story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

テレビ

2023年05月17日 22時44分53秒 | 小説

「もう十時前やん‥」
史子が目を覚ます
いつの間にかベッドから布団が落ちて
自分を見ればパジャマも脱いでしまい下着だけで寝ていた

まだ頭がぼうっとする
準夜勤の後は睡眠が浅く、疲れが残りやすい
自分だけかと思ったら同僚もみな同じことを言う

史子はこの近くの大きな病院でナースをしている
年齢的にも経験でもさすがに彼女に敵う者はおらず
いまや病棟士長だ

しかし、昨夜は十二時前の終業のはずが
ギリギリに飛び込んできた急患
なぜか昨夜に限って深夜に騒ぎ出す老人たち
そして急に容態が悪化した個室の患者

とても引継ぎなどできる状況ではなく
二時間以上も時間が押してしまった

疲れ果て
家に帰るも食事も作る気もなく
水だけ飲んで寝た

「疲れがたまりやすくなったわ」
若い時は連続の準夜、深夜勤でも何とも思わなかった
それどころか、その合間に呑みに行くし
友達と遊ぶし
男と寝るのも平気だった

齢六十・・還暦だ
よろよろと起きだして
この頃、特に近くなったトイレへ行く
その前に何気なくテレビのスイッチを入れた
用を足し終えてトイレから出ると
平日の朝にいつもやっている関西ローカル番組がかかっていた

タレントでもあるレポーターが
適当に店や事務所を訪問して
関西らしく素人さんに出演させる番組で
史子のお気に入りでもあった

脱いでしまっていたパジャマを着る
もともと細身だが年齢とともにお腹の弛みが気になってきている

テレビでは本日のレポーターを勤める落語家が
他の出演者に弄られている
「ふふ・・」
自然に笑いが出る
そう言えば昨夜は笑う暇などなかった
いや、余分なことをする余裕は全くなかった

「わたしこのまま朽ちていくのかなぁ」
独り言が出る
独身を通したと言えば聞こえは良いが
誰か一人のものにはなりたくなくて
適当に都合の良い時に遊んでくれる人ばかり探していた

元より美人の方だ
ただ、身体は痩せぎすで決してスタイルは良くないし
胸は小さい、だのに脚は太く思える
それでも、若いころは常に言い寄ってくる男たちを
適当にあしらってきた

最後の男はもう十年も前だろうか
男たちは気心が繋がってくると結婚をほのめかす

自分にその意思がないことを知ると彼らは静かに去っていく
史子にとって不思議なのは
男たちの方が自分よりはるかに家庭を求めていたという事

裕福ではあったが決して恵まれたとは言えない家庭で育った彼女は
だから家庭を自分が創れるとは夢にも思っていなかった

今こうして神戸の東
分譲マンションの一室で独身を謳歌している
・・はずだったがこの頃の寂しさは何だろう
時に自室で酒を呑んで夢うつつで「助けて」と叫んでいる自分がいる

遮光式の分厚いカーテンを開けた
神戸の街並みが眼下に広がる
サッシを開けて外の空気を入れる
ようやく花粉の季節が終わり
町に降り注ぐ陽光は暖かい

テレビの音がバルコニーにも聞こえてくる
「あらこんにちは~~」
男性が答えている
え??
今の声…
史子は部屋に入ってテレビ画面を見る
タレントと関西人らしい漫談のような会話をしている男性
笑った顔には前歯がなく
屈託のない表情
「こちらは趣味のお店ですか!」
タレントが感嘆している
「見ていただければ、決してご飯屋さんではないことだけは確かです」
そう言いながら笑う男性のその声
「いやぁ、店主さん言わはりますね~~確かに機関車は食えないですね~」
「何なら食べてみます?」
「ほな・・おひとつ」
タレントはそう言いながら棚の蒸気機関車の模型を手にもって食べようとする
そのしぐさが可笑しい
「ふふ・・あはは」
声を出して笑う史子
テレビでは
「どないです、辛子の代わりに石炭でもふり掛けましょか」
と、男性がタレントを揶揄っているように見える
「こちらの店主さん、むしろうちの事務所にでも」
「ああ・・それはありがたいですが、わたしヤッパリ落語より電車のほうがええですわ」
そう言って大笑いする男性
鉄道専門の模型やらグッズやらを扱う店の主人らしい

「カンちゃん・・」
そう呟いた瞬間、史子の目に涙があふれた
あれはまだ彼女が二十代後半だったころ
何人かの男友達の中でひとりだけ、やけに一生懸命な男がいた
それが、カンちゃんこと、寛志だった

ドライブに誘ってくれ、一緒に呑みに行ってくれ
けれど彼はほかの男のように男女の関係を求めては来なかった
だがあるとき
それは彼と出会って二年もたったころだろうか・・
彼は「抱きたい」と言ってきた
その時は断った
彼は別段ショックを受けるでもなく引きさがった

それから何か月かして
ひょんなことで彼と泊まることになった
「おやすみ」
彼は並んだベッドでそう言っていったんは寝たが
「来ないの?」
と史子がちょっと揶揄い気味に言うと
「いいんですか?」
と、彼女のベッドにもぐりこんできた

それからさらに数か月、彼の仕事と親が大変な事態となり
彼はその時、史子に暮れた電話で
「大丈夫、乗り切って見せる」と宣言した

彼の仕事の問題も
入院して生死を彷徨っていた彼の母親の問題も
いずれも解決して
意気揚々と会いに来た彼を史子は蹴飛ばした格好になった

・・なにも、別の友達とおるときに急に来なくても
カンちゃんだって、わたしがいつも複数の男っ付き合っていることくらい
知っているはずなのに・・

私鉄電車の駅前で深夜、史子の好きな二人の男が言い争う
いや、怒っているのはカンちゃんだけで
その頃おつきあいをしていた男は
年齢がかなり上というのもあり、宥め役に回っていた
「まぁ、そこで少し呑もう…」
「なんで俺が、あんたと兄弟の盃を交わさなアカンのや!」

だけど史子には寛志に対しては別の想いもあった
彼は良かれと思うものを人に無理に進める癖があり
それが食べ物や酒、あるいは彼の好きな鉄道なら
たいして回りに影響は与えないだろうが
信奉する思想信条、政治理論、あるいは宗教
そう言ったものへの傾倒に嫌気がさしていたのも事実だ

だが、テレビの中のカンちゃんはどうだ
屈託なく楽し気で
昔からよくやっていた下手なダジャレが良く効いている
番組が進むほどに
史子は泣き笑いの状況になってくる
暖かいものが体を包む

一回だけ重ねた身体の感触が蘇る
意外にも女性関係は初めてで何も分からないと戸惑う彼
それゆえ、かなり辟易するシーンもあったのだけれど
あの純粋さは可笑しかった

「カンちゃん・・会いたい・・」
そう呟く自分に驚く史子

番組が終わってから
大昔の折り畳み式携帯の履歴を今に引き継ぐ彼女のスマホで
彼の番号を探した
そしてそれはすぐに分った
「あれぇ、フミちゃんですか!」
素っ頓狂な彼の声が聴こえる
「お久しぶり、テレビ、見たわよ」
「うわ、それは嬉しいなぁ」
「ね、教えて、今もあの宗教しているの?」
「ああ・・あれ・・平和や政治の問題で僕とは考えが違うからやめたよ」
ほっとした
一番聞きたかったことがこんなことだったのかと自分で気がついた
「ねぇねぇ、カンちゃん、今度呑まない??」
「嬉しいなぁ、その言葉だけで天に上る心地だ」
若いころと変わらない彼の声が史子の耳に素直に入ってくる
「歯が抜けたね」
「治すお金がないんや」
史子は、その答えに思わず爆笑してしまう

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