story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ルミナリエ

2017年12月18日 15時31分09秒 | 小説
冬の夕方になると、君は人通りの多いライトアップされた街中を避けるようになる。
陽の短い冬の午後、三時ころになると君は決まって「人が増える前に帰ろう」とか、あるいは「どこかに入ろうよ、寒いから」などという。
春から秋の初めまでは、君も夜の帳の下りた三宮で賑やかな夜を楽しむのだけれど、少なくとも僕と君が出会ってからの五年は・・ずっと冬の夜には街中に出ていかない君だ。
 
だが今夜は神戸では冬の風物詩として根付いている「神戸ルミナリエ」の最終日だ。
僕は「今夜だけはルミナリエを見に行こうよ」と少し強く君に押した。
君は心なしか悲しい表情をしながらも「うん」と頷いてくれた。
 
元町駅前からの長い行列は、車道を厳重に囲んだ専用通路で、道路わきの歩道とは確実に仕切られている。
それにしてもだ、この街の、冬の夜のライトアップは居並ぶビルや商店の全てであり、街路樹までもが無数の電球で飾られていて、美しい。
クリスマスのライトアップとしては、たぶん、関西ではここの右に出る街はないんじゃないかと思うくらいだ。
「きれいだね・・」
僕のふっと漏らしたつぶやきに君は「そう?」とだけ答えた。
「なんか、機嫌悪そうだな・・無理やり連れてきたからかい?」
「別に・・機嫌はいつも通りなんやけどね」
いつもの柔らかな関西弁のイントネーションで、それでも機嫌の悪そうな君の横顔は様々な人工の光の中で美しい。
 
車道幅いっぱいの大行列は、元町の大丸前から一旦、ずっと東の三宮神社の先まで行き、そこから一筋南の道路へ・・
今度は元町の大丸を目指して歩くという大迂回だ。
「寒くないか・・」
今年の冬は寒い、まだ十二月の半ばだというのに気温は零度近いのではないだろうか。
「別に…」また愛想もなく君が答える。
「やっぱり機嫌が悪いんだ・・」
「こうして一緒に歩いとるんやから、機嫌が悪うてもええやん・・」
大丸百貨店の東脇の樹々につけられたイルミネーションはことのほか鮮やかで、軽い音楽が流れてくる。
ここまですでに三十分以上、歩いたり止まったりしている。
 
そして大丸百貨店の南角を曲がり、旧居留地に入った途端、巨大な光の塔とその先の長い光の回廊が僕たちの目の前に現れる。
「すごい、すごいね」
僕は思わず叫んだ。
横の君を見ると、君は頬を紅潮させ、光を見つめている。
 
大勢の人がスマホで写真を撮影したり、中には大きなカメラ機材をもって撮影している人もある。
警備員や警官が「立ち止まらないでください」と叫ぶ。
荘厳な音楽が流れている。
だが、観客は皆、この景色を見に来たのであって、立ち止まらずになんていうのは無理だろう。
行列の進む速度は遅く、人々の表情は笑顔であふれている。
 
僕もあまりの美しさに頬が緩む。
だが、君はじっと前を強く見据えたまま、黙々と歩く。
僕が何か感嘆の言葉を発しても、無視するか、黙って頷くだけだ。
 
光の回廊を過ぎ、東遊園と言われる広い公園に入ると、そこには巨大な光のアーチと、その先の巨大な光の城があった。
ここには三宮から行列なしでも入れるためか、回廊を歩く人の数倍の人がいるように思える。
だが、それでも光の城に近づくとそれなりに空間もでき、僕は自分のスマホでゆっくりと写真を撮る。
 
その時だ、君が急に僕の手を握った。
「こっち」と言いながら僕を光の城の外側に連れていく。
「どこに行くの?」
「行かなアカンとこなんよ」
人の流れを横切り、タコ焼きやケパプや牛串の店が並んでいるその脇、ルミナリエの光がそこだけは届かない僅かの空間、屋台から食べ物の匂いが流れてくるその暗がり・・そこに人々が入れ代わり立ち代わり、やってきている場所があった。
 
そこにあったのはガラスケースに収められた小さな炎。
その前で君は立ち止まり手を合わせた。
「これは・・」
「知らんかったん?あの震災の時の炎・・」
ここは暗がりで君の表情がよく見えない、だが君は目に一杯涙をためているように見える。
 
僕もそこで手を合わせた。
そこだけは何か冒しがたい雰囲気があった。
そこに集まる人々の表情から明るさや楽しさは窺い知れない。
 
君は炎に何かを語りかけているようだった。
「もしかして・・君の関係する人が震災で亡くなられたの?」
恐る恐る、炎を見つめる君に訊いた。
「父と母と、何人もの友達と、近所のたくさんの人と・・」
小さな声で君はそう言った。
そしていきなり大声をあげて泣き出した。
******
あの日、須磨区で崩れた家の中から、子供たちの泣き声がした。
まだ夜の明けきらない真っ暗な中、周囲の人が必死になって瓦礫をどけて、その子供たちを救い出した。
小学生の兄と妹だった。
一階にお父さんとお母さんがいるという。
一階と言っても崩れてしまった家では二階が一階を押しつぶしたような格好になり、とても人力で瓦礫をどけられる状態ではない。
それでも、大人たちは必至で親の名前を呼びながら瓦礫を退けようとする。
やがて、布団が出てきて、すぐに人の足先が見えた。
だがそれ以上ではとても人力では、身体に乗りかかっている木材を動かくことができない。
朝から辺りには近所で発生した火事の煙が漂ってきたが、ついにその炎が家のあった場所にも近づく。
「逃げよう」
誰となくそういう声がした。
逃げなければ自分たちが炎にまかれるのだ。
消防のサイレンはすれど、一向に火が鎮まる様子はなく、むしろ火勢は勢いを増し、真っ黒な黒煙があたりを覆う。
小学生の兄と妹は、そこから大人たちに無理に引き離された。
「おかあさん、おとうさん」と泣き叫ぶ声に、大人たちはどうすることもできず、黙って兄と妹をその場所から近所の小学校へと連れて行った。
*****
「帰る」
泣きながらそういう君を手を取り、僕らはその場を離れることになった。
僕は君の生い立ちを詳しく訊いたことはなかったし、ご両親が亡くなられていることは知ってはいても、それが神戸の震災の故だとは気づきもしなかった。
ただ、唯一の身内としてお兄さんが一人あって、近くで家庭を持っているということだった。
 
人混みの中を、右に左に避けながら、それでも串に刺したリンゴ飴をかじりながら歩いている女性の集団や、焼き鳥の串を歩きながら齧っている家族連れなどに少し危険を感じながら、公園の北の端まで来た時、君が立ち止まった。
そこには女性の裸像があって、時計を抱いていた。
 

「あの娘、可愛そうやんな・・寒い冬でも裸やなんて」
「ああ」
まさかそんなものにそう言う感情を抱くのが僕には不思議だ。
「時計を見てよ」
その時計の針が五時四十七分を指している。
「めっちゃ肌も汚れて、だれも綺麗にしてあげたいとか、服を着させてあげたいとか思わへんのかな」
 
ルミナリエの光の祭典の脇で、君は立ちすくんで裸像を見る。
僕はやっと、君が、冬の夜の神戸を嫌う気持ちが理解できた瞬間だった。
イルミネーションを見に来るたくさんの人々は、寒くて真っ暗な明け方の、火が迫る中での恐怖に満ちた時間を、命を終えねばならなかった時間を、感じ取ることはあるのだろうか。
 
僕は普段の数倍の人であふれる三宮の、ライトアップされたビルのその前で、君を抱きしめた。
 
 
 
 
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