story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

ギターのあなた

2019年03月31日 14時38分18秒 | 小説

 

ギターイメージ

春先のある日
僕は、その日、勤務するタクシー会社の乗務日で
そのタクシーで神戸市内を流していた

結構忙しくお客の手が上がったり無線配車が入ったりと
さすがに年度末だと思わせてくれている日だ
それでも夜の時間帯になり、少し落ち着きが出てきたころ
元町の角で手を上げる人影に気が付いた

僕はゆっくりと人影に近づき停車する

街頭に照らされたその人影は、長い髪を後ろで束ね
その上に帽子をかぶった女性だ

もしかして…僕は一瞬、どきりとした

「お久しぶりです」ドアを開けると、控えめな可愛い声が聞こえた
「タエちゃんかぁ・・ほんと、久しぶりやね」
その女性客は、大きなギターを抱えながら、よっこらしょと、乗ってくる

だが、ルームミラーには映らない

「嬉しいなぁ、手を挙げてくれて・・今夜は何処へ行くの?」
僕が親しみを込めてそう聞くと「舞子へ帰ります」という
「了解!」僕はゆっくりクルマを走らせる
「シートベルトは・・・あ・いいか」「ですね・・」
そう言ってクスリと笑う、笑う声も可愛い

クルマの速度が上がり、道路の流れに乗る
「あの、メーター、入れてくださいね」とタエちゃんが言う
「え・・お金・・持ってるの?」
「はい、今日は路上ライブしてたら投げ銭がたくさんで・・」
「それはよかったなぁ・・僕も久々に聴きたいな・・タエちゃんの歌」
「じゃ、帰り道でどこかで歌いますよ」
「頼むよ・・この頃・・癒されることが少なくってね」
「ワタシの歌、いいって言って下さるの嬉しいです」
タエちゃんは、嬉しそうに言う
・・ルームミラーには映らない

タエちゃんと僕が初めて出会ったのは
僕がまだ写真屋をしていた頃だから二十年近く前だろうか

舞子駅、明石海峡大橋が見えるペデストリアンデッキで
可愛い女性の歌声が聞こえた
夜の撮影から店に戻る途中だった僕は、思わず足を止めた
路線バスへの乗り換え客が歩く通路から
少し離れたところで、若い女性がギターの弾き語りをしていた

それは僕も好きなメジャーな女性シンガーの失恋の曲だったけれど
まったく汚れを知らない少女のような声と、確かな旋律、確かな歌唱
僕は立ったまま、呆然とその歌を聴いた
去っていく男性を追う気持ちをリフレインするサビの部分では
僕は不覚にも涙を流してしまった

僕の存在を気に留めないでいるかのように
数曲弾き語りをした彼女は、ふっと一息をついて
「聴いてくださってありがとうございます」そう、恥ずかしそうに言う
「すごい、すごいよ、あなた・・」
涙を拭くこともせず、そう叫んだ・・それが最初の出会いだ

以後、タエちゃんとの関りが始まった
といっても、僕にとって彼女は恋人というものではなく
あくまでもアマチュアミュージシャンとそのファンという関係だ

だが、幸い、僕は写真、それもポートレートを生業にしていた
だから、彼女のプロフィール写真やライブのスナップも撮影させてもらいながら
時折は僕のスタジオでも弾き語りをしてもらうような、ゆるい関係だった

そのタエちゃんが音楽プロデューサーの目に留まり東京へ行ったのは
彼女と出会って四年目のことだった
そしてそのすぐ後に僕はデジタル化の進展で食えなくなった写真を捨て
タクシーに転身した

「このごろどう?見てる限り元気そうだけど」
ハンドルを切りながら僕がそう聞くと
タエちゃんは珍しく「え~~」なんて言う
「わたし、もう、ずっと元気ですよ」
そういわれて僕は、はっと気が付く
「あ・・そうかぁ・・病気にもならないし」
彼女がくすくす笑っている・・可愛い声だ

「そうそう、一つ、聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょう?」
「どうして、僕や、あなたのファンにはあなたが見えるのに」
「はい・・」
「他の人には見えないんだろう」

それには彼女は答えない・・もしかして、消えてしまったかと一瞬思ったけれど
交差点を三つほど過ぎた時に彼女がぽつりとつぶやいた

「ワタシを心底から好きになってくれる人にしか見えないんです」
「そうなんだ・・」
「だから今、すごく楽・・」
「声も・・歌も聞こえる人にしかわからない?」
「ええ・・だから見えない人が見たら、街角に何故か人が集まっていて」
フフッと彼女は悪戯っぽく笑う
「何にもないのに感動していると…」
僕は妙に納得するのだ

僕には彼女が見えるから
僕はそういうシーンに出会っても不思議には思わないのだろうけど
彼女を見ることができない人が
その場に居合わせたら・・不思議な光景だろうなと思う

タエちゃんは東京へ行って僅か一年で身体を壊した
精神的な抑圧もあったのだろう・・元々が純朴そのものだった彼女に
東京の人間の渦は耐えられないものだったのかもしれない

そして、僕らの世界からいなくなった

だけれど、数年前からこうして時々、かつての仲間やファンのところに
歌いに来てくれているのだ

クルマが国道を西へ走り舞子の海岸近くへ来た時
タエちゃんが「ここで止めましょうよ」という

クルマを公園の駐車場に入れ、彼女と海岸へ出る
明石海峡大橋のライトアップタイムは終了していて
まっくらな海に、淡路の街の明かりと、通過する船の明かりが見える
大橋の主塔に僅かな明かりだけが灯る

海岸の階段状の堤防に彼女は座り、ギターを弾き始めた
いつまでも変わることのない、可愛い声が失恋の歌を奏でる
僕は彼女のすぐ隣に座り
また泣きながら・・彼女の弾き語りを聴いている

海を見ながら・・・

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