お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

さだまさしと「プリミティブ」(似顔絵雑記)

2014-08-31 14:10:26 | 雑記
さだまさしの似顔絵


歌手のさだまさしさんの似顔絵を描いてみました。

より上手く描くことに(自分のそして絵としての)限界を感じると、より下手に、稚拙に描くことに目覚めはじめます。
この「プリミティブ(原始的な、稚拙な)」というキーワードは、私に希望を与えてくれます。

まだ絵を描き始めたばかりの人は、「何言ってるんだ、上手いほうがいいに決まってるじゃないか」と思われるかもしれません。
けれど、「ミロのヴィーナス」と「土偶」を比べたとき、私は土偶のほうに魅力を感じるのです。
レオナルド(ダヴィンチ)より、ジヨットのほうが好きなのです。

少し前に山藤章二先生の「ヘタウマ文化論」に翻弄させられた時期があったのですが、それは「目的」と「手段」とを間違っていたことに気付きました。
「ヘタウマ」を描こうと思っても、「ヘタウマに描く」のを目的にしてはいけないのだと。
あくまで「下手に描く」「上手に描く」というのは手段であって、他の目的を持たねばならない、あるいは無目的的に没頭しなければならないのだと言うことです。
私の場合は「プリミティブに」が目的です。厳密に言いますと、「プリミティブに感じる何かへ」です。
それを目指すために、下手に描くわけで、別に上手でもいいのです。
そう考えられるようになるまでには、時間を必要としました。

とある質問サイトでは「上手く描くにはどうしたらいいか」という問いが氾濫し、画家の先生でも「こうしたら上手く描ける」と教えている方は多いです。
「それって、結局『上手く描く』ってことでしょ?」と、上手い下手の価値観でしか計らない人も多いのも事実です。
でも、私個人としては目的と手段がすり替わってしまう危険性というものを常に頭において描いていていかねばと思っています。

似顔絵もそうです。私は似顔絵は描きますが、正当な似顔絵師ではないです。
「似ている」というのが目的ではなく手段で、他の何かのために描いているのだと思います。
ですので、「似顔絵にはほど遠い」と色々な方に指摘されてしまったのだと思います。

しかし、「似ている顔の絵を描く」ということを目的ではなく、手段として描くことが重要だと思っています。
もちろん、ビジネスワークとしての似顔絵は、そうはいきませんが…。

そうですね、席描きの似顔絵師の方でも、「お客さんに喜んでもらう」のが目的で、「似せる」のは手段であるかもしれませんね。

似顔絵ブログランキングに参加しています。
他の似顔絵ブログを見たい方はクリックをお願いします↓

にほんブログ村 イラストブログ 似顔絵へ

人気ブログランキングへ blogramで人気ブログを分析