お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

似顔絵のある静物画(似顔絵雑記)

2021-08-31 06:28:02 | 雑記

散歩をしながら、似顔絵や絵画のことを考えている。
高級時計などをしている人を前に、絵の具を使えなかったのですが、飛沫感染防止の透明のアクリル板があるのなら、色を塗っても不安にならないのかもしれません。ウイルスは怖いですが…。

似顔絵を描くとき、できるだけ短時間にどんな似顔絵を描いてほしいのかを知りたい。
そのために、「ちょいとワル」「普通」「カラー」と尋ね、普通だったら誇張を抑え気味にするなどの、選択してもらうことで予測していました。
「ちょいとワル」も「ちょいとクール」へと少しずつ変化させていき、目が光っていて怖い雰囲気から、デッサンの基礎的な描き方へと移行させました。

専門家の似顔絵師に見てもらうことの難しいところは、「画風を知ったあとに、モデル名を確認しチョイスする」という順序があるようで、いっしょに似顔絵師さんと対話をしたときに、「ちょいとクール」なのに、悪く描いていると勘違いされたまま、不機嫌でおられるということがありました。どれだけ、流布されてしまったのかは分かりませんが、「悪い似顔絵を描く人」というイメージが付いてしまったようです。

建築の広告を描いた経験から、人間の寿命以上の木材の生命のことを考えたりします。私の生きている間は、悪い情報というもので見られていくのかもしれませんが、私や流布した方が無くなったあと、私の名前も知らなくなった世界で、絵だけはよいものとして残したいという気持ちはあります。少なくとも、さほど気にならない絵を描いていけたらと考えています。

苦手な真正面から描く(似顔絵雑記)

2021-08-29 15:28:12 | 雑記
なぜか、正面から描くのは苦手。
書が本業の似顔絵師の方からのアドバイスを思い出し、下書きなしで。
キングカズ。
古坂大魔王。
ミーシャ。
背景がやたら眩しく感じる。
石膏像だったのなら、見えてくるまで、日が暮れるまで見ていればよいかもしれないが、人間だとそうはいかない。
「描く気があるんですか?」
「描いていないでしょ?」
などと言われそう。
肖像画なら、時間の制約がないなら、もしかしたら可能かもしれないが、似顔絵だとそうもいかない。
想像すると、絵の中での間は気にならないですが、時間の余白が怖い。
なので、正面から描くのは苦手です。

三浦知良似顔絵イラスト画像
古坂大魔王似顔絵イラスト画像
ミーシャの似顔絵イラスト画像

「毛筆には到底かなわないから」という正しさからの脱却(似顔絵雑記)

2021-08-29 05:37:03 | 雑記

十五年年以上前の話です。
クロッキーの勉強をしているときに、油性ペンで線をひいていたので
「筆ペンを使ってみたら?」
というアドバイスを受けたことがあります。
けれど、「毛筆にはかなわないから」という理由で、その後もペンで描いてきました。
毛筆は最終的には、「墨が買えるか」の問題になってきますが、それはまだ何も走っていないのに、マラソンで完走できるかを考えているようなものでした。
今もまだ線ではなく、面表現との中間ですが、山藤先生の似顔絵の「ベタ塗りする」に似てきてしまったと感じています。
これで、線に抑揚がなければ、今度は和田誠先生ですね。
このような「誰かに似てしまうのではないか?」という悩みは、モデルさんが実際にいないで写真を見て描いているからだと思います。
モデルさんがいれば、どう描くかという画風や表現よりも先に、「(こう描いてほしい)」ということが、勘違いかもしれませんが伝わってきます。

モデルさんのメリットを描いたのでデメリットも言うと、「(描けないでほしい)」と思って描いてもらおうとする人がやってくる場合があります。
最初、意味が分かりませんでした。
また、なぜか私が一言も言っていないのに、真正面のポーズをとってじっとされる方もいました。それでは絵になりません。
おそらく、私以外の「NIGAOE」というものを伝えるための方々が、定評価を与えるために並ばれたのだと思います。
私は、「モデルの願いを叶える」のも仕事ですから、「(描けないでほしい)」という奇妙な願いを、勘違いかもしれないですが受け取り、未だにイベントへは参加ができていません。

そしてこのコロナ禍です。
それは、生きていくために必要な休養だと思って、散歩をしつつ絵を描き続けています。

「(描けないでほしい)」という雰囲気をモデルさんから感じたときには、「自分の画風で逃げる」ということが必要になってくるのかもしれません。

藤原さくら(似顔絵)

2021-08-23 05:16:11 | ・音楽

藤原さくらさんの似顔絵を描いてみました。
先天的に思える才能に憧れてしまいます。

絵の世界では、先天的に優れていると
「若くして才に恵まれ…」
などと言われますが、人生後半になってくると
「基礎ができていないのでは?」
と言われたりして、それができることを証明しようとするときには、
出来なくなってしまっていることに気付かず、
「基礎ができていない人だったんだ…」
という悲しいことになったりします。
狭義のデッサンにおいて、ものの形をとらえる方法は様々ですが、それを一つ一つ発見するように身につけていった若い時代の「昔取ったキネヅカ」が、年齢の衰えなどによる、形が歪んで見えたり、色感のズレなどをリカバーしてくれます。

歌は素人なのでよく分かりませんが、自分で作った歌なのに、音が取れていないなどと言われそうな世の中で、玄人にしか分からない和音などの何かしらで基礎を見せているように思えます。
それを感じさせないように歌っている無理に発声していない低音は、魅力的に感じています。

自分のバッティング(似顔絵雑記)

2021-08-22 13:39:45 | 雑記

子供の頃に、木製のヒビの入ったバットをプレゼントされたことがあります。
重すぎて素振りすらできない。
なので、空振りするだけで「凄い」と感じて見ています。

「自分のピッティングを」とよく言われますが、自分のピッチングがしづらい構えや打順などがあり、それが相手あっての似顔絵と似ていると感じています。
観ていて面白いと思ったのは、「自分の野球をして失点して交代する」というシーンです。
文化系なら、「失点しないプレーを自分たちの野球にすれば」と考えてしまいがちかもしれませんが、「自分の野球」で負けたときには、ベースボールではなく、「野球」として続いていく、繋がっていったことが、想定の範囲外で驚きました。

私個人の課題として、「自分の似顔絵」というのを持たなすぎて、策として繋がらせない絵を描き過ぎていたと反省しています。
絵は勝ち負けではないと考えていますが、相手のフィールドで勝ち負けの暗黙の了解がある場合には、それを知る術はないので確実に負けです。
けれど負け方として、自分のポートレートで負けたり、自分の似顔絵で負けたりしたいと思っています。それはマナー違反扱いかもしれないですが、ルール違反にならない方法だと考えています。

比喩表現ですが、デッドボールが怖いので、バッティングでは離れて構えたいと思っています。

似てないと言われることの利点(似顔絵雑記)

2021-08-22 06:56:53 | 雑記
滝沢カレン似顔絵イラスト画像

「似ていない」と言われると凹むこともある。
けれど、「似ていない」と言われる機会を受け入れないと、「似ている」と言われる機会も失ってしまう。
あり得ませんが、全ての人に「似ている」と言われるようになってしまったら、もしかしたら、絵ではなく文字でモデル名を書いただけで「似ている」と言われてしまうかもしれない。

似ているか似ていないかを楽しむのが子供や素人であることになってしまうと、それによってはっきりと表出する玄人の似顔絵の輪郭というものは、肖像画になっていく気がします。
万が一そうなったとき、肖像画を描く気のない素人さんの絵が似顔絵になり、似ている似顔絵を描くものが肖像画家になるとするなら、一般の方から見ると、肖像画は似顔絵と呼ばれ、似顔絵は沈下しているように思えてしまうのかもしれない。