのも楽しかったです。
県外の校歌探しは難しそうですね。
文献に載っているものでもなさそうだし……
これをきっかけに先生に連絡をしてみるとか……(^^;)