旧大利根町(現加須市)には、“杓子木”という地名がある。
杓子とはしゃもじを指す。
古代、樋遣川(加須市)から村君(羽生市)へ嫁に行った娘がいた。
娘は樋遣川に里帰りをする。
実は娘にはある企てがあった。
実家はお金持ちゆえ、何かを黙って持ち帰って来いと夫から言われていた。
朝、娘はこっそり杓子を持って実家を出る。
それに気付いたのは母親だった。
母親は娘のあとを追いかける。
娘は慌てて逃げ去った。
もう駄目だと思ったのだろうか。
娘は杓子を投げ捨てて逃げたという。
その杓子が捨てられた場所が現在の「杓子木」と言われている。
伝説とはいえ面白いエピソードだ。
現代人の感覚から言えば、何も杓子などを持ち去らなくても……と思ってしまう。
もっと金目のものがあったのではないか。
されどこの杓子、重要な意味があった。
女性は杓子を使って家の者たちに食事を出す。
食糧を分配する。
今後の消費を見越して差配する。
つまり、杓子は「家」における女性の権力の象徴だった。
だから、嫁いだばかりの嫁は杓子を持つことは許されなかった。
杓子を握るのは姑であり、
それを嫁に渡すことは隠居を意味していた。
例えば、嫁が気を使って杓子で飯を盛ると嫌がられたという。
姑にとっては下剋上。
早く権力をよこせと言っているに違いないと疑われた。
気を使った嫁にとってはとんだ濡れ衣だ。
逆に言葉なき本心を露わにしたい場合は、杓子を持てばよかったのかもしれない。
実家から杓子を持って逃げ去る娘。
これはもしかすると、実家権力の包摂を意味していたのではないか。
樋遣川にも村君にも古墳群がある。
当時の勢力図は不明だが、力関係が変わっていくことを暗示していると捉えられる……
というのは穿った考えだろうか。
杓子持ち出し事件(伝説)は、単なる後世の創作話の可能性も高い。
樋遣川から杓子木方面への逃亡は、村君と逆方向でもあるのだから。
現在、杓子を持つのは女だけとは限らない。
男も持つ。
ついでにご飯を盛ったところで「下剋上だ!」とは思わないだろう。
ただ、よその家ではどうだろうか。
「包摂しようとしている!」とは思わないだろうが、
杓子を持つ方も持たれる方も、あまりいい気持ちはしないかもしれない。
僕はいまだかつて、よその家で杓子を持ったことは一度もない。
杓子とはしゃもじを指す。
古代、樋遣川(加須市)から村君(羽生市)へ嫁に行った娘がいた。
娘は樋遣川に里帰りをする。
実は娘にはある企てがあった。
実家はお金持ちゆえ、何かを黙って持ち帰って来いと夫から言われていた。
朝、娘はこっそり杓子を持って実家を出る。
それに気付いたのは母親だった。
母親は娘のあとを追いかける。
娘は慌てて逃げ去った。
もう駄目だと思ったのだろうか。
娘は杓子を投げ捨てて逃げたという。
その杓子が捨てられた場所が現在の「杓子木」と言われている。
伝説とはいえ面白いエピソードだ。
現代人の感覚から言えば、何も杓子などを持ち去らなくても……と思ってしまう。
もっと金目のものがあったのではないか。
されどこの杓子、重要な意味があった。
女性は杓子を使って家の者たちに食事を出す。
食糧を分配する。
今後の消費を見越して差配する。
つまり、杓子は「家」における女性の権力の象徴だった。
だから、嫁いだばかりの嫁は杓子を持つことは許されなかった。
杓子を握るのは姑であり、
それを嫁に渡すことは隠居を意味していた。
例えば、嫁が気を使って杓子で飯を盛ると嫌がられたという。
姑にとっては下剋上。
早く権力をよこせと言っているに違いないと疑われた。
気を使った嫁にとってはとんだ濡れ衣だ。
逆に言葉なき本心を露わにしたい場合は、杓子を持てばよかったのかもしれない。
実家から杓子を持って逃げ去る娘。
これはもしかすると、実家権力の包摂を意味していたのではないか。
樋遣川にも村君にも古墳群がある。
当時の勢力図は不明だが、力関係が変わっていくことを暗示していると捉えられる……
というのは穿った考えだろうか。
杓子持ち出し事件(伝説)は、単なる後世の創作話の可能性も高い。
樋遣川から杓子木方面への逃亡は、村君と逆方向でもあるのだから。
現在、杓子を持つのは女だけとは限らない。
男も持つ。
ついでにご飯を盛ったところで「下剋上だ!」とは思わないだろう。
ただ、よその家ではどうだろうか。
「包摂しようとしている!」とは思わないだろうが、
杓子を持つ方も持たれる方も、あまりいい気持ちはしないかもしれない。
僕はいまだかつて、よその家で杓子を持ったことは一度もない。