story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

自嘲

2021年02月28日 22時01分22秒 | 小説

 

わずかなオレンジの光の中、汗にまみれてその明かりを受け返す紗子の裸体が浮かび上がり、翔一はゆっくりとその汗を吸い取っていく
「好き、好き、ねえ、もっと・・」
「ねえ、あなた、本当にわたしのこと好きなの」
紗子が息も絶え絶えに小さな声で訊くが翔一にはそれはただの呟きにしか聞こえない

柔らかな肌を掌と舌でゆっくりとなぞっていく
紗子は時折、感極まったかのような声を出す

かすかな明かりの中で横たわり、呼吸を整える美しい裸体
翔一はまた、その上へ覆いかぶさっていく

ホテルを出るとふたりは手をつないで歩く
紗子はテンションが高めだが、それは互いを求めあった日のいつもの様子だ
北野から三宮への下り坂、よく晴れた夕方の下り坂、陽射しが眩しい

お昼すぎに待ち合わせ、二人のお気に入りの喫茶店で食事をした後、温かい珈琲を飲み、たわいもない話をする
明るい窓の外を背に、店の中のオレンジの照明が紗子の表情を映し出す
どうかすると驚くほどの美しさを見せる時がある
それはいくばくか、彼よりは年上の女性が醸し出す大人の美しさとでも言おうか

ゆっくりとカップを持ち、口に運ぶしぐさがまた綺麗だ
「紗子、本当にきれいやな」
「あら、ありがとう」
そう答えてクスッと笑うがそれもまた美しい
「俺はこの世のものとは思えぬほどの美女を手に入れたのか」
「あら、そう思ってくれるの、嬉しい」
この笑顔にコロッといかぬ男などいるのだろうか

珈琲の香り、クラシック音楽、これはショパンの夜想曲か・・
翔一には夢のようなひと時でもある。

そのあと、この頃よくいく山の手のホテルに入ったというわけだ。

だが、彼には懸念もあった
実は彼には今も付き合っているままになっている女性が別にあった
その女性、恵美子とは数か月前に連絡も取らなくなり、自然に離れていったものだと思っているのだが、いつも一生懸命の目をして彼を見つめてくれた別の女性の顔がなかなか消えない
まさか、恵美子が彼にもう一度近づくなんて考えにくい・・
彼はそう自分に言い聞かせていた

地下鉄駅まで来て紗子との手を放し、改札へ向かおうとした時だ
「いた!」
女の大きな声が響く
聞き覚えのある声だ
「翔ちゃん、なんで連絡くれなくなったの!」
女は叫びながら近づいてくる・・恵美子だ

彼は立ち止まり、女、恵美子のほうを見た
「いや、別に・・意図はないけど」
「じゃ、どうして今、その人と一緒なの」
「別にどうということもなく」
そう言おうとしたら、彼の横にいた紗子が口をはさんだ

「お嬢さん、この方とどういう関係?」
即座に恵美子は紗子のほうに向かっていく
「どういう関係かって、彼はわたしの恋人です!」
駅の改札前、多くの人が通りながら彼ら三人を見ている
「あら、そうなの・・それは失礼しました」
紗子が冷静に言葉を返す。
翔一は、自分で驚くほど、この様子を淡々と見つめている
「あなたこそ、翔一とどういう関係ですか?」
声を少し荒げて恵美子が問いただす
「わたし?・・こまったなぁ」
紗子がちょっと、おどけたように言うが、さほど困った表情はしていない
「いいよ、わたしべつに男には困ってないから」
「困ってないってどういうことですか」
恵美子が詰め寄る
「う~~ん、彼とは、何回かやったけど、彼、なかなか上手だったけど・・でも・・わたし一人だけ愛してくれるのがいいから」
「やった!?どういうことですか?」
「独身男女が気が向いたから体を重ねても、そこに何かの問題はないでしょうに・・」
人が集まってきた
翔一の後ろに立っていた年配の女性が彼の耳元でささやいた
「謝っちまいな、それしかないって」
「謝るって、どっちに・・」
「どっちにもだよ」
言われてようやく翔一は気が付いた、この原因は自分だということに

おずおずと、女二人がにらみ合っているその間へ近寄っていく
すると、彼にとって意外なことに紗子がふっと下がった
「わたし、いいわよ」
「え?」
翔一が紗子を見る
「あなたはこの子を大事にして・・」
そういったすぐあとで彼の顔を見る
紗子の顔は涙で溢れている
「楽しかったわ、短い間だったけど、ありがとう」
そういったかと思うと紗子は踵を返して地下鉄の改札に走っていく
「お嬢さん、その彼氏、大事にしてあげてね」
一呼吸おいて叫んだ
「ごめんなさいね」
そう叫んだ紗子の声が地下コンコースに響く

「こちらこそ、ごめんね!」
大きな声でそう叫んだのは恵美子だった
紗子は改札の向こうから一瞬、こちらを見て、翔一ではなく恵美子に軽く手を振った
「悪いのは翔ちゃんよ」
恵美子が体の向きを変え、翔一に詰め寄る
「きっと、放置状態の恋人がいるなんて億尾にも出さず、あの人としてたんでしょ」
「いや、そんなことは・・・」
「じゃ、いうけど、恋人がいると知っていたら、あの人はあなたに近づいたかしら」
「いやそれは」
何も反論できず彼は立ち尽くすしかない
「決めたわ、わるいけど、わたしも、もうあなたは要らないわ」
「え・・」
「今度は収めてもこういう人はきっと次も同じことをするのよ」
「いや、そんなことは絶対にない」
「絶対にないって、じゃ、それをどう証明するのよ」
「いや・・だから・・」
「だからどう証明するのよ」
「だから、絶対に金輪際こういうことはしない・・」
「ふん!」
恵美子が彼のところから体の向きを変えようとする
彼はそれでも必死に彼女にすがろうとする
「頼むよ、頼む、俺には君しかいないんだ」

その時、恵美子はゆっくりと彼のほうに向きなおした
「本当にそう思うの?」
「ああ・・そうだ」
「じゃ、今から時間作れるよね」
「ああ、もちろん」
「じゃ、わたしを、さっきまであの人と一緒にいたところに連れて行って」
「え・・」
一瞬困惑した翔一だったが、動きは早かった
「わかった」

日の暮れた北野坂を、手をつないで歩く恵美子は少し先を行くような案配だ
「あの、おとなしい女が・・」
翔一は信じられない思いで引っ張られていく
これではまるで、ドナドナの子牛ではないか
彼はそう思ったとたん、笑いが込み上げてきた
「俺は、本当に馬鹿だな」
独り言が漏れる
「そうよ、わたしという、いい女がいながら」
恵美子がきつく返す
「自嘲とはこういうことか」
その思いは口に出さず、彼は夕闇に染まりつつある神戸の脊山を眺めながら歩く
そのすぐ先に、先ほど紗子といたネオンが見える

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