story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

裕子の鉄道写真。

2018年05月09日 15時53分29秒 | 小説

あれは寝台特急「日本海」がいよいよ廃止されそうだと噂されていた頃だから2011年だろうか。
大阪駅で、まだ廃止の正式アナウンスがなく、今ならと鉄道ファンが殺到する前の寝台特急「日本海」の静かな発車をを見送った僕は、その少し後に発車していく富山行きの「サンダーバード」をついでに撮影しようと10番線ホームの端っこでしゃがみ込んでカメラのファインダーを覗いていた。
いきなり、頭の上でパパパパパ・・と高級一眼レフの連写音がした。
僕のカメラはパシャ、パシャ、パシャと連写にしてもおよそ早くは思えない動きなのだ。
鉄子イメージ


驚いてそちらを見た。
髪の長い女性が一心にカメラのファインダーを覗きながらシャッターを切っている。
大きなボディ、ニコンのカメラを愛する僕にはすぐにその機種が分かった。
ニコンD7000、当時最新の高級機種だ。

呆気に取られて女性を見ていると、やがてその女性は撮影を終えたようで、カメラから目を離す。
彼女の足元にしゃがみ込んでいる僕に気が付いたらしく、一瞬、僕と視線が合った。
その女性は、ニコっときれいな笑顔を見せてくれ、すぐに軽く会釈してその場を離れていく。
小柄だがスマートな体躯。
黒っぽいニット地のワンピース、肩から下げた大き目のブランドバック・・
颯爽とホームの中ほどへ向かっていく彼女の後姿は僕の中に強烈な印象を残した。

だが、彼女がどこの人であるのか、調べようもなく月日は経っていく。

*****

それから6年、昨年の春のことだ。
この間に仕事や家庭のことなどいろいろな変化があり、しばらく好きな鉄道にも足が向かない時期があった。
僕は自宅近くを営業車で走っていて、あまりの桜の美しさに、ふっと、春の鉄道風景を見たくなった。
そしてその翌日には自宅からさほど遠くないローカル鉄道へ出かけていた。

さわやかな風が舞い、柔らかな陽光が降り注ぐ春の田園風景は、しばらくの自分の思いもしない要らぬ多忙で疲れた心をゆっくりと癒してくれた、。
無人駅の駅前広場に自分の軽四輪を停め、エンジンを切り、窓から入る風にすっかり身を任せていた。
その時、少しスペースを開けた横に、大きめのRVが停車した。

僕は、地元の鉄道利用者だろうか・・くらいに思って気にしていなかったが、そのRVから、女性がカメラを持って降りてきたのを見て意外な気がした。
同好の士なのか・・

その女性は長い髪で、デニム地のワンピースを着ていた。
僕の視線が彼女に感じられたのだろうか、その女性は僕の方を見た。
そしてニコッときれいな笑顔を見せてくれた。
一瞬にしてあの、大阪駅での出会いを思い起こさせる。

「鉄道ファンの方ですか?」
彼女の方から暖かな声で話しかけてくれる。
僕は助手席にカメラ機材一式を置いていたから、彼女がそれを見たのかもしれない。

「ええ、そうなんです。あなたも鉄道ファンですか?」
「はい、ここ、春先はいいですね、本当にきれいです」
そういった後こう付け加えた。
「ぜひあなたもいい写真が撮影できますように」
軽い綺麗な笑顔を振りまいていく。
彼女の手にはニコンの最高機種、D5がしっかりと握られている。

まもなく列車の来る時刻だ。
僕はホームに植わる桜が見事に咲き誇るその向かい側に立ってカメラを構えた。
近くに先ほどの女性がいないか、探してみたが見当たらない。

やがて、単行の気動車がはるか遠くの丘の上に見える。
速度が決して高くないので、列車がここに来るにはまだ1~2分はある・・そう思った時、後ろの方でガサガサと草叢が動く音がする。
驚いてそちらを見ると、女性が草叢に這いつくばるようにしてカメラを構えている。
僕が考えたこともない、撮影の姿勢だ。

気動車がやってきた。
だが僕は、腹這いになっている彼女の姿が気になって仕方がない。
チチチチチチチチ
あの時の連写音よりはるかに速度アップした音をカメラがたてる。
僕はやっと、駅舎と桜の花が画面に入るカットを数カット撮影しただけだった。
DSC_0281.jpg


呆然と彼女を見ていると、彼女はゆっくり起き上がって、おなかの辺りに付いた草の葉などを払っている。
胸の稜線の辺りを払う手を思わず見てしまう。

「あの・・」
まともに言葉が出ない。
「あら・・いい写真撮影できましたか?」
やはり、きれいな笑顔で訊いてくれる。
「あ・・はい・・」
僕は彼女のお腹や胸のあたりを見たままだ。
「まだ、葉っぱついてます?」
悪戯っぽい表情で僕にそう聞く。
「い・・いえ、もうついてないです・・」
やっとその言葉を飲み込んで、一度息を吸ってから僕はこういった。
「すごい姿勢で撮影されるんですね・・」
一瞬、きょとんとした表情を見せた彼女だったが、やがてちょっと笑いながら答えてくれる。
「ああ・・あの格好ですか、いや、あれを見られたの・・恥ずかしかったかも」
そしてけらけらと大きく笑い出した。
「いや、どうしてあのような格好で撮影されていたんですか?」
しばらく笑いが止まらなかった彼女はやっと笑いを抑えて、線路際の草叢の一角を指さした。
「そこ、見えます?」
彼女が指さしたその先には何本もの土筆が出ているのが見えた。
「土筆・・ですか?」
「そうなんですよ、ここ、桜と同時に土筆が出るんですが、うまい具合に土筆が目の前にあったので、それを主題にして撮影しようとしていたんです‥」
そう言ってくれた後、また彼女は笑い出した。

RVと最高級デジタル一眼レス、にこやかな笑顔、腹這いになっての撮影、そして今の大笑い、目の前で立っている女性は紛うことなき大阪駅での女性だと、僕はなぜか確信した。

「あの、つかぬ事を窺いますが・・」
「ん?なんですか?」
笑いをとめ、でも無防備な屈託ない表情で真正面から僕を見てくれる。
「6年ほど前、大阪駅でサンダーバードを撮影されていませんでしたか?」
すると彼女は「う~ん」と下を向いて考え始めた。
「6年といえば・・トワイライトじゃなく…日本海かな・・」
「あ・・僕もあの日、日本海を撮影に行っていたのですがその後、サンダーバードを撮影していて」
「だったら、行ったかも・・・大阪駅にはしょっちゅう出入りしているから・・・」
「その時にお見かけした方ではないかと思ったものですから・・」
「あら、じゃ、今日はすごいご縁の再会・・」
大きな目を丸くして僕を見つめる。
愛らしい唇の明るいピンク色に僕はドキリとする。
「あの日、僕はホームでしゃがみ込んで低い位置から撮影してたのですが、いきなり頭の上で高速連写・・見ると髪の長い女性が・・・」
「あらぁ、失礼なことしたのかな・・・わたし、列車を見ると見さかいがなくなるので・・」
そういったかと思うとまた笑い出した。
「あったかもしれないですね、そういうこと・・」
笑いながらやっとのように言う。
「いや、本当にびっくりして、僕は列車を撮影できず、呆然とあなたを見ていました…」
「あらぁ、それはごめんなさい・・」
「今も・・」
「え・・今もなんですか!?」
「驚いてしまって・・撮影は何とかしました」
僕がそう言うと彼女はグンと近づいてきた。
「ちょっと画像見せてください・・」
「え・・いや・・その」
僕はちょっと後ずさりしかけていたが、彼女は僕の組からストラップで釣り下げているカメラに手を伸ばし、さっさと捜査してモニターの画像を見ている。
僕のカメラはニコンD7000、あのとき彼女が使っていたものと同じで、中古で安く入手したものだ。
彼女のカメラの操作は全く滞りがなくスムーズだが、僕のカメラは首からぶら下がったままなので、彼女の顔が異常に近づいているように感じる。
「いいですねぇ~~きれいに撮れてる。セオリー通り基本に忠実・・」
「そうなんですか・・」僕は息を呑みながら言葉を出す。
「あ・・ごめんなさい、勝手に・・」

彼女はカメラから手を離した。
「わたしが撮影の邪魔をして撮れてなかったらどうしようかって思ったものですから」
いえいえと、僕は声を出そうにもまた彼女に圧倒されて何も言えない。
「じゃ、わたしが今撮ったのも見てください」

彼女は息遣いが感じられるほど近くにより、僕にニコンD5のモニターを見せる。
そこには下から見上げた気動車のカットが何枚も続き、そして車輪だけが写りこんでいるものがそのあとに何カットもある。
「この車輪だけのは・・何か意味があるんですか・・」
僕はモニターで見ても意味が分からないので尋ねた。
「ほら、下の方を見てください」
彼女は画像の一つを拡大して指で示す。
「これは・・」
「土筆ですよ!」
「主題が土筆というのはこれですか・・」
「そうです。車輪と絡んでいい雰囲気になりました」
「なるほど」
車輪と土筆

僕はもう、すべてに気圧され言葉を飲み込むしかない。
彼女が撮影したその車輪の写真が悪いとは思わないけれど、僕の発想にはないもので、意見の持ちようがないのだ。

「ね、ちょうどひとりでは寂しかったから、あなたのクルマをここにおいて、一緒に先へ行きませんか」
「え・・」
「行きましょう!このさき、ちょっと遠いけれど、いい感じの山があるんです」

そういうと彼女はさっさと僕から離れて歩き出した。
僕はついていかねばと、彼女の後を追う。

半ば無理やりに彼女の大きめのRVに乗せられる。
この鉄道の駅前は無料駐車場になっているのでクルマを置いておくことの心配はない。
よっこらしょと、慣れぬRVの助手席に乗り込むと彼女はさっさとエンジンをかけてベルトも締めていた。
「お邪魔していいんですか」
「こちらこそ、無理にお誘いして・・」
そう言いながら彼女はさっさとクルマを出す。

少し動くと彼女は車を道路の端に寄せる。
「ちょっと失礼します」
そう言いながらスマートフォンを出して話し始めた。
「はい、なにかありましたか」
「う~~ん、わたしは今、ちょっと遠くにいるから、今いる大先生に訊いてよ」
「先生がいきなりオペ!そうなの、でも、わたしはここからでは2時間はかかるわ」
「でも、あなたもいつまでもネーペンさんじゃないのよ、こういう時にチカラをつけないと」
「大体きかなくてもやり方はあなたは全部知っているんですから、わからないときは経験豊富なナースの方々がいるわ」
「なんでも経験よ、経験」
ちょっときつくそういって彼女は電話を切った。

「ごめんなさいね、仕事の電話で・・」
彼女はそう言いながらクルマを発進させる。
「いえ・・あの・・お医者様ですか?」
「あら、今の話で分かってしまったかな・・」
「でも・・」
「なんですか?」
「戻らなくて患者さんは大丈夫なんでしょうか・・・」
「大丈夫よ。それよりわたしが戻るのを待つ方がよほど危ないでしょう‥」
「はぁ・・」
「今日は楽しむの。決めているの」
「なるほど・・」

クルマは大きな図体なのに器用に山の中の小道へ入っていく。
農家の人らしい軽四輪と出会うが難なくやり過ごし、軽く手を振って向こうの運転者に礼をする。
「そういえば・・」
「はぁ」
「まだ、あなたのお名前を訊いてなかったわね・・ワタシは河野裕子、サンズイの河に野原の野、コロモヘンの裕、子どもの子ね」
「あ・・僕は米野浩一と言います。コメの野原、サンズイに告げる、一番の一・・」
「じゃ、浩一さん、今日はお付き合い有難う」
「いえ・・裕子さんと呼んでいいですか・・よろしくお願いします」

クルマはいつしか高い山の上に登り、大木からなる森林を抜けた先の小さな棚田に着いた。
「ここから、列車が良く見えるでしょ」
彼女が指さす先を見ると、木々の合間から確かに単線の線路が光っている。

彼女はスマートフォンの情報に見入り「あと7分くらいで普通が通過しますよ」という。
「ありがとうございます」
「いえいえ、もう遠慮しないで‥お互いファーストネームで呼び合うんですから、ね、浩一さん」
「じゃ、裕子さん、わかりました・・」
「なにが分かったの~~」と言いながら彼女、裕子は外に出て何やら用意を始めた。
僕もクルマの外に出た。
緑の山々、空気がひんやりと体を包む。

彼女がクルマのバックドアを開けて出してきたのは立派な三脚だ。
ポジションを決めて、三脚を固定する。
三脚の足は思い切り伸ばしてあり、背の低い彼女はとてもその高さでカメラのファインダーを覗くとは思えないが、すぐに足元にアルミ製の脚立を置いて上に登る。
僕は自分のカメラをぶら下げたまま、その様子を見ている。

「こういう時、浩一さんはどう構図を作るの?」
「う~~ん、列車をあの木立の中ほどに入れて・・」
「なるほど流石ね・・わたしはちょっと違うかも」
そういったかと思うと、「来たわ、レールジョイントの音がする」とすぐにカメラのファインダーを覗き始めた。
僕も、自分が言ったとおりの構図にカメラを固定し、列車の音が山間い広がるのを聞く。
なかなか列車は現れない・・・そう思った矢先、いきなり木々の間を1両だけの朱色の列車が見えた。
シャッターを押す。
パシャ、パシャ、パシャ・・五度ほどシャッターを押しただけで列車はまた木々に隠れてしまった。
その間、頭の上からチチチチチチチチとクマゼミの鳴くような音が聞こえている。
D5の連写音だ。
DSC_1441.jpg


列車が行ってしまって、脚立に乗っている彼女の方を見ると、顔を空の方に向けている。
空を見上げて泣いているようにも見える。
「撮れましたか?」
僕は彼女に訊いた。
ふっと、僕の方を見た彼女の顔は上気していた。
何か言いたそうだったが、転げそうに脚立から降りていきなり僕に抱きついた。
「やった、やった、ありがとう!思った通りの絵ができた!」
そして更に抱きつく力を強くした。

彼女の髪からのシャンプーの香り、ほのかな香水の香り、そして柔らかな彼女の胸が僕に密着する。
抵抗することもなく、僕は彼女の腕の中にいた。

しばらくしてやっと腕を離した彼女は、上気した顔で目に涙を浮かべて「ありがとう、ありがとう」という。
なにがありがとうなのか、僕には理解できない。

「撮りたかったのよ、このアングル・・」
彼女は脚立に登り三脚のカメラを外し、僕にそのモニターを見せてくれた。
雲雀が、鶯が鳴いている。
彼女が見せてくれたモニターには殆どが山の木々の緑で、画面の上の方の隙間にわずかに赤い列車がいる構図だった。
その構図の写真が30カットほどもあろうか。
その間、列車は少しずつ前進しているわけだ。
「浩一さんのはどうでした?」
僕も彼女に自分のカメラのモニターを見せた。
画面の中央に木々の隙間が入り、赤い列車が比較的大きめに存在感を出している構図だ。
「この感じもいいね・・」
彼女は感嘆したように言う。
だが、これは断言できる。
僕の撮影した構図は、鉄道ファンの大多数として当たり前の構図だ。
彼女の撮影した構図は、明らかに何かの一線を越えた、いわば芸術の域に達した人の構図だ。
「いや、裕子さんの感性、すごいです」
心底、僕はそういった。
「そうかな、ありがとう」
彼女は頬を上気させたまま、自分のカメラのモニターを見続けている。
よほど作品の出来に満足したらしい。

木々の間を風が通る。
僕らはゆっくりと道具を片付け、クルマに乗り込むところ・・・ふっと僕は目の前にいる彼女をとても愛おしいと思ってしまった。
「裕子さん」
なに?と振り向いた彼女の肩を今度は僕が抱きしめた。

「だめ・・」
そう言いながら、彼女は僕の腕の中にいた。
柔らかな感触、木々の葉を揺らす風と、その葉の間から漏れる陽の光と、鳥のさえずりと、彼女の少し荒い息遣い、僕はこの瞬間がこれまでの人生で一番大切なものだと・・思っていた。

コメント
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