story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ある後輩

2019年05月16日 21時03分14秒 | 小説

病院からの海イメージ

今から25年ほど前の話だ。
当時、僕は仕事のオフに、ある政治団体の活動をしていた。

その日は近づく選挙にそろそろ事務所が動き出そうという時で、ふっと、事務所の中で傍にいた山田君に声をかけた。
「今夜は久しぶりに呑まないか、そろそろ動きが激しくなると、こういう時間も持てないだろうし」
山田君はワードプロセッサーに向けている顔を起こし、「珍しいですね、大野さんの奢りならいいですよ」と素っ気なく答える。

「奢りくらいいいよ、どうせ二人分だし」
すると、山田君はちょっと考える風をして、それからこういった。
「あの、僕の友達、連れてきていいですか」
「ああ・・いいよ、人数がある方が楽しいだろうし」

断っておくが僕は酒の席で政治談議をするような男ではない。
むしろ、そういう席では普段のしがらみから離れた話題で盛り上がるのが好きなのだ。

夜、9時過ぎ、馴染みの居酒屋で一人で先に来て、冷酒を舐めながら待っていると、店の扉が開いた。
「大野さん、遅くなりました・・」
一緒に来る人は、多分彼のガールフレンドだと思っていたが、意外なことに彼より少し年配、僕とさほど変わらぬ年頃の男性だった。

「大野さん、友達の坂下君です」
「初めまして、山田君が連れてくる友達っていうから、きっと女性だと思ってた」
そういうと、坂下君は明るく笑ったが、山田君は笑わず僕をじっと見ている。

まぁまぁと、僕は二人を招き入れ、ビールを注文した。
「まぁ乾杯!」
グラスを合わせた後、山田君がぽつりと喋りだした。
「大野さん、恋愛って形が決まってしまうものなんでしょうか」
その彼の思いつめた表情を見た時、僕は咄嗟にすべてを判断できた。

「失礼なことだったら酒の席ということで許してくれよ・・」
僕はそう前置きして、手元のグラスを空ける。
「もしかして、お二人はそういうことか・・・」

山田君も坂下君もそろって頷いた。

「いいんじゃないか、人それぞれ、自由な恋愛があって」
僕が彼らをまっすぐに見てそう言うと、二人、特に山田君はほっとした様だった。

「でもね大野さん、このことは・・」
「誰にも言わないよ、言えないし、まだまだこの国の人はそういう形を認識できていないから」
「ありがとうございます」
二人が声をそろえてそう言う。
ああ、なるほど、この二人は深い関係だと納得がいく。

それから、開き直ったかのように、男同士の恋人というものを面白おかしく二人は喋ってくれた。
二人のうちでは山田君が「ウケ」と言われる立場で、坂下君が「タチ」という立場だそうだ。

男女の世界ならそこに婚姻もあれば妊娠もある。
それゆえ、それらが抑止力となって、あまり無茶なことはできないと彼らは言う。
法的に保護されず、妊娠という生理的結果のない男性同士の恋愛には、生き馬の目を抜くというような、怖いことがたくさんあるらしい。

彼らは相思相愛の仲だが、それでも横恋慕で押し入ってくるものがあるという。

事務所ではちょっと冷たい活動家で通っている山田君が、二人の仲では、食事を用意したり、世話を焼いたりする女房役なのが僕にはなぜか面白く思えた。

それからしばらくして、事務所に山田君が来ない日が続いた。
珍しいなと思い、彼に電話をかけてみた。

すぐに電話に出た彼は泣いていた。
「どうした、何があった・・」
「母が末期がんだと診断されたんです」
「それは・・大変だ・・」
「僕は、母一人、子一人なんで、母に勇気を付けることができなくって」
「一生懸命に誠実にお母さんに向き合うといいと思うよ」
「はい」
そういったきり、電話の向こうの彼はまた泣いている。
「お母さんの病院はどこ?明日にでも仕事から事務所に来る間に、お見舞いさせてもらうよ」
しばらく彼は黙っていたが、それでもやっと、当時、都心近くの山の手にあった財団系のK病院だということを伝えてくれた。

翌日、仕事場を早めに出た僕は地下鉄に乗ってそのK病院へ向かった。
受付で病室を教えてもらい、個室を訪問した。

「はじめまして、いつもお世話になっている、下澤事務所の大野です」
頭を下げながら病室の扉を開けた。
「あらあら、息子から伺っています、ご丁寧にすみません」
ピンクのパジャマを着た、美しい女性がベッドで身体を起こしていた。
高台の病院の窓から街並みやその向こうの青い海が良く見える。

下澤事務所の主人からの見舞いや、他のスタッフからの見舞いを手渡しながら、「いいお部屋ですね・・」思わずそう口に出すと、女性は少しはにかみながらこう言う。
「ええ、ここが私の最期の住居・・」
一瞬どきりとした僕は「そんなことないですよ、ぜひまたご自宅に帰って息子さんと暮らしてあげてください」と慌てて言う。
女性はくすくすと笑いながら「今はまだこうして起きられますが、来月になると起きることもできるのかと・・・」などと返す。
こうなると何を言っても気休めでしかなく、僕は女性の傍に寄った。
「まぁ、まだ、決まったわけではないですから・・・」
それに女性はまたクスリと笑い「まぁ、そうですわね」という。

「ねぇ、大野さん、私、ちょっと気になることがあるの」
二人で病室の窓から海の方を眺めながら会話をする。
「どんなことでしょう」
「息子、あれは結婚できるのかしら・・」
一瞬、僕は言葉に詰まったが、その詰まったのを見透かされないように無理やり言葉で覆いかぶさる。
「大丈夫ですよ、きっと彼のことだから恋人もありますよ」
「そうかしら・・」
恋人はあるが、その相手が男性だなどとは、ここでは言えない。
「ですので、お母さんも、息子さんの結婚式に出るんだと、強く思っていかれればどうでしょう」
「あら、本当にそうなれば嬉しい・・・でも、ワタシはその場にいないだろうし」
「そんなことはないですよ、ぜったい」
「息子は普通の結婚はしないでしょうね」

そういったあと、女性は話題を変えて、この病院のナースが如何に親切なのかを語ってくれた。
「おかげですごく寛いでいられるの」
柔らかな表情で、そういった後、ふっと女性は涙を流した。
「息子を頼むわね」
涙は、あとからあとから溢れてくるようで、もう話をできる状態ではなくなっていた。
「息子の相手の方にも、ワタシがよろしくと言っていたとお伝えくださいね・・」
泣きながら、お暇を伝える僕に懇願するように言う。

それが病室での彼女から僕への最後の言葉だ。
彼女は息子のことをきっと全て知っているんだろう。

事務所に入り、自分のデスクに座ると、電話が鳴った。
「大野さん、母のお見舞い、ありがとうございました、母がすごく元気が出たと喜んでいました」
「いやいや、とてもやさしそうな、きれいなお母さんで僕のほうこそ、お会いできてよかったと、心底、思っているよ」

なんだろう、胸と目頭がむずむずする。
事務所の外へ出て。夜の空気を吸う。
目の前の道路を行き来する車のヘッドライトを見ているうちに、涙が出て止まらなくなった。

コメント
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