story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

シーサイドエクスプレス

2019年02月11日 23時41分42秒 | 小説

 

0708江井ヶ島夕景

季節は未だ冬のはずだが、春のような温かさの午後
山陽電車の江井ヶ島駅で普通電車を降りた
駅員はおらず、機械で管理された無人駅だ

駅改札のラックに宣伝用のパンフ類が並んでいるが
その中に「Seaside Express」の文字を見つける。
海辺を走るからだろうが、そんなトロピカルなものじゃないよと
どうでもいいことが頭に浮かぶ

駅前のコンビニで缶ビール3本と
すこしツマミになりそうな菓子の小袋を買った

駅の横の線路を
列車が轟音とともに通過する
直通特急=シーサイドエクスプレスだろうか

踏切の音を背にして
駅から南へ旧国道を渡って歩いていくと
昔は繁盛しただろう市場があって
今も数軒の商店が営業しているようだが
街に活気はない

散歩するに相応しい
さほど広くない道を南へ歩くと
やがてヤシの樹々の向こうに
青く明るい海が見えた

なるほどなぁ・・
海が近い駅とは聞いていたが
10分も歩いたわけではなく
思ったよりずっと近い

この辺りの海岸がそうであるように
ここもまた海岸段丘から数メートル下がって砂浜がある

海に突き出た岬のような砂州があり
沖には淡路島がくっきり見え
目を西にやると水平線が見える

ほっとして、居場所を岩場に求め
僕はそこに腰掛けて
缶ビールの栓を開けた

グイっと飲み込むも
あの爽快さは感じられず
心は沈んだままだ

「仕方ないよ、馬鹿にされ適当にあしらわれるのが営業なんだ」
独り言も出る
そう、僕はこの日・・
営業に出かけた先で
辻褄の合わないキャンセルを食らってきたところだ

播州の人は基本的には表裏がなく
信頼関係ができれば
あとはずっとお付き合いができる
・・・はずだったが
だが、今日の相手は東京本社から派遣された
如何にもエリートという風をまき散らす嫌なやつだった

「おたく、もういいよ」
「は?」
「うちの利益になってないじゃない、もう他に頼むから」
「どういう意味なんでしょうか」
「もういいって言ってんだよ」
「わたしに何か落ち度でも」
「いやもういい、あんた、嫌いなタイプだし」
「・・・」
「今まで我慢してきてやったんだぜ、感謝してもらっていいくらいだ」

あの、気障な部長の顔が
電車に乗ってもちらついて
どうにも会社に帰る気にもならなくなっていた
「営業先から直帰します」
そう会社にメールを入れた

そうだ
海を見に行こう・・
静かで青い海を!

そう・・
ここは確かに静かで青い海だ

だが僕の心はあの海のような爽やかさにはなれない
缶ビールをグイっとあおる
戸惑いが怒りになり
碇が悲しみになり
悲しみがやるせなさになり
絶望感が心を支配する

「会社辞めようか」
弱音を吐く自分をもはやどうすることもできない

まもなく日が沈む
周囲はオレンジにゆっくり染まっていく

そのとき
足音が聞こえた
それも靴ではなく
ぺったぺったと
ツッカケで歩いてくる音だ

太陽の方向から向かってきたその人物は
逆光で男か女か判別できない

僕はここではよそ者で
だから本来座ってはいけない場所に
座り込んでいるということなのだろうかと
一瞬想像したが
それもどうでもよくなっていた

「お酒、呑んでんの?」
女の声だ
可愛い声というのではなく
酒焼けしたような荒っぽい感じの声だ

「いけませんか?」
ため息をつきながら僕は返事をした
「となり、いい?」
女は僕の問いには答えず、いきなり隣に座ってきた

「あ・・安心してね・・うち、変な女やあらへんから」
いきなり隣に座ってくるのは十分、変な女だ

そう思ったが僕は口に出さず、女を見つめた
「何か言いたそうやね」
女は僕をちょっとにらむ仕草をする
「うん、よく見えないんだ」
「なにが?」
「あなたがですよ・・よく見ようと思っても逆光で」
「じゃ、反対に行くわね」

女は僕から見て順光の側に座りなおした

逆光でまともに見えなかった容姿は
近くに来るとようやくわかるようになった

美人というのではない
日に焼けたような肌色で
長い髪はなにやら乾ききっている風で
後ろでまとめてゴムバンドで止めているようだ

「ウチも一杯、ここでやりとなったんよ」
「はぁ・・」
「電車を降りたとこのコンビニで買ってきたんよ」
女はそんなことを言いながらワンカップの蓋を開いた
「乾杯!」
「・・何にですか?」
「う~ん、どないでもええんやない」
そう言って女は笑う
僕たちは缶とカップを合わせて乾杯だ

「一人でこんなところで呑むのって寂しすぎるやん」
「はぁ・。」
「そしたら・・あなたがここで呑んでたという・・・そんだけ」
そう言って女は僕の顔を見てクスッと笑う
夕陽に照らされた女の、さして化粧しているわけでもない顔が
一瞬、神々しいものに見えた

「な~~んか、人生、やなこと多いやんね」
またクスッと笑う
播州の人らしい屈託のなさが
僕の心を少し解き放してくれる気がする

赤いジャンパーのファスナーを開け放し
灰色のトレーナーが胸の盛り上がりを見せる

「嫌なことがあったんですか?」
僕の問いに女はまた笑いながら
「毎日毎日、やなこと、あるやん・・」
「そうなんでしょうか」
「そうよ!あなたも仕事してはるんやろ」
「ええ・・」
「ほんで、あなたも仕事で嫌なことがあったと」
「よくわかりますね・・」
「そうやなかったら、こんなとこで海を見ながらビール飲んでへん」
「ははは・・・」
女はなんだかすべてを見通したようなことを言いながら
海の先の夕陽を見ている

夕陽がまもなく沈む
今、水平線に夕陽の下端が触れるところだ
「今日は達磨がみられるんちゃうかな」
「達磨・・ですか?」
「あなた、運がええわよ」
「そうなんですか・・」

太陽はオレンジに辺りを染めながら
下端を水平線に接触させる
すると、触れた水平線の一部が太陽の色に染まり
太陽が人の頭、水平線が人の肩に見えるようになった
「達磨やん!やったね」
女は叫ぶ
叫びながらワンカップの酒を呑む

一瞬、太陽が触れた水平線がくわッと広がり
達磨というより仏様の姿のように見えた
思わず僕は手を合わせる

そして、すぐに太陽は沈んでいき
真ん丸な形が半円に
やがて、小さな光の粒になって消えていく

周囲の空が急に群青色に染まっていく

「ええのん見れたわ、あなたのおかげかも」
僕は初めて見る海の日没の美しさに
すっかり感動してしまっていた
「今日の出会いは何かええことを生んでくれるかもしれんね」
女は上気した顔でそんなことを言う

「あの、達磨夕陽が見えるといいことがあるんでしょうか」
「さぁ、よくわかんないけど、そういうことを言う人はこの辺りに多いわよ」
「なるほど・・」
僕はさっきまで暗い心が明るくなっているのを感じた
「寒くなってきたね」
女はそう言いながら立ちあがる
「今日はありがとうございました」
「なにが・・?」
「達磨夕陽が見られました」
「たぶん、あなた一人でここにいても見たわよ」
「まぁ・・それはそうですが」
「こちらこそ、いい運をありがとう」
僕も立ち上がり、女と向かい合った

「もう一杯、乾杯!」
「はい!」
僕と女は缶とカップを合わせる

駅の方への軽い坂道をゆっくり並んで歩く
空のオレンジ色はすっかり水平線近くの僅かな部分だけになり
群青色が占めている

「ね、折角やから、うちでご飯しない??」
「それは・・」
「あら、帰ったらきれいな奥様が待ってるんかな?」
「それはないです・・」
「じゃ、決まり、うち、この近所なんよ・・」
「あ・・はい」
「ちょっと、ややこしいのがいるけどね」
「ややこしいの・・?」
「あ、、心配いらんわよ・・男じゃなくてコブだけだから」
「コブって・・」
「ま、来たら分かるわよ」

浜辺からの道を並んでゆっくり歩く
市場のあたりには街灯はあるものの
人の歩く気配がない

いや、まもなく数人の人が向こうから歩いてきた
電車が駅に着いて、降りてきた勤め人が家に帰るのだろうか

旧国道を渡り
コンビニの前を通り過ぎると
すぐ先の踏切の警報音が鳴りだした
群青色に染まった風景の中
轟音とともに列車が通過する

「シーサイドエクスプレス・・」
僕は思わずつぶやく
「あ・・そういうよね、山陽電車の直通特急・・」
女が反射するように返してくれる

「海の近くを走るから・・」
「そうやろうね、そやけど、この辺りでは電車から海は見えないけどね」
「無駄にカッコいいネーミングですよね」
「ネーミングっていうか、イメージだけやね」
「そうなんですか・・」
「みんな、直特っていうけどね」
「直特、直通特急・・・どこへ直通するんだろう」
「梅田と姫路・・そんな長距離、乗る人おるんやね」
「いるのかなぁ‥JRあるし・・」
「何処か、ええとこへ直通してくれたらええのにね」
「それって、人生の直通特急ですか」
「あったらええやんね」

女はそう言いながら笑う
踏切の北、さらに少し進んで、路地を入ったところに小さなアパートが見えた
「うち、ここなんよ」
女がアパートの外の鉄の階段をのぼり、僕はその後ろをついていく

二階の一室のカギを開けて、女は僕を招く
部屋の明かりはすでに灯っているようだ

「ただいまぁ・・」
やっぱり男でもいるのだろうか・・
僕は一瞬身構えた
だが、すぐに杞憂だとわかった
部屋から聞こえたのは可愛い子供の声だった
「ママ、お帰り!」
「遅うなってごめんな、今からご飯作るから」
「うん」
「あ、今日はお客さん、お友達になった人」
そう言って僕を招き入れる
綺麗に片付いた部屋の中で
テレビを見ていたらしい10歳くらいの男の子が僕を方を向き
驚きもせず会釈をする
「息子の士郎です」
「あ、僕は今さっき、そこで知り合った山野と言います」
僕は子供に対して礼儀正しくお辞儀をした
そうせねばならない雰囲気をこの子供はもっている

「あら、そういえば、お互い名前もまだやったわ・・」
「はい・・」
「うちは西海友香、あなたは山野さんなんですね」
「はい、山野幸一です」
「覚えとくね」
「ありがとうございます」
「何がありがたいん??」
そう言って女、友香は吹き出した。
「名前も知らない人を連れこむって、うちもなかなかやん」
僕もつられて笑った

友香が食事の用意をしてくれている間
僕は息子の士郎と並んでテレビを見ていた
彼が見ていたのは
アニメでもバラエティでもなく
夕方のニュース番組だ
「ニュース見てて面白い?」僕の問いに
「バラエティよりはまだ、面白いから・・」
10歳の子供とは思えぬ答えに僕は言葉が詰まってしまう

会話を聞いていた友香が
「この子、なんか、えらい賢いんやわ、うちの子じゃないみたい」
「いえ、僕はお母さんの息子です」
即座に答える士郎の真面目な表情に
きっと彼女もまた、頭の良い子供だったのだろうと思う

暖かな母子の家庭
そこに自分がいることが不思議だ
彼女が作ってくれたのは唐揚げと簡単なサラダ
それに瓶の日本酒が並んだ
「神鷹」とある。


日本酒を注いでくれたり、自分に注いだりしながら
明るいテーブルを囲む
部屋の中で見る友香は
化粧っ気こそないが整った顔立ちの
たぶん、普通に化粧をすれば十分美人になるだろうと思わせる
やや乾いているような少し茶色くなっている髪が可哀そうだ

別に難しい話をすることもなく
母子がテレビニュースにいちいち頷いたり
互いに感想を漏らしたりするのを眺め
たまに僕も会話に参加する食事となった

けれど、彼女のことを僕はまだ何も知らないし
僕のことを彼女は聞こうともしない

ふっと
聞いてみたくなったのだ
なぜ二人で住んでいるのか…
「友香さんは、ご主人は?」
一瞬、母子の息が止まったように感じた
ややあって彼女が一言だけ呟くように言う
「うん、別れたんよ、それだけ」

その場の空気に僕は
「聞いてはいけないことでしたか・・失礼しました」
友香は案外明るい声で
「ええんやわ、トンデモ夫でね、離婚して逃げてきてん・・自分の故郷に」
「そうだったんですね、失礼しました」
ちょっとうつむく彼女に、心底申し訳ないと思っていると
息子、士郎が声を出した
「ママ、この人、ええ人やん、貰ってもらえば」
友香が顔を上げた
真っ赤になっている

「いや、今、会ったばっかりやし」
彼女は息子に慌ててそう答える
僕から思わぬ言葉が出た
「いいですよ・・僕は」
瞬間、友香が紅い顔色のまままるで食って掛かるように言う

「いいですって、なにが?わたしと一緒にならなくていいの?」
「あ・・いや」
「なってもいいの!」
「はい、なってもいいです」

夜も遅く
爾後のことは今からお互い話し合うことにして
僕はその彼女のアパートを辞した

二階の通路から息子、士郎が手を振ってくれている
彼女が駅まで送るといってついてきている

020119江井ヶ島踏切

すぐ近くの踏切の警報音が鳴りだし、
遮断機が下りた
夜の闇に占められた街に
直通特急、シーサイドエクスプレスが
窓から明かりをまき散らしながら通過していく
「いいとこへ直通してくれる特急」
友香がつぶやく
「うん」
人けのない無人駅の改札前で
「じゃ・・」と手を振ろうとすると
彼女が「待って」という

そして一瞬向かいあったあと
僕らは抱きしめあった

反対方向の直通特急がまた通過していく

「シーサイドエクスプレス」
彼女の唇の熱さを感じながら、ここだけは止まれよと
時間に祈る自分がいた
彼女の息から
かすかに酒の匂いがする

彼女が目に涙をためている
シーサイドエクスプレスは
She Side Express・・彼女のそばの特急なのか


筆者注;

彼女のそばの特急を英訳すると、本当はどうなるだろう・・
無い知恵を絞って考えました
Her express of buckwhet
ExpressTrain near her
Express at her Express train which nestles close to her
Express beside her

この場合、 Express beside herが英語として適性ではと、専門家の方からご教示いただきました
英語の奥深さをほんの少し齧ったような気がします。

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