story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ある女性客

2019年04月20日 21時06分34秒 | 小説

駅待ちタクシーイメージ

いつもの駅からいつものようにお客を送る深夜
タクシードライバーの終業近くの日常だ
終電近く満月が美しい

ドアを開けると乗ってきたのは若い女性だった
「こんばんは、どちらまで参りましょう・・」
僕の挨拶に彼女は、きちんと座ってから
「大学前までお願いできますか」と
意外にハスキーな、けれど艶のある声で言う
「大学前ですね、かしこまりました」
僕はドアを手元のレバーで閉めてクルマを発車させる

乗車の時の、ミニスカートに綺麗な足元
嫌らしいというのではなく、むしろ爽やかだ

なるべくルームミラーは見ないようにしているが
それでも、後方を確認するときなど、ミラーを見る

そこに写る件の女性客は
肩までの髪を綺麗に整えて
整った表情が美しい

「クレジットカード、使えますか?」
ややハスキーな声で女性が訊いてくる
「どうぞ、使えますよ」
僕はなるべく軽く答える

クレカを使われるのを嫌う運転手もいるが
なんでも気軽に、使える支払い手段は受けていくのが
売り上げを確保し自分の顧客をつかむ常道でもある
すでに僕は会社が推奨するおサイフケータイも受け入れている

「助かります・・」
ハスキーな声だ

クルマは坂の上のインターチェンジを超え
10分ほどで大学前のコンビニに着いた
「こちらでよろしいですか・・」
「ありがとうございます!」
そういった彼女の声がなんだか男性の声に聞こえる

だが、振り向いた後部座席の彼女は
ルームランプに照らされて美しい
細いきれいな指でクレジットカードを差し出してくれる

クレジットカード処理も慣れていれば1分もかからない
「ありがとうございました!」
彼女は女性らしい身のこなし方でクルマから降りていく
柔らかい風にスカートが揺れるのがまた美しい
「今度、指名していいですか?」
「ええ、もちろん、いつでもご指名ください」
「じゃ、その時はよろしくお願いします」
そういってクルマから離れ
身のこなしも艶やかに大学前のワンルームマンションが林立するあたりへ
足取り軽く歩いていく

だが、かわいらしい表情と
艶のあるハスキーな声がどうも僕の中で違和感を覚える
それはそれで、どうでもいいことで
その違和感も駅に戻る前にすっかり消え失せていた

その数日後のある日のことだ
大学の正門へ
僕を指名しての配車依頼があった

この大学は学生や教職員などにわが社のタクシー客が多く
それは別に疑問に思わないでお迎えに行ったのだ
だが「指名」って・・

大学の正門、守衛の前で顧客を待つ
「中谷様」という顧客のようだ

やがて、きちんとスーツを着た男性が近づいてきた
「中谷です」
男性にしては色っぽい声でそういう
僕は一瞬、まじまじとその男性を見ながら
「ご指名ありがとうございます」
そう僕は彼を迎え入れたのだが
男性の容姿が思い出せない・・
指名である以上、どこかで僕がお乗せしたお客というはずなのだ

「先日はありがとうございました」
「は・・?」
「覚えておられませんか?」
男性は丁寧に訊いてくる
この声は・・・・

「あのときはクレジットカードをいろんな会社のクルマに断られた後で」
「え・・?」
「助かりました・・すごく気軽に受けていただいて」

男性にしてはまつ毛の長い、優しそうな表情がルームミラーに写る
「あ・・あのときの女性の方・・」
「そうなんです・・今日はお仕事で大学の別のキャンパスに行くので」
おかしそうに男性が笑う
見た目は男性だが、声だけ聞くと、まさにややハスキーな女性だ

「いや、びっくりしました」
「驚かせてごめんなさい・・」
「いえいえ、こうしてみると・・あの時のかたですね・・」
「はい・・」
男性はくすくすと笑う
女性の笑い方だ
いい人に顧客になってもらった・・すぐにそう思えた

クルマは大学近くのインターチェンジから高速に入る

コメント
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