story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

SKY171便にて

2023年11月27日 16時45分50秒 | 小説

神戸空港で少し焦ってチェックインをした
自宅近くからの路線バスが早朝からの工事渋滞に巻き込まれ
かなり切羽詰まった時刻になっているからだ

目的地は北海道の帯広だ
搭乗予定のSKY171便ならJR特急との接続もよく
お昼過ぎには現地についているはずだ

ポートライナーを降りると幸いにして空港は空いていた
オフシーズンの平日ゆえだろうか
QRコードをチェックイン機にかざすだけのチェックインを済ませ
作業用の道具が入った荷物を預け入れ
搭乗前検査を済ませると
どうやら搭乗までは僅かながらの余裕が残る時刻だった
心地よい搭乗受付案内の電子音、四音程が響く

待合室の自販機で温かい缶コーヒーを買い
駐機場に向いたカウンターでやっとホッとする時間を持つ
全面ガラスの向こう
先に出発する目の前の羽田行きが動き出すが
僕が乗るはずのスカイマーク機の千歳行きがいない
その時だった
女性の大きな声がした
「わかってるやん、そやから今から行くとこやん」
僕はびっくりして声の方を向いた

スマホを持ち、金に着色した髪の毛の少女が怒鳴っている
年のころは高校生くらいだろうか
やがて電話を切ったかと思うと少女は僕の座っているカウンターの
並びに腰かけて俯いている

泣いているのだろうか
この待合室にいるということは、僕と同じ千歳行きの便に乗るのだろう
身体が小刻みに震えている

航空機というものは基本的に女性が案内の主役であり
男性が乗客の面前に立つことは少ない
この点では鉄道に比すと随分ソフトな世界だといつも感心することだ

乗るべき飛行機が目の前にいない状況ながら
やがて優しい声で優先搭乗の案内があり
その対象の人たちが搭乗ゲートを入っていくと
次は窓側の席の人という事で僕もその列に並んで美女が監視するゲートを入り
ボーディングブリッジへ行くものと思っていたが
何とそのまま階段を下りさせられ空港の地平に出た
乗るべき飛行機はそこから100メートルほど歩いたところに駐機していて
タラップによる搭乗となった

すると乗客の何人かは地平から見上げる飛行機の珍しさゆえか
スマホで写真を撮り始める
その時だ、微かにだが怒鳴っている声が聞こえた
「おぉい、くみこ、むこうでちゃんとやれよ」
ジェットエンジンのアイドリングと風にかき消されそうになりながらも
その声ははっきり聞こえた
そちらを振り向くと、展望デッキの一番端っこから
男が叫んでいた

僕の少し後ろを歩いていた少女が立ちすくんでいる
さきほどカウンターで泣いていたらしいあの少女だ
思わず僕は足を止めてしまったが
やがてここでも案内についている美女係員に促されてタラップを昇る

飛行機という乗り物は案内はソフトだが
係員に従わなかった時の怖さは鉄道の比ではない

機内に入り、自分の座席に向かう
窓側で翼の少し前、良い席だ
荷物は預け入れにしているので手ぶらで席に着き
シートベルトを締める
かつては怖くて飛行機が大嫌いだったのだが
忙しい世間の中で
僕も自然と飛行機に飼いならされてしまった感じだ
小さな窓から空港職員たちが出発へ向けての準備を終えつつあるのを見る

隣の座席に人が座ってきた
航空機の座席は窮屈で
こればかりは新幹線のほうが一歩も二歩も上だよなとは思う
ふわっとした感触から座ってきたのが女性だとわかった
ちらっと見ると、先ほどから気になっているあの金髪の少女ではないか

どうやらシートベルトを探しているようだ
「お尻の下ですよ」と僕は小さな声で教える
「あ・・」
少女は軽く会釈をし、体を少し浮かせてベルトを取り出して締めた

乗客が全員座ると
CAさん(キャビンアテンダント)による万が一の際の身の守り方などが案内される
いつ聴いても同じ内容で
だから常時利用する客には省いてもよさそうな案内だが
未だにこれを省略したという話は聞いたことがないし
座席モニターのある機体などでは映像として見せてはくれるものの
いつも丁寧に案内されるのは同じだ
例えば新幹線に乗るたびにこういう案内をしたらどうなるだろう
いや、荷物の預入や搭乗検査などを新幹線が採用したらどうなるのだろう

そう言った意味ではやはり航空機というのは特殊な乗り物であるという感覚が
今も僅かばかり残っているという事なのだろうか
やがて空港職員が手を振るのを見ながら飛行機は後退する
そして向きを整え、滑走路へゆっくり向かっていく
巨大な図体が滑走路へ向かうまでのゆっくりとした走り
これこそが旅への前奏曲か
いや、前奏曲というなら空港に立ち入った時から
ここまでのすべてがそうなのだろう

「当機はまもなく離陸を開始したします、座席ベルトをお確かめください」
優しくも、ややきつい口調の案内が入る
ジェットエンジンの音が大きくなりそして一気にダッシュする
やがて、ふいっと空港から別れを告げるかのように
SKY171便は空中へ踊り出ていく
神戸の街が窓いっぱいに広がる
ふっと、右の肩に何かが当たった
見ると隣の席の少女が必死に窓の外を視ようとしていて
彼女の腕が当たったらしい

僕は身体を少し座席にくっつけるようにして彼女が外を見やすいようにした
まだ離陸中で座席のリクライニングはできない

明石海峡から加古川付近で飛行機は大きく進路を変え、北に向かう
そして福知山付近で北東に進路をとるようだ
この頃になってベルト着用サインが消えた

後ろの座席の人に「少しだけ座席を倒してよいですか?」と伺う
幸い、快諾を得てリクライニングシートを少し倒す
「これで、外が見えやすくなったでしょう」
隣の席の少女に声をかけると小さな声で「はい」とだけ返事が来た

この日は素晴らしいお天気で景色も抜群だ
だが、成層圏まで行ってしまうと結局は殆ど空しか見えないことになる
それでも件の少女は窓の外を見つめている

CAさんがエプロンを身に着けてサービスに移る
まずチョコレートが配られ、少女は不思議そうにそれを受け取る
僕も受け取ったあと、すぐにそのまま少女に渡した
「あげるよ、僕は甘いものは食べないから」
少女は初めて少し、はにかんだ

やがて飲み物のサービスがある
僕はコーヒーを、少女は戸惑いながらアップルジュースをうけとっていた
最近では鉄道の特急列車から車内販売のサービスすら存在しなくなっている
わずか、チョコ一枚、飲み物一杯のサービスでしかないが
これだけでもないよりは随分ましだろうし
有料であれば別の飲み物やグッズなども売ってくれる

鉄道を利用しようとする旅客が減っているのは
なにも所要時間の問題だけではあるまいと思うのだ
航空機はチェックインに時間を要し
神戸からだと東京まででは多分、総合的には新幹線のほうが速いし気楽だ
それでも本日の羽田行きも満席だという

本来は景色の良かった新幹線も防音壁に囲まれ
景色が見えづらくなった車内では販売員すらいない
自販機もなく飲み物は買えず旅の楽しみは駅の売店だけというのでは
旅の目的が仕事であれ遊びであれ
乗客から遠ざけられるのは致し方のないように思う

秋田上空辺りからジェットエンジンの音が抑えられ
飛行機はグライダーのように滑空していく
この時の静かで平和なひと時が好きだ

少女は時折、座席から腰を浮かしながら窓の外を見ている
「北海道の何処へ行くのですか?」
僕は何気なく少女に聴いた
そしてすぐに神戸空港でのあの雰囲気を思い出し
訊かねば良かったかと思い始めたが
「苫小牧という街です」
意外にも少女はきちんと返してくれた
「苫小牧かぁ、何度か行ったことはあるけれどある意味では北海道らしくない、いい街ですよ」
「北海道らしくないって?」
「工場の多い街で、それから雪があまり積もらない・・」
「寒くはないですか?」
「そりゃあ神戸に比べれば寒いでしょうけれど、北海道の中では温暖な方でしょうね」
「わたしでもその街で住めますか?」
「うん、むしろ雪の多い札幌辺りより住みやすいのでは」
少女はしばらく自分の中でその答えを咀嚼しているようだった
「オジサンはどちらに行かれるのですか?」
不意に少女から質問が飛んできた
「うん、僕は仕事で帯広に行く途中なんです」
「帯広・・」
「千歳から石勝線で狩勝峠を越えた先、大きな町だが寒い」
「じゃ、わりに空港の近くですか?」
「いや、南千歳駅から特急で二時間ちょっとってところでしょう」
「二時間、北海道って広いのですね」
「いやいや帯広くらいじゃまだまだ、石勝線をその先の根室線に向かうと、釧路まで4時間以上、根室までは乗り換えて合計7時間ですね」
「7時間・・・」
「神戸から鉄道で・・それも新幹線じゃない鉄道で東京へ行くようなもんです」
「じゃ、苫小牧も遠いのですか?」
「いや苫小牧は空港のわりに近く、着陸態勢に入った時にうまくいけば眼下に見えますよ」
そう話していると、すぐに飛行機は着陸態勢に入った
ベルトを締め、座席を元に戻す
左の機窓に海岸線が見える 
「あの海岸線、だいたい室蘭近くですよ、もうすぐ苫小牧が見えるはずです」
少女は僕の肩越しに腰を浮かせて窓を見ている
遠くに樽前山と風不死岳の原始的な姿が見える
「ほら、浜辺から食い込むような港が見えるでしょう、あそこが苫小牧です」
そう言ったかと思うと飛行機は苫小牧沖を通り過ぎ、日高山脈の方へ迂回
そうして山脈上で向きを大きく変え、原野上を高度を下げていく
ぐんぐん高度を下げ、渋滞している道路上を見下ろし
さらに高度を下げたと思ったらドスンと着地した
一気にブレーキが効き、やがて滑走路から誘導路へ移っていく

「皆様、当機はただ今千歳空港に着陸いたしました」
CAさんの案内放送があり、飛行機はゆっくりと駐機場へ移っていく
少女が明るい表情で僕を見た
「なんだか、すごく不安だったのがオジサンのおかげで楽しめました」
「そうですか・・それはこちらとしても嬉しいことです」
「いえ、ありがとうございました」
最初に出会ったときのあの荒れた雰囲気はなく
ごく普通の高校生くらいの年頃のお嬢さんに見えるようになった

ボーディングブリッジを通り、案内されるがままに歩き
階段を降り、回転レーンで荷物を受け取る
出口に向かうと件の少女がついてきた
「JRに向かうのですか?」
「それが、よく分からないのです・・・迎えが来ているはず・・」
監視員がいる到着ロビーへの扉を出ると「くみこ・・」女性の声がした

少女は頬を赤らめ一瞬、立ち止まる
「よく来てくれたね」
気になって僕はその様子を見ている
少女は立ちすくんだまま動かない
僕と幾ばくも変わらぬ年齢の、穏やかな服装をしたその女性は少女に向かい合う
「くみこ・・」
女性がもう一度少女の名を呼ぶ
少女は動かない
すると女性が少女に歩み寄り、抱きしめた
何も言わなかった少女が女性に抱きしめられたとたん
大声をあげて泣き出した
「お母さん!」
絞り出すかのように少女が叫ぶ
少女を抱きしめる母親も泣いているようだ

抱きしめあう二人と、それを立ち尽くしてみている僕の間を
大勢の旅客が歩いていく
巨大な空港の上気した空気が僕らを包む

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